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(回答先: ご指摘、感謝。カール・ポパーについてはよく知らないのですが・・・ 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2007 年 10 月 30 日 20:10:35)
バルセロナより愛を込めてさんの仰る内容が判らない人はいないと思います。でも、判りやすさは、既に学習した内容の再認に過ぎないのも事実です。
貴方の、眼前の社会状況に対する立場は、私も同じですから、その事について異論を挟む意図は端からありません。
70年代までは、知識人の間で近代理性が批判されていた時期がありました。当時は、知識人といえば、反権力・反体制、更に踏み込んで文明批判が当り前で、そうでなければ話にならなかったのです。体制派や御用学者なんて論外でした。
それが今では、人類全体のレベルが低下したとしか言い様がない程に悲惨な状況です。「理性」を強調しなければならなくなるのですから。権力に奉仕したり、近づく者を、知的エリートなどと言う気には、私はなれません。ただの尊厳無き卑しい輩に過ぎません。まあ、私の個人的な嘆き節は、議論版のここにも書いていますから、宜しかったらみてください。
http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/564.html
私信の様な内容を公開された掲示板には不適当ですから、踏みこみませんが、頑迷さは誰にとってもプラスにはなりません。謙虚さは処世には良く、目前の人間関係には利得を与えるでしょうが、本当に資するのは、思考の柔軟さの方です。
ポパーの引用は、バケツ理論の呼称だけで、他は、科学論の常識と私の言です。その成果は、権力と資本と共に歩み続けた体制としての科学に向けられた数世紀に渡る文明論的批判から齎された物で、哲学が嫌いの一言で軽んじられるものではありません。今は失われた、真理に対する真摯さが挑戦してきた文化の一部です。
悲しいかな、今の風潮からは想像できない文化なので、誤解があるのでしょう。
ですから、誤解が生じないように、「例えば、ニュートンが、具体的にどのような思考経緯でプリンキピアを著したか説明できれば、」と付け加えたのです。それについての貴方のご返答は、憶測で片付けて具体を知る努力をしておられない。実証を重んじられる方にしては、変でしょう。
相対論についても同様です。第一論文「動いている物質の電気力学」に実験の確認は無く、実験の方が純粋演繹理論を基に考案されたのです。逆に言えば理論の方が無ければ、実験自体が存在できません。これを、事実の理論付加性といいますが、誰しも、弱点には頑迷になるものです。当然、私も例外ではありません。
また、演繹理論と、単なる思弁は別です。演繹理論は、全ての認識の基礎となる前提の事で、これを生み出せるのは、人類史に数えるだけの人物しかいません。悲しい事に、自分で演繹理論と思弁の区別の出来る人は少なく、結局は、未来の選別に委ねざるを得ないのが一般的現状です。
わずか百年ほどの寿命も無いのが、ただの思弁で、これは誰でも可能な安易な事、反対に、純粋演繹論というのは、演繹論中の代表で、仮に間違っていても批判するのは、容易ではなく、少なくとも数百年は掛かる大事業となる難物で、可能なのは歴史的天才のみです。したがって、純粋演繹を最も安易なものという受け止め方は、理論と認識のしくみを深く学んでいないためと言えます。