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(回答先: 【読売、「UFO、存在の確認なし」政府が議員質問書で閣議決定】(アポロ11号やネッシーなどもお願いします) 投稿者 小沢内閣待望論 日時 2007 年 12 月 18 日 17:43:04)
自衛隊は、会っている経験もあるし、スクランブルも飛ばしている。
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UFOと日本の関係 『UFO隠蔽工作の謎ー
驚くべき国家機密、恐るべき記憶操作』より
●領空侵犯したUFOに自衛隊機が緊急発進!
「ひと目見た瞬間、私はその円盤形の赤オレンジ色の物体が、見たこともない形態の航空機で、知的生物が製造し飛行させている物体だと、すぐピンときた!」
事件後3年たっても、なお恐怖さめやらぬ表情で、久保田四朗元航空自衛隊3等空佐(仮名・事件当時40歳)は重い口を開いた。耳を傾けるアメリカ人の通信社記者リチャード・ドレイバー氏は、この退役軍人から今、世界にも稀なUFOとの”空中戦”を演じた経緯を、初めて聞き出す事に成功しようとしていた。1977年9月、残暑厳しい東京の、とある喫茶店の静かな店内で二人は向かい合っていた。
久保田3佐の口から語られた事件の内容は、実に驚くべきものだった。ーー話は1974年6月9日の夜、茨城県の航空自衛隊・百里基地から、2機のF4Eファントム・ジェット戦闘機が緊急発進した時に遡る。目的は、国籍不明の領空侵犯機の確認にあった。離陸後直ぐに、1機は故障を起こして、やむなく基地に引き返した。残る1機には、パイロットの中村登志雄・二等空佐(仮名・当時42歳)とナビゲーターの久保田3佐が搭乗していた。
緊急発進命令が出たとき、彼等はいつものように、時々北辺防空体制を試しにやってくるソ連の爆撃機の迎撃に向かうものと思っていた。ところが、空中に舞い上がった後、GCI(地上要撃管制)から、この出勤は、地上で数十人に目撃され、レーダーにも補足された明るい発光体を確認する為だと知らされた。
数分後、同機は雲層から抜け出し、快晴の月のない闇夜をついて、高度9000メートルで飛行した。次の瞬間、数キロ前方に発光体を発見した。それは直径約10メートル、赤オレンジ色に輝く円形物体で、側面にぐるりと四角い形の窓或いは推進機関の外部装置らしきものが取り囲んでいた。中村2佐は躊躇わず、物体に向かって機を突進させた。UFOの姿が、火器照準具の中で見る見る大きくなってくる。とその途端、それはこちらの接近に気付いた様に、ひょいと高度を下げて、浅い旋回にうつった。久保田3佐の脳裏をチラッと掠めたのは、他のパイロット仲間からあれこれ聞いていたUFOとの遭遇談だった。トラブルを恐れて、彼等はいつも上官のいない所で、ひそひそ声でそんな話を囁くのだった・・・。
●UFOに衝突された自衛隊機は墜落!乗員が死亡と、出し抜けに物体は反転し、F4E機に向かってまっしぐらに迫ってきた。
「あぶない、ぶつかるぞ!」
久保田3佐は絶叫した。中村2佐は操縦桿を左へ倒し、機を猛然と急降下させた。赤く輝くUFOは、機体すれすれにかすめ過ぎると、急激な反転を見せ、再び彼等目掛けて突進してくる。これでは立場がまるであべこべだ。彼等は獲物を追い詰め、もし相手が敵意を見せたら攻撃するハンターの筈だった。ところが今や、彼等自身が獲物にされている。UFOは、2度、3度とF4E機に襲いかかり、激しく追いすがった。中村2佐は必死の操縦でその度に何とか相手をかわした。久保田3佐はそれを横目で見ながら、GCIに無線報告をがなり立てた。それでも、UFOが本気で衝突するとは思わなかった。だが、次の瞬間それは現実となったのだ。
グワーン!腸がえぐられるようなショックと共に、眼前の夜が炸裂した。中村2佐の絶叫が久保田3佐の耳をうった。
「緊急脱出だ!脱出しろ!」
久保田3佐の体が、激しい勢いで射出座席ごと機体からはじき出された。同時にパラシュートが開いて、落下する体がぐいと引き戻された。彼はガクガク震えながら、闇夜を眺め回した。UFOは分解したのか、飛び去ったのか、どこにも見えなかった。F4E機はキリモミ状態で、炎に包まれたまま落ちていく。右手上方に、中村2佐のパラシュートがぽっかり花開いたのを見て、彼はほっと安心した。
だが、それもつかの間、ああ何と言うこと、中村2佐のパラシュートに火がついて、メラメラと燃え上がるのが見えた。浮力を失った二佐の身体はみるみる加速がついて、眼下の闇の中へ飲み込まれていった・・・。
ドレイバー記者の報告(『UFOレポート』1978年3月号)によれば、この”UFOに撃墜された”F4Eファントムの連続番号は17ー8307と判明、残骸も回収されている。ドレイパー事件直後と3年後の2度に渡って、この生き残りの退役軍人にインタビューしたが、そこまでこぎつける手がかりとなった最初の情報源は、当然ながら明かしていない。果たしてUFOがらみで時価7億円相当の国家財産と、貴重な一人の人命が失われたというこの事件は、現実にあったのだろうか?
南山氏自身も防衛庁の航空幕僚監部広報室に照会してみたが、答えは予想された様に完全否定だった。事件があったされる当日、自衛隊機の墜落事故すら1件もなかったという。むろん該当機や該当者の有無については機密と云う事で回答を拒否された。ドレイパー報告では、乗員の名前を仮名とは断っていないが、現時点ではそれが確認出来ない為、一応、仮名としておく。しかし、この照会の際同広報室も、「レーダーで未確認機が補足され、緊急発進したが何も発見出来なかった」ことがあるとは認めた。只それは一般にいうUFOではなく、おそらく渡り鳥の集団とか気象観測用気球、或いはレーダー波の伝播ミスと思われるという但し書き付きだったが、いずれにせよ正体の確認出来なかった事件は起きている。
●日本にもあった?UFO調査プロジェクト
ドレイパーの報告では、こうした防衛庁の対応も、私達国民と外人記者とでは微妙に違っている。彼の指摘では、1974年以降日本各地の米軍と自衛隊の基地は、謎の侵犯物体にしきりに悩まされ、軍事施設の周辺ではUFOの活動が激増しているという。確かに1974年〜76年ごろは、民間でも日本全国がUFOブームに沸き立ち、新聞報道件数も極めて多かった。この符号は実に興味深い。
ドレイパーによると、当時防衛庁の高官からもしばしば、UFO事件の発生と調査について肯定的な非公式発言があったらしい。これなども私達国民に対する防衛庁や自衛隊の日頃の公式見解とは、まるで逆である。
例えば、77年9月、東京のホテル・ニューオータニで、次期戦闘機F15の購入問題に関する記者会見が開かれた最中、当時の航空幕僚長・平野晃空将はふと何気なく、こう漏らしたという。
「我々はUFOをしょっちゅう見る。内密にも調査している」
思いがけぬ発言に、記者団はどっとざわめいた。空将は、その反応にたじろいだが、急に又話題を次期戦闘機問題に戻して誤魔化してしまった。翌日、ドレイパーが航空幕僚監部に確認の電話を入れた所、「あの発言は当人の思い違いだった」と丁重に取り消されたという。
又ドレイパーに同年、東京の山王アメリカン・クラブで”日本のCIA”内閣調査室顧問・小村秀樹空将補と会見したさい、UFOの話題を持ち出した所、同空将補は現在UFO調査が軍内部で行われていると認めなかったが、以下のように答えた。
「素直にいって1950年代後半には、我々も貴国(アメリカ)のプロジェクト・ブルーブックを真似た調査方式をとっていた。だが、国民の関心が高すぎて大量の目撃報告が殺到し、本物の報告とガラクタ情報との区別が困難になり、効率が悪いこの方式は中止された」
そして明言は避けたが、現状についてこう補足したのである。
「我々に貴国政府と密接に協力している。ソ連のミグ25亡命事件(76年に函館空港に強行着陸し、世界を驚愕させた事件)の際も米空軍のFTD(国外技術部)から専門家を招いて、機体を調査してもらった。FTDはご存知の通り、閉鎖前のブルーブックが置かれていた部局だ。我々はいろいろな問題で協力してきたのだから、宇宙からの訪問者の件も、当然調査対象に入るだろう」
ここに登場する平野航空幕僚長も小村空将補も、確かに実在の人物だ。彼等の右の様な発言が事実通りなら、わが国も又、アメリカ同様、政府と軍当局は国民をずっとあざむいてきたことになる。つまり防衛庁と自衛隊は内部のUFO事件と調査行動について、厳しい隠蔽政策をとっているのだ。只軍の上層部も外人記者に対しては、心の緩みからときおり不用意に、胸の内を明かす事もあるということらしい。
●ブルーブックに収録された日本での”UFO”事例
日本領空内のUFO活動については、小村空将補の発言からも分かる様に、自衛隊当局も50年代後半以来、密かに調査を続けているものと思われる。だが、真相は依然厚い機密の壁にはばまれている。しかし、少なくとも太平洋戦争後日本に駐留している極東アメリカ軍が、進駐当初から日本領空内のUFO活動の極秘調査に当たってきたことには、今や疑問の余地はない。なぜなら、米空軍のUFO調査機関プロジェクト・ブルーブックが69年閉鎖された後、機密解除された大量の調査文書類中に、米軍が日本領空内で遭遇したUFOの目撃調査報告が多数含まれているからだ。
現在、南山の手元にはその旧ブルーブック機密文書が、マイクロフィルムで約20卷(ページ數で推定約3万ページ分。それでも全体の1/4以下だ)ある。この中に少なくとも”UFO”と判定された日本のケースだけで、24件ある事を突き止めた。全貌の紹介は別の機会にゆずるが、代表的な3件の記録カードの部分だけを、以下に要約公開しよう。
<事件番号2ー8>
日時 1948年10月15日23時5分
場所 福岡県沖瀬戸内海上空
目撃者 P61パイロット(空軍中尉)及び機上レーダー・通信手(空軍少尉)
経過時間 約10分
目撃タイプ 空中目視及び機上レーダー探知
物体数 1個乃至6個
目撃概要
P61機上のレーダー手が高度1500から1600メートルのUFOを6度捕捉、迎撃を試みた。物体は3600メートル以内に接近するまで時速320キロで飛行、接近するや、推定360メートル/(秒*秒)で急加速し、スコープから脱出。物体の長さは6乃至9メートルと思われた。パイロットは明るい月光下で物体のシルエットを観察。先端は丸く、全体は砲弾形、後尾は断ち切られたような形態だった。行動から見て、P61の位置を終始知っているとの印象を受けた。
コメント
可能な説明なし。唯一の疑問点は、当該ターゲットが地上レーダーからは一度も捕捉されなかった事。P61の方は、目撃期間中同レーダーにずっと捕捉されていた。
<事件番号1082>
日時 1952年3月29日11時20分
場所 青森県三沢基地北方約30キロ地点上空
目撃者 T6パイロット(空軍中尉)
経過時間 約10秒
目撃タイプ 空中目視
物体数 1個
目撃概要
T6は当日、F84ジェット戦闘機2機による迎撃訓練の標的の役を務めていた。最初のF84が高度1800メートルで接近した時、T6パイロットはF84の後方に陽光にきらめく小物体を発見。それは光り輝く円盤形物体で、F84に追いつくや同機の対空速度(時速約250キロ)まで急減速、90度近く傾斜して体をかわした後、機体の右6メートル以内を前後に往復。翼後方の気流に当たったのかいったんはね飛んだ。ついで同機前方に出て横切り、急停止した次の瞬間、急激に加速してほぼ垂直に上昇、視界から去った。パイロットは自機とUFOとの最接近距離を9乃至15メートルと推測。UFOは磨かれたクロームの様に輝く直径約20センチの円形・薄型の金属物体で、周縁部に波状模様があり、排気や突起物は認められなかった。
コメント
追加情報なし。かすみ、排気ガス、気流乃至自機のキャノピーの反射屈折光という可能性を除き、この目撃の説明は不可能。
<事件番号7437>
日時 1961年6月2日22時17分
場所 沖縄県宮古島航空基地上空
目撃者 基地司令官、基地要員及び民間技術者他
経過時間 5分
目撃タイプ 地上目視(双眼鏡を使用)
物体数 1個
目撃概要
円形物体。腕長距離でピンヘッドの約2倍大。青白色。色と形は星と比較が可能。コンパス目盛350度の北方、仰角60度の空に出現。コンパス目盛190度の南方、仰角60度の付近に消滅。空中に孤を描いて移動し、コースと速度が不規則なように見えた。無音。
コメント
流星にしては遅過ぎ、目撃時間も長過ぎる。気球だとすれば1800メートル以高では当時逆風で目撃出来なかったはず。航空機としても余りに遅速。入手出来た証拠は十分にありながら、結論は出ない為、本件を”未確認”とする。
●殆どのUFO事件は軍当局が秘匿している!?
これら日本関係のブルーブック旧機密文書(いずれも当時は極秘扱いだった)は、日本の上空で国民の知らない内にUFO遭遇事件が発生し、極秘に調査されていた事をはっきり証明するものだ。だが、ブルーブック以後はどうか。前出のドレイパー報告には、1970年代中頃の重要目撃事件が4件挙げられている。
☆1975年4月11日、北海道の基地を飛び立ったF104スターファイター4機編隊が、公海上空7800メートルで4個の円盤形物体に追跡された。UFOは、大気圏内に突入して加熱されたように、金属表面から真っ赤な光を放っていた。UFO群はF104編隊の行動をそっくり真似ながら飛んだという。
☆1975年9月11日夜半と14日夜半の2度、西日本一帯上空でUFOが目撃された。警察と軍当局への市民からの通報では、空中を飛び回った発光体の数は1個から12個とまちまちだった。山口県岩国の米海兵隊航空基地付近では、赤金色に光る円盤群が目撃された。また日本航空のDC8が香港からの岐路、赤オレンジ色のUFOに20分以上つきまとわれた。
☆1976年12月1日、東京・横田基地に着陸寸前の米海軍C123貨物機が、複数の赤オレンジ色の発光体に追尾された。UFO群は同機に10分以上つきまとって乗員を驚愕させた。これらのUFOは地上レーダーにも捕捉され、横田付近に約17分間留まっていた。
☆1977年1月29日、米副大統領ウォルター・モンデール(共産主義者!忍)が、当時の福田赳夫首相と会談の為来日した時、乗っていた特別機VC137Cが羽田国際空港に着陸する直前、赤く輝くドーム形物体が数分間つきまとうのを、乗員が目撃した。乗員はこの件について宣誓供述書を提出した。
なおこのモンデール機事件は、ドレイパーが前述の小村空将補へのインタビューのさい真偽をただしたところ、空将補は決して否定しなかったという。更にドレイパーは、この件を含めて当時の福田首相は、日本政府のUFOの極秘調査を全て承知していたとまで断言するのだ。
防衛庁幹部と接触する機会の多いこうした外人記者達が嗅ぎつけたUFO事件は、おそらく氷山の一角に過ぎないだろう。しかもこの4件さえ、南山氏が当時日本中の全国紙・地方紙から収集したUFO記事ファイルと照合した結果に関する限り、全く報道されていない。常識的に見ても、多分この10倍以上の件数の軍事関連の目撃報告文書が、防衛庁か自衛隊基地のどこか奥深くにファイルされているにちがいない。残念ながらそれが日の目を見る可能性は、近い将来、情報自由公開法が整備でもされない限り、まずありそうもない。
UFOの到来について
http://www.k3.dion.ne.jp/~syouhou/ufo1.htm
UFOについては、後で考えればよいので、今緊急として、神の言葉は、「国際連合の地下に核爆弾」情報である。
国際連合の地下に核爆弾情報
http://blogs.yahoo.co.jp/true_love_of_gabriel
どうもアメリカ軍は、月に対してプラズマ兵器の攻撃を仕掛けようとしている。その為に12機の衛星を飛ばそうと考えている。今度の「かぐや」は、、その秘密指令の下で飛び立って周回衛星になったか。それならば、第二のアポロ計画だと言われても不思議がないが、侵略の犯罪を荷担している事であり、更に殺人を考えている事であり、さっさとアメリカの悪に荷担する必要性はない。さっさと撤回する必要がある。
アメリカの月の侵略計画
『アポロ計画の謎と月空洞論』飛鳥昭雄・三神たける著 学研
UFOについて後で良いと考えたが、どうもそれを許す状況ではない。政府が嘘の方向で、神の言葉を否定しようとしているからである。自分のHPの真相を暴露されたくないからでしょう。