★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ52 > 532.html
 ★阿修羅♪
まやさんへ、神様との交信の方法について問題提起します。暇があったら見てください。
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/532.html
投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2008 年 4 月 06 日 01:13:01: DO6P.hRyTTh86
 

まやさんへ

 ちょっと時間が出来てあなたの投稿をのぞき見ました。趣旨がどういうものか、よくわかりませんが、交信方法とか、交信の目的とか、この世とあの世とのつながりを暗示させておられます。そのような一種の霊媒能力があなたにあるのでしょうか。その種の人はあるとき、顕著に出ることなどがあります。
 そこで、参考文献と資料を添えて出してみます。


(この投稿の動機になった材料)

じつは私、シャーマンです
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/513.html
投稿者 まや 日時 2008 年 4 月 02 日 12:09:47: 1WMLvIbaif5Yc

━交信方法━

2000年3月頃から、新聞の見出しが、私の書き送る手紙の文章にシンクロしていることに気がつく。シンクロすると、その報告を書き送り、シンクロ→報告→シンクロ→報告という永久運動になる。

「見出し」が、着いて来ている感じがする。同年の5月、「来るなら、こちらからも行ける」と考える。そこで、質問を紙に書いてみる。この時点で、シンクロ多発に関する本を作りたいと考えていたので、初めての質問は次なるもの。

●交信の目的

Q 通信の目的  A 復活への貢献
Q データで何を探るのか?   A 先行き

●交信してる?

Q 神様の答え、正解を答えてますか?   A 高度な知識・直接教えます
Q 交信してますか?           A 網
Q 質疑応答を続けるべきですか?       A 交流の手紙

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以下は日月神示で書かれている内容です。長谷章弘という人が受けた日月神示ではかなり具体化されて書かれています。そこらあたりを中心に抜き出して投稿します。この資料は別な掲示板で使った資料です。全体的につながりがうまく行かないところがあるかもしれません。容赦ください。

 神と交信するにはどうすればいいか。自分と対話せよという事らしいです。自分が対話している時に、自分の想念、つまり、思い、そんな時、インスピレーションのように出て来るのが神からの通信だといいます。さしあたって、神にもいろいろあるらしく、先ずはあなたを導いている守護神霊(守護霊)との対話などがはじめになるそうです。次に、正統派の神とか仏とかがそれに続いて出るらしいです。

 こういう通信が霊的成長へとつながっていくうちに、ふと思ったことが形になることがあるそうです。これなどは神との通信が出来ているという証明になるかもしれません。

神様との交信の方法その1


 神と話す方法と書き出しましたが、まさに神とは何か、グタグタ書いてありますので、一応順序で書き出します。
 皆さん時間を作り、紙と鉛筆をお出しください。そして、頭の中を空にしてください。鉛筆を握り、思いつくままに単語でも、言葉でも書いて見てください。それをとりあえず、自分の考えか、神の声かを判断しないで下さい。どんどん書きましょう。ひとしきり終わったら、それらの単語を並べて一つの文ができるそうです。最初はこんな感じです。最初は単語の羅列かもしれませんが、次第に意味が通じるようになるかもしれません。自動書記などといわれるものは手が勝手に動いて文字が出て文が出ることを言います。
 神と交信する正しい方法は自分の思っていることを行動することだそうです。その行動の中で心の中に想い等が浮かびます。その中に、神の想念が入っているというわけです。こんなに平たく説くといけないことになっていますが、時間節約のために書きました。
 原典日月神示も長谷日月神示もこんな感じでできているはずです。信仰者みたいに、特定の神を指針にすることができればなおさら結構です。棚からボタモチで待っていても神は話しかけてきません。

 イエスは神との交信にこういわれました。

(祈る時には)

「・・・・・・求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれども、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる・・・このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良いものを与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(新約聖書 ルカによる福音書 11章9説)


(元つ神はいつもそなたに話しかけているのぞ。そなたが聞かなければ聞こえないのであるぞ。)

「そなたが許せば神はそなたに語りかけるのであるぞ。神はそなたがしたいようにするから、そなたが許さなければ神は何も語らないのであるぞ。この方はいつもそなたに話しかけているのぞ。そなたが聞かなければ聞こえないのであるぞ。そなたは神の言葉を判断しているぞ。そなたは神の言葉を拒否しているのぞ。喜び創る声を拒否したら喜びないのが当たり前ぞ。当たり前ではなく、そなたが当たり前にしてしまったのであるぞ。今そなたらが体験して問題を解決するのも、神であるぞ。解決できるのは神のやり方だけであるぞ。今までの人間ココロを出すとますます混乱するぞ。神を知らない人間がいくら話し合っても混乱を創るだけであるぞ。今までは、すべて神が許していたからできたことであるぞ。物質文明も、情報化社会も、戦争も、すべて神が許していたから
できたことであるぞ。今までも、人間の歴史は神のいう通りになっているのぞ。これからは、神のルール通りにビシビシ出していくぞ。神のルールをビシビシ適用するぞ。」


(そなたの内を見なければ、この方は見えないのぞ。元つ神ことは何も分からないのぞ。)

「この方は、そなたやそなたが言う神々を含めた、すべての宇宙、すべてのすべてを産み生んだ元の元のオオモトの元つ神であるぞ。この方のことを知ろうとしても無駄な抵抗であるぞ。この方はそなたよりも大きいのぞ。そなたはこの方の法則の働きを知ることができるだけであるぞ。神とは何ぞや、という宗教は永遠に答えはでないぞ。答えのでない問いかけをいつまで続けるおつもりか。そなたの外を見ても探しても答えはでないぞ。そなたの内を見なければ、この方は見えないのぞ。この方のことは何も分からないのぞ。この方が見えなければ、自分も見えないのぞ。自分自身が見えないで、この方を、元つ神を見ようというのは無理なことであるぞ。いい加減に目を覚ませよ。」


(神はそなたの想念に入って語っているぞ。そなたの想念に同調するのぞ。そなたの想念にいつも語りかけているのぞ。)

「神に素直になるということは、自分に素直になるということぞ。神はそなたの想念に入って語っているぞ。そ

なたの想念に同調するのぞ。そなたの想念にいつも語りかけているのぞ。そなたが神を無私すれば神は何もいわないのぞ。何も教えないのぞ。そなたから神に近づかなければ何も聞こえないのぞ。何も聞かなければ何も来ないのぞ。神の声を聞いただけではだめであるぞ。聞いたのを実行して、初めて神は教えるのぞ。体験を通して教えるのぞ。学や知ではだめであるぞ。信頼と引きかえであるぞ。そなたが信頼した分量だけ忠実に与えるぞ。そなたが疑っている分量だけ忠実に与えないぞ。そなたが疑っていると気づくようなものを与えるぞ。与えないで与えるぞ。この方の言うことを聞けば、そなたは何でも得られるのぞ。人や社会は関係ないぞ。神の制限の中で人ぞ。そなたらが悪といっているものも神が許してそこにあるのぞ。そなたは悪を裁いているぞ。そなたが悪を悪ということが悪であるぞ。これは大事なことだからよく覚えて置けよ。」


(元つ神は響きで表に出ているぞ。波動といってよいぞ。振動数が違う。そなたのココロの声にこの方の言葉があるのぞ。)

「この方は響きで表に出ているぞ。波動といってよいぞ。振動数が違うといってよいぞ。すべてのすべてを創り出す振動であるといってもよいぞ。そなたが今まで創っていた神とは違うのぞ。神はそなたの中にいるといってもよいぞ。神が放送局でそなたが受信機であるといってもよいぞ。そなたがチャンネルを合わせないと神は見えないのであるぞ。そなたには神の形は見えないから隠り身であるが、そなたの想念を通して語りかけるからココロして聞くことであるぞ。そなたのココロの声にこの方の言葉があるのぞ。ココロを判断しているとこの方の語る真理を聞くことは出来ないのぞ。そなたの価値判断を一切やめることが真理を知るための第一歩であるぞ。これをこの方はお掃除と言っているのぞ。どっちがどうか、と比べる分かつ知をやめることがお掃除であるぞ。比べるから分かれるのであるぞ。楽を見るから苦を見ることになるのぞ。善いも悪いも神にはないぞ。・・・そなたが今までの学や教えにとらわれて神の言うことを聞かないならば、そなたの人生は今世で終わりであるぞ。神の言うことにアレコレ言うのは勝手であるが、この方の言うことを否定すればそなたには新しい世はないものと思ってよいぞ。そなたの肉体は修行の道具であるのぞ。今のそなたにとっては、グチを言ったり、文句をいったり、人を責めたり、お金を集めたり、人をコントロールしたり、勝ち負けゲームや取り合いゲームに励んだりしている暇があったら、外側の鏡を使って、肉体を通して神成る修行を始めることが必要なのであるぞ。これは誰のためでもなくそなた自身のためである。」

(そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものが神の声であるぞ。人間に都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。)

「今までも、神は、そなたの想念を通して、いつもそなたに語りかけていたのぞ。そなたのココロの声はすべて神の声であるぞ。そなたが、神を知らぬ人間に教わった基準で神の声を判断して、分けて、今までの人間ゲームで都合の善いものだけを選んで、行動していたのぞ。そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものが神の声であるぞ。人間に都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。そなたは神を知らずに神を創っていたのぞ。そなたが、あやま知にとらわれた人間が創りだしたタワケた宗教に騙されて、神の声を無私していたから、そなたは無私になったのぞ。神が見えなくなったのぞ。そなたが神の声を無私していたから、騙されることになったのぞ。この真理を無私していたから自分が分からなくなったのぞ。自分とは何ものか、などという哲学なるものを創り出して、ますます分からなくなっていったのぞ。」


(そなた自らの解釈が自分の正解ぞ。そなた自身の自らの声を大事にせよ。)

「・・・この方の神示を文字で読みたいならば、前に出たもの、翻訳物でもよいが、原文を読めよ。そなた自身の解釈が自らの真実のものぞ。そなたの解釈を実行せよ。道から外れたらこの方が行き詰まりで教えるから、どんどん実行せよ。悪くなって善くなる仕組み。躊躇するのは悪避けて居る証。自らが悪くしておいて悪避けるのはオカシキことぞ。悪くなれと申す神はインチキじゃと申す者、アタマ洗って出直せよ。「神示の翻訳者の解釈は一つの参考にせよ。鵜呑みにするなよ。この者の書くモノも同じぞ。そなた自らの解釈が自分の正解ぞ。どんなに偉い者が書いておっても真コトはとは限らんぞ。そなたが違うと思えば違うのぞ。そなた自身の自らの声を大事にせよ。神示は生きて初めて解ける。生きた者は解説はせん。自らが神示を出すぞ。神示を書かんでも、そなたの内に神示が出ると申すこと。外の神示は方便。いつまでも自らの声を疑って外探し回っておると、もうこの方はどうなっても知らんぞ。躊躇して居る暇はござらんぞ。悪くなって善くなる仕組み。そなたの心からこの方の神示が出ておるのぞ。それが分かれば、誠の自由人(神)となるぞ。」
(元つ神からの最後のとどめのフミ その9)


「答えはひとつではないぞ。そなたが答えを一つにしようとするときはそなたが枠をもっているのぞ。そなたの思い通りにならないと思っているときはそなたの掃除ない証拠であるぞ。そなたが外側をなんとかしよう、すべきでない、やめさせよう、教えよう、としているときはそなたが固定観念を持っている証拠であるぞ。掃除できていない証拠であるぞ。許していない証拠であるぞ。迷惑はないのぞ。そなたに掃除があれば思い通りになるのぞ。文句をいっているのは、そなたに掃除ない証拠であるぞ。文句をいう方が自分勝手であるぞ。そなたが体験していれば文句も疑いもでないのであるぞ。そなたが議論をしているときはそなたは外からみているのであるぞ。そなたはこの方のやり方をしていないのであるぞ。そなたはそなたのやり方に固執しているのであるぞ。そなたのやりかたで創りだしたものに固執しているのであるぞ。そなたのやり方の作品(現実)だけを真実だと正しいものだと思い込んでいるぞ。そなたがやっているものは議論の対象でないのであるぞ。そなたがすべてを許していれば批判も疑いも議論も必要ないのであるぞ。そなたのやり方でそなたが何を体験するか分かるように、この方のやり方で何を体験するかはこの方のやり方をやったら分かるであるぞ。そなたが疑ったり否定したり議論したりしているのはそなたがそなたの想念をわけている証拠であるぞ。そなたがすべてを許していない証拠であるぞ。そなたがすべてのシナリオをやればすべて形になるぞ。」


(日月の神との対話が始まると長谷という人のたどった道を歩くことになるのでしょうか)

@長谷と言う人は人と日月の神との対話をする手本(サンプル)みたいなものである。
A真理とは何かを体験させて、そのやり方を伝える者
B心に出ることを記録し、実践し、確かめ、まとめ、自分で歩いて知識にして、このフミとして出している。
Cお掃除お洗濯には原典日月神示では七年くらいかかる。身魂相応でお掃除お洗濯は完了する。3年半と3年半で節目があるらしい。
D長谷の日月神示では神と一緒にやるならば、2年で終わるらしい。 (そなた自らの解釈が自分の正解ぞ。そなた自身の自らの声を大事にせよ。)

「・・・この方の神示を文字で読みたいならば、前に出たもの、翻訳物でもよいが、原文を読めよ。そなた自身の解釈が自らの真実のものぞ。そなたの解釈を実行せよ。道から外れたらこの方が行き詰まりで教えるから、どんどん実行せよ。悪くなって善くなる仕組み。躊躇するのは悪避けて居る証。自らが悪くしておいて悪避けるのはオカシキことぞ。悪くなれと申す神はインチキじゃと申す者、アタマ洗って出直せよ。「神示の翻訳者の解釈は一つの参考にせよ。鵜呑みにするなよ。この者の書くモノも同じぞ。そなた自らの解釈が自分の正解ぞ。どんなに偉い者が書いておっても真コトはとは限らんぞ。そなたが違うと思えば違うのぞ。そなた自身の自らの声を大事にせよ。神示は生きて初めて解ける。生きた者は解説はせん。自らが神示を出すぞ。神示を書かんでも、そなたの内に神示が出ると申すこと。外の神示は方便。いつまでも自らの声を疑って外探し回っておると、もうこの方はどうなっても知らんぞ。躊躇して居る暇はござらんぞ。悪くなって善くなる仕組み。そなたの心からこの方の神示が出ておるのぞ。それが分かれば、誠の自由人(神)となるぞ。」
(元つ神からの最後のとどめのフミ その9)


「答えはひとつではないぞ。そなたが答えを一つにしようとするときはそなたが枠をもっているのぞ。そなたの思い通りにならないと思っているときはそなたの掃除ない証拠であるぞ。そなたが外側をなんとかしよう、すべきでない、やめさせよう、教えよう、としているときはそなたが固定観念を持っている証拠であるぞ。掃除できていない証拠であるぞ。許していない証拠であるぞ。迷惑はないのぞ。そなたに掃除があれば思い通りになるのぞ。文句をいっているのは、そなたに掃除ない証拠であるぞ。文句をいう方が自分勝手であるぞ。そなたが体験していれば文句も疑いもでないのであるぞ。そなたが議論をしているときはそなたは外からみているのであるぞ。そなたはこの方のやり方をしていないのであるぞ。そなたはそなたのやり方に固執しているのであるぞ。そなたのやりかたで創りだしたものに固執しているのであるぞ。そなたのやり方の作品(現実)だけを真実だと正しいものだと思い込んでいるぞ。そなたがやっているものは議論の対象でないのであるぞ。そなたがすべてを許していれば批判も疑いも議論も必要ないのであるぞ。そなたのやり方でそなたが何を体験するか分かるように、この方のやり方で何を体験するかはこの方のやり方をやったら分かるであるぞ。そなたが疑ったり否定したり議論したりしているのはそなたがそなたの想念をわけている証拠であるぞ。そなたがすべてを許していない証拠であるぞ。そなたがすべてのシナリオをやればすべて形になるぞ。」

汚い文ですが、興味が向いたら読んでみてくださいというところで、泉谷さんの歌が浮かんできましたので、どうぞ。

春夏秋冬 泉谷茂
http://www.youtube.com/watch?v=e_jwKtK23Sw

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > Ψ空耳の丘Ψ52掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。