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http://eritokyo.jp/independent/aoyama-energy-bush1.html
※本投稿では図表は省略されています。
■はじめに:米国の世界一国支配とエネルギー争奪
ブッシュ大統領は、就任直後にイラクを攻撃し、9.11の同時多発テロ以降はアフガンへの徹底したテロ掃討戦争を展開した。
2002年1月29日にブッシュ大統領が行った一般教書演説ではイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指し、年内にもイラクに踏み込む構えを見せている。そのブッシュ政権は、同時に地球温暖化防止のための気候変動枠組条約(京都議定書)や核実験全面禁止条約(CTBT)さらに米ロ弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM)など、国際的にみてきわめて重要な公約を次々に反故にしてきたのである。このようなブッシュ政権をさして、専門家は国益至上主義、一国主義、孤立主義など新たな保守主義と性格づけている。しかし、果たしてブッシュ政権はそんな形容に値する生やさしいものであろうか。
世界人口のわずか4%にすぎない米国一国は現在、世界のエネルギーの約4分の1を消費している。
他方、米国は世界の総軍事費の3分の1以上を支出している。これは冷戦終結後ほぼ一貫したものであったが、ブッシュ政権誕生後、エネルギーと軍事をめぐる米国の動向は一層鮮明なものとなってきた。圧倒的な米国の軍事力を背景とした中央アジアや中東の石油、天然ガスそれにパイプライン敷設などへの露骨で執拗なかかわりである。その典型事例がいうまでもなくアフガン戦争である。私見では、アフガン戦争は「21世紀の新たな戦争」であるとか、「正義の闘い」と言う、いわばテロ報復戦争を正当化する口実とは別に、きわめて重要な側面があると思う。端的に言えば、エネルギー資源にかかわる新植民地主義あるいは新帝国主義とでも言えるものである(1)。
本稿は、米国がなぜアフガン、イラン、イラクなどの中東諸国や中央アジア諸国に執拗にこだわるのか、なぜブッシュ政権となってからそれらが顕在化したかについて、具体的データと情報を駆使し検証する。
そこにはガリバー化した軍事力を背景に新植民地主義や新帝国主義を展開する米国の姿が見えてくる。
■世界の軍事費・軍需産業と米国
世界の軍事費は、第二次大戦後の1950年に2670億ドルだったが、1984年に1兆1440億ドルと最高潮に達した。だが冷戦構造の終結とともに減少に転じた 図1に示すように2000年の世界の軍事費はおよそ7000億ドルである。その内訳は米国が全体の36%で2500億ドル、ロシアが760億、中国が650億、日本が440億、フランスが430億、ドイツが380億、英国が340億である。
これら7ヶ国が全世界軍事費に占める割合は78%であった。表1には同時多発テロが起る前の2001年度データも掲載している。9.11前の総額は7980億ドル、7カ国の割合は67%と11%減少しているものの米国の割合は37%と依然として断然多い。
このように冷戦終結後、世界の軍事費は一端は減少に向かった。これは主にCISの急激な落ち込みによるものだが、米国だけは冷戦終結後も増加の一途をたどり、ガリバー化している。表1は如実にそれを示している。
米国の軍事費のガリバー化を決定的なものとしたのは、2001年9月11日の同時多発テロである。米国はテロ対策を口実に対テロ戦争を拡大し、大幅に軍事費を増加させている。2002年1月29日、ブッシュ大統領が行った上下両院合同議会での一般教書演説では、@対テロ戦争の拡大、A本土防衛の強化、B経済回復について触れ、とりわけテロ戦争の拡大を強調した。
イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指し、イラクには2002年内にも軍事行動を辞さないとまで言明している。これを受け2002年2月4日、ブッシュ大統領は予算教書を上下両院に提出した。それによると2002年10月から2003年9月の軍事予算は前年度比で15%増、2002年度の予算教書対比で22%増とされている。仮に2002年度の世界の軍事費総額を8500億ドルとした場合、米国一国が実に40%近くを占めることになる。
次に、軍需産業面を見よう。表2は契約高で見た2001年度の世界の軍需産業ランキングである。米国は北朝鮮やパキスタンなの核拡散だけでなく、他国の通常兵器などの武器輸出もことあるたびに牽制し続けている。だが、表の20社を見ると米国の軍需企業が11社と過半を占め、米国の上位3社の総契約額は20社総額の40%以上を占めている。
ところで、同時多発テロ後のアフガン攻撃と対テロ戦争拡大のなかで、米国の軍需産業は空前の利権を得ている。アフガン戦争直後の2001年10月26目、米国防省は次世代戦闘機の開発と製造を軍需企業のトップ、ロッキード・マーティンに委託することを決めた。
受注契約高は2000億ドル、実現すれば史上空前の契約となる。2000億ドルと言えば表2の総額1105億ドルの約2倍である。ロッキード社が獲得した戦闘機の生産は米国用にとどまらず、同盟国英国、日本などでも、今後主力の戦闘機になる。主力戦闘機は、F16戦闘機やA10攻撃機、FA18戦闘機などに代わるもので、空軍1763機、海軍480機、海兵隊609機が購入予定されている。英国も空軍と海軍が150機購入、米英だけで約3000機の需要になる(2)。
史上空前の契約後、ロッキード社の株が高騰し、CEOらは「不況のなかこの受注によって危機を脱した」と述べている。まさに米英では軍需産業が最大の公共事業となっていることが分る。
■世界のエネルギー情勢と米国
筆者は、「米国のテロ報復戦争の愚」(1)の中で米国が中東で起こす戦争には、いつもエネルギー争奪や権益の確保があると言ってきた。これは第一次中東戦争でも、湾岸戦争でも、アフガン戦争でも変わらない。そこで次に、世界のエネルギー情勢と米国の関係について見てみたい。
2000年時点での世界のエネルギー消費は、石油換算で87.5億トンである。10年前の1990年との対比では11%増である(3)。表3の最新統計によれば、地域別割合は北米が26.4%,欧州18.2%、旧ソ連9.2%、中国7.5%、日本5.1%となる。北米の割合がEU全体よりも大きく、他地域を大きく引き離している。伸び率では旧ソ連はこの10年間で34%も減少しており経済の凋落がわかる。世界全体の26.4%を占める北米だが、米国はその81%、一国で全世界の23%の消費を占めている。
世界のエネルギー消費を一次エネルギー別に見ると、石油39.4%、天然ガス24.8%と、両者で64.2%を占めている。このうち石油は、米国が全世界の25.2%、日本8.1%、ドイツ4.2%、CIS3.9%、中国5.2%など、米国の消費割合が圧倒的に多い(4)。
1998年から1999年のエネルギーの対外依存率(5)では、米国の全エネルギーの輸入依存率は25.6%、石油が58.4%である。全世界の石油の24.7%を米国、15%を日本が輸入している。さらに世界の一人当たりのエネルギー消費を1999年の年間電力消費(実績値)で示すと、米国が16mwh/人、1998年対比で25%も増加している。ちなみに日本は6.5mwh/人、ドイツは6mwh/人である。米国人は日本人の2.5倍、ドイツ人の2.7倍の電気を使っていることになる。
次に、エネルギー供給について見てみよう。石油生産量(6)は全世界で現在、1日6534万バーレル、そのうちOPEC加盟国が2781万バーレル、42.6%となっている。国別ではサウジが12.7%で一位、旧ソ連諸国10.9%、米国9.6%、イラン5.7%、中国とベネズエラが4.9%、メキシコ4.7%、ノルウェー4.5%、英国3.8%、UAE3.5%、イラク3.3%、クウェイト3.1%と続く。1998年末の採掘可能原油量(石油埋蔵量)(7)は、サウジが全世界の25%、イラク11%、UAE、クウェイト、イランが9%、ベネズエラ7%、旧ソ連とメキシコが5%、その他が18%で米国は2%にすぎない。中東5カ国で世界全体の実に63%、イラクとイランで20%を占めている。可採埋蔵量を同年の生産量で割った可採年数は、1998年末でイラクが140年強、クウェイト130年弱、UAE120年弱、サウジ85年、イラン70年弱と、ここでも中東諸国が圧倒的に多いことが分かる。世界の平均可採年数は44年、米国はわずか7年である(3)。
天然ガスについて見ると、1998年末の埋蔵量は、旧ソ連諸国が全世界の36%、イラン15%、アジア大洋州8%、アフリカ諸国、カタールが7%、中南米、その他欧州が5%、サウジとUAEが4%、カナダなど北米は4%となっている。このように、天然ガス埋蔵量は、旧ソ連諸国と中東諸国をあわせると70%と圧倒的に多い。このように、エネルギー消費では米国が全世界の約4分の1と圧倒的に大きいこと、またエネルギー採掘量では、石油では中東諸国、天然ガスでは旧ソ連諸国と中東諸国が群を抜いて大きいことが分かる。要約すれば、イラク、イランなど中東諸国とカスピ海沿岸や中央アジアなどの旧ソ連諸国が世界のエネルギー貯蔵庫なのである。
ところで上記の統計には、どいうわけかアフガンがでてこない。これはアフガンにエネルギーがないからではなく、後述するように列強のエネルギー争奪戦略上の思惑からと推察される。事実、北部アフガンには膨大な天然ガスが埋蔵されその一部が生産されていたと言う旧ソ連時代の記録も出ている。では次に、米国がなぜかくもアフガンなど中央アジアにこだわるのかについて見てみたい。
■米国の中央アジアエネルギー戦略
クリントン政権時代から、米国の石油資本はカスピ海やアラル海沿岸のアゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタンなど中央アジア諸国に埋蔵される莫大な量の石油や天然ガスを掘削、搬出し、アジア諸国などに売りさばくと言う戦略をもっていた。ただ、米国は石油、天然ガスをCISやイランをパイプライン敷設で経由しアラビア海、インド洋に搬出するには軍事、政治的にみてリスクが大きすぎることを懸念していた。政情が不安となれば、いつ何時、苦労して得た権益が相手国側に行かないとも言えない。したがって、米国は独自にカスピ海沿岸など中央アジアの旧ソ連諸国の天然ガスや石油を北部アフガンから親米国パキスタンを経由してアラビア海に搬出する構想を持っていた。この点でカリフォルニアに本社を置く米石油大資本のユノカル社と米政府の利害は一致していた。(8)〜(11)
1995年、トルクメニスタンなどカスピ海諸国から北部アフガン、南西アフガンを経由しアラビア海に天然ガスを搬出する大規模なパイプライン計画がユノカル社によって計画され関係当事者に交渉を始めた。
1996年、アフガンではタリバンが首都カブールを制圧した。米政府はタリバンが反イランの立場をとっていたため、タリバンがイランの孤立化に役立つと考え大歓迎した。米政府には対CIS軍事戦略そしてパイプライン計画との関連でアフガンの存在を無視できず、タリバン政権との対立を回避したい思惑もあった。
1997年、米政府の支援を受けたユノカル社はアフガンと関係が深いネブラスカ大学アフガン研究センターに急接近した。同センターのグティエール所長は次のように述べている。「ユノカル社と年間90万ドルの契約を結びアフガンのバーミヤンとパキスタンのペシャワルにある難民キャンプ地域で住民の職業訓練や女性の教員養成を行った」と。だが、このプログラムは1年余りで終わっている。ことはそう簡単に進まなかった。
1997年12月17日の英テレグラフ紙(12)に次の記事がある。「米石油王、テキサスでタリバンをもてなす」と言う見出しで、「タリバンが戦争で混乱し、疲弊したアフガンでパイプライン敷設計画を米石油資本と20億ポンドで契約に署名する.....イスラムの勇士は、微妙な折衝、交渉を通じてではなく、旧来のテキサス流のもてなしによって、交渉を説得されていた.....アフガン代表団は4日間のテキサス滞在中、VIP待遇を与えられていた」と。
ところで、アフガンなど中央アジアのパイプライン利権に常時登場するユノカル社に関連し、聞き捨てならない事実がある。アフガン、イラン、トルコの政府筋によると、後にアフガン臨時行政機構議長(首相)を歴任し、現在アフガン大統領となっているハミド・カルザイが、ユノカル社の最高顧問であったと言うのだ。そのカルザイはユノカル社が大規模出資している中央アジアガス会社(CentGas)がトルクメニスタンからアフガンを経由しパキスタンにかけ1271kmに及ぶパイプラインを敷設する計画に関連しタリバンとの交渉窓口になっていた。カルザイが交渉を担当した中央アジアガス会社は、タリバン政権に敷設料として19億ドルを提示したとされている。ちなみに、ユノカル社が中央アジアガス会社株の46.5%を持っており、サウジのデルタ石油、トルクメニスタン政府、インドネシア石油、伊藤忠、韓国現代グループ、パキスタンのクレッセント・グループも資本参加している。
カルザイはアフガン南部出身のパシュトゥーン人、ドラニ種族のリーダーとし1980年代ソビエトと戦ったムジャヒディンのメンバーでもあった。さらに、彼はは中央情報局(CIA)長官ウィリアム・ケーシーやジョージ・ブッシュ副大統領(現ブッシュ大統領の父)それにパキスタン諜報局(ISI)とも親密な関係を維持し、相互にアフガン情報をやりとしていたとされる。実際、カルザイとその兄弟はCIAの支援のもと、米国に移住していた。このようにカルザイは中央アジアの情報収集者、また米国またブッシュ一族のエネルギー獲得のエージェントとしてアフガンとの間で継続的な交渉窓口を担ってきたと言える。日本のマスコミは来日時、カルザイの素性について報道せず、ベストドレッサーなどと報じていたが、彼はことのはじめから米政府、CIA、ユノカル社のアフガンに関するいわば「手先」であったと推察される(13)。
1998年8月、クリントン政権はアフガン国内のテロリスト訓練キャンプを巡航ミサイル、トマホークを撃ち込み、ビンラディンの引き渡しを執拗に迫った。これはビンラディンがアフリカ北部諸国での米国大使館爆破の首謀者であるということが理由となっている。同年11月4日、米政府はビンラディンを米大使館連続爆破事件の首謀者として起訴したが、タリバンはビンラディンはアフガンの「客人」であるとして米国への引き渡しを拒否した。ここでユノカル社が1995年来進めてきたアフガンでのパイプライン敷設計画は帳消しとなった。ユノカル社は「タリバン政権下のアフガンは不安定であり、パイプライン敷設のための投資はできない」と言う撤退声明を出した。この時期、CIAやFBIは、米国大使館爆破の首謀者とされ北アフリカにいたビンラディンをいつでも逮捕できる状態にあったが、自分たちの組織延命のため敢えて逮捕しなかったと言う情報もあった。
■中央アジアの石油・天然ガス埋蔵量
1999年、米下院の委員会でヘリテージ財団代表は、アゼルバイジャン、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなど中央アジア4カ国の石油埋蔵総量は150億バーレル、天然ガスの埋蔵量は9兆立方メートルあると推測されると証言した。また、アフガン研究所は、中央アジア4カ国の化石燃料埋蔵量は金額で3兆ドルに上ると報告している。またアフガンそのものについても、旧ソ連占領時代にアフガンの天然ガス探査が行われ、埋蔵量は5兆立方フィートあるという報告があることも分った。さらに1970年代半ばにはアフガン北部地域で、日産2億7500万立方フィートの天然ガスを産出していたと言う記録もある。だが、当時はムジャヒディーンによるゲリラ活動と、旧ソ連軍撤退後の内戦でアフガンの天然ガスの生産はストップしていた。タリバンが政権をとった後、アフガン国内の天然ガスの生産と販売の権利を持っていたのはアフガン・ガス会社であった。
1999年、図1に示すようにアフガンでマザリシャリフまでのパイプラインの修理工事が開始された。しかし、これはあくまでもアフガン国内市場向けのガス生産であり、輸出向けではなかった。また1999年11月、米国立ち会いのもとトルコと中央アジア関係国がアゼルバイジャンのバクーからトルコのジェイハンに至るカスピ海油田のパイプライン事業計画に調印したが、当時エリツィン大統領は不快感を示した。それはロシアの影響下の中央アジア諸国が米国になびいたからである。
米国による対テロ戦争、アフガン戦争はマザリシャリフから始まった。図6を見れば、なぜマザリシャリフからなのかが分る。アフガンのエネルギーの要所を掌握したと推察できる。
■ブッシュとエネルギー利権
ここでブッシュについて触れておこう。
ジョージ W.ブッシュは、ハーバード大学経営大学院を卒業した3年後の1978年、石油掘削会社、アルブスト・エネルギー社を設立している。その石油関連会社に、オサマ・ビンラディンの長兄にあたるサレム・ビンラディンがブッシュの友人であるジェームズ・バースを代理人に約7万ドルを投資したとされている。ジェームズ・バースは、ブッシュ一家と親交が深く、テキサス州ヒューストンに住んでいた。このアルブスト・エネルギー社設立が、ブッシュが石油ビジネス界に入る直接的なきっかけであり、ビンラディンとの因縁のはじまりとされている(14),(15),(16)。
1980年代、米国で中東系信用銀行(BCCI)をめぐり金融史上最大の預金詐欺が起った(17)。被害総額は100億ドルに上ったと言う。BCCIは米国中央情報局(CIA)が当初、アフガンのムジャヒディンやイランのコントラを支援する資金の洗浄が目的で設立されたと言われている。このBCCIの実質的な所有者はサレム・ビンラディンであった。サレムが飛行機事故で死亡した後、米国で金融事業を引き継いだのはサウジ人のハリド・ビンマハフーズと米国人のガイス・ファラオンである。ビンマハフーズの米国におけるビジネスパートナーが、ブッシュの友人ジェームズ・バースであったとされている。
1986年、アルブスト・エネルギー社は米国の石油関連会社、ハーケン・エネルギー社に吸収合併され、ブッシュはハーケン社の重役に就任した。ところが1990年6月22日、ブッシュはハーケンの株を大量に売り抜け、約85万ドルを得たとされている。その1週間後、ハーケンは4期に2300万ドルの損失を出し株価も急落した。さらにその後6ヶ月間に株価は60%下落した。ブッシュは他の株主が大損益を出すなかで、ひとり利益を得たとされている。ハーケンの経営が苦難に陥ったなかで、サウジの王族のアブドラ・タハ・バクシュ王子が同社の17.6%の株を取得したが、この資金を裏から拠出したのがサウジア人のビンマハフーズであったとされる。
このように、ビンラディンとブッシュは、今から20年も前から「深い因縁」があったことになる。日本では朝日新聞が概要を伝えただけでほとんど知られてない。
ブッシュが大統領となった2001年、ブッシュは、すぐさまユノカル社が中央アジアで展開し挫折したパイプライン敷設計画の再建に乗り出したとされる。ブッシュは,そのため実質的にタリバン政権を支援していたのである。パイプライン敷設のためにはタリバン政権の安定が必要と考えたからである。
当時FBIの副長官だったジョン・オニール(18)は、1993年のニューヨーク市世界貿易センター(WTC)爆破事件や1996年のサウジ米兵隊爆破、1998年のアフリカでの米国大使館爆破の調査を担当しており、ビンラディン捕獲プロジェクトの中心人物だった。オニールによるビンラディン調査は質量ともに膨大なものであったとされるが、それらはブッシュ政権により隠蔽され続けてきたと言う。オニールは「テロ調査にとって最も大きな障害はユノカル社など米石油資本の利権にあった」とさえ述べている。
そのオニールは、FBI退職後、あのニューヨーク市の世界貿易センタービルの安全管理会社の責任者となっていた。そして同時多発テロ時、WTCビル内で人びとを救出しようとして亡くなった。ジョン・オニールは米国でもっともビンラディンに詳しい人物とされている。
ブッシュ政権とファミリーの実態
ブッシュ政権を上述の軍需産業やエネルギー産業との関連(19),(20)で見ると、その利権的性格が明白となる。軍需関係から見よう。ミネタ運輸長官は世界最大の軍需企業ロッキード・マーティンの輸送システム・サービス担当の上級副社長である。父ブッシュ時代に湾岸戦争でも「活躍」したチェイニー副大統領の妻リン夫人もロッキードの元重役、さらにアフガン戦争で陣頭指揮をとったラムズフェルド国防長官も同社軍事シンクタンク部門の理事長である。ロバート・カード、エネルギー省次官は閉鎖されたコロラド州の核兵器工場で原子力安全基準に違反し100万ドルの罰金を科された核廃棄物浄化請負業者カイザーヒル社の社長兼CEOである。
次にエネルギー関係である。チェイニー副大統領は、世界20か国10万人の社員を擁する石油関連企業、ハリバートン社のCEOを歴任している。彼は「エネルギー計画の策定作業にエネルギービジネスにくわしい人間が入っているのは有益だ」と語りっている。事実ブッシュ政権にはチェイニーの肝いりで、エネルギー業界の幹部やロビイストたちが多く集められている。米国のNPOがエネルギー省諮問委員会63委員の経歴を調査したところ、50人がエネルギー業界出身、そのうち27人が石油・ガス業界、17人が原発・ウラン採掘業界、16人が電力業界、7人が石炭業界で再生可能エネルギー関連はわずか1人であることが判明した。またエバンス商務長官は天然ガス・石油関連企業、トム・ブラウン社の経営責任者の実績を持つ。ライス安全保障担当大統領補佐官もブ石油関連産業に関与している。スティーヴン・グライルズ内務長官補佐は、石炭・石油・ガス開発会社ユナイテッド社のロビイストだった。同時に石油・石炭・電力業界の利権を代表しワシントンを本拠地に活動する「全国環境戦略」の元副会長でもある。ドナルド・エヴァンス商務長官はデンバーに本拠を置く石油企業トム・ブラウン社の元役員である。
周知のように、同時多発テロの後の2001年12月2目、米エネルギー卸売り最大手企業、エンロン社が経営破綻した。このエンロン杜と上記のブッシュファミリーとの癒着が次第に明らかになっている。ブッシュ自身は自身が設置した石油関連企業などでもインサイダー取引疑惑があった。テキサス州を本拠地とするエンロン社CEOのレイ前会長とブッシュはテキサス州知事時代からの知人である。大統領選でレイは最大の個人献金者だったという。エンロンからの政治献金は、ブッシュ大統領だけではなくアシュクロフト司法長官、経済担当大統領補佐官リンゼーはじめ上下院の多くに及んでいる。チェイニー副大統領とレイ前会長も親交がある。さらにチェイニー副大統領の主導で策定された米国のエネルギー政策がエンロンに有利なようにとりはかられたという疑惑も急浮上し、政権を揺るがす疑惑へと発展している。だが、ブッシュ政権はエンロン疑惑から国民の目をそらせるかのごとく対テロ戦争を拡大している。
同時多発テロ直前の隠された会合
本稿では、同時多発テロとその後の報復戦争には触れない。しかし、同時多発テロの50日前まで、看過できない交渉がベルリンで数度開催されてたと言う。
それは米、CIS、パキスタン、ドイツの高官などによる秘密裏の会合である。米側はそこでアフガン国内に巨大なパイプライン敷設のための土地使用料をタリバンに供与する交渉を行っていたが、結局、タリバンは最後まで会合に参加せず、ブッシュの特使はタリバン側に宣戦布告とも言える「捨てせりふ」をはき帰国したと言う。その50日後に同時多発テロが起きたことになる。以下はフランスの公共テレビ局、チャンネル3が放映した「断片からの確信」(Pieces a Conviction)(21)の概要である。詳細は「非戦」(幻冬舎)(1)にあるので参照されたい。
国連アフガン特使F・ヴェンドレルは、軍事的でなく政治的な代替策を出しアフガン内戦を終わらせ、タリバン政権の国際的孤立に終止符を打つ和解案を練った。2000年11月中旬、ベルリンのパレス・ホテルに主要国政府筋の要人がひそかに集まった。米国4人、ロシア4人、パキスタン4人、イランから数人が出席した。2001年3月、再度秘密裏にベルリンで会合した。膠着状況を打破するため、タリバンに示す政治的提案を話し合うものだった。
以下は会議に出席したパキスタン元外相ナイクの話。「われわれは、国を再建するための技術援助や財政援助を受けることができれば、タリバンの態度を変えられるかもしれないと期待していた。具体的金額はなかったが、アフガンが平和と安定を取り戻し、カスピ海からのパイプラインを敷設できれば、コミッションとしてタリバンは何10億ドルもの金を手にしたはずだった。その資金を使って自前で資源開発を始めることもできた」と。
3度目の会合は2001年7月17日から21日にベルリンで開催された。タリバンと北部連合の両者を招き、交渉を開始する予定だった。だがタリバンの会合参加拒否によって水泡に帰した。「私はイスラマバード駐在のタリバン大使と個人的に話し合ったうえ、ベルリン行きを説得するためカンダハルとカブールに使節を送った。タリバン側に『ぜひ来るべきだ。米国、イラン、パキスタンとなどの重要なメンバーにタリバンの考えを伝える絶好のいチャンスだ』と促した。さらに『ドイツもいるのでEUの代表にも会えより幅広く国際社会にアクセスできる』と説得した。だがタリバンは来なかった」
タリバンが参加を拒否した理由はヴェンドレルだった。彼は国連代表だ。国連はタリバンの国際制裁の責任者だ。もし参加すれば、懸案事項について国連とも話し合わなくてはならなくなる。この時はじめて「米側のトム・サイモンス元大使が『タリバンが適切に振る舞わず、パキスタンもタリバンに責任ある振る舞いをさせることができなければ、米国はアフガンに対し明白な行動をとることもありうる』と語った。そこで私は彼に尋ねた。『大使、1998年に米国はアフガンに巡航ミサイルを撃ち込んだ。だがビンラディンを捕まえることはできなかった。しかもミサイルのうち数発は私たちの上に落ちてきた』と。すると彼はこう言った。『あれは手はじめだった。だが今回、われわれが明白な行動を取ると決めれば、アフガンのもっと近くからミサイルを撃つことになる』。私は言った。『パキスタンか? パキスタンはいかなる状況下でも軍事基地を置くことは許可しない』。彼は答えた。『いや、すでにタジキスタンに基地がある。米国の軍事アドバイザーが入っている。17000人のロシア兵もいる。それにウズベキスタンにもわれわれの軍事基地がある』。タシケント近くに軍用飛行場があることはよく知られていた。そこでわれわれは帰国すると、やりとりをすぐに政府と外相、諜報機関に知らせた。米国が9月11日よりはるか前、タリバンへの軍事行動を念頭に置いていたことを最初に示すものだった」
サイモンス元大使はこれを否定した。ナイキは「話を歪め、誇張している。私が話したのは、米側がアデンで攻撃目標となった駆逐艦コール号の証拠を調査しているということだった。もしビンラディンがその背後にいるのなら、何らかの軍事的報復をすることもありうると決めた。だが、パキスタン代表団メンバーは、イスラマバードに戻ると『侵略が進行中』と報告したのだ」。ナイクはさらに言う。「非公式の会合では、後から『あれは個人的な意見にすぎない』と自分の発言を否定することもできる。だが私自身は、サイモンスの発言には国務省の後ろ盾があったと思っている」。 2001年7月末から8月はじめにかけ、パキスタンの首都などに一つの噂が駆けめぐった。戦争の噂である。だがこれらの話を世界の国々は無視した。
米国の思惑の通り事が運んだ
そして9.11に同時多発テロがおき、米国主導のタリバン掃討作戦がアフガンで展開された。ここで、今まで述べてきた米国とブッシュによる中央アジアのエネルギー争奪と利権について検証して見たい。結論を先に述べれば、事はすべて米国やブッシュの思惑通りに運んだと言える。
アフガン戦争が一段落した2001年12月4日夜、ドイツのボン郊外で開かれた国連とアフガン4派の暫定政権協議は、暫定行政機構の閣僚29人を選び、議長にハミド・カルザイの就任を決めた。カルザイは上述の米石油大資本のユノカル社最高顧問でCIAやブッシュ家と通じた人物であり、その後、アフガンの大統領となっている。
一方、中央アジアからアフガン経由でパキスタンに至る天然ガスの大規模パイプライン敷設計画も大きく動き出した。2002年5月30日の毎日新聞(22)は次のように報じている。「計画は、今後のアフガン和平プロセスと密接にからむ上、米国など大国の資源戦略とも連動し、この地域の将来に重要な位置を占めると言う。パイプラインのルートは、トルクメニスタン南部のダウラタバードからアフガン南西部を抜け、パキスタン南部グワダル港に至る全長約1400km、総工費は推定で25億ドルと巨大な額である。....アフガン暫定行政機構のカルザイ首相とトルクメニスタンのニヤゾフ大統領は29日、調印式に臨むためパキスタン入りした。計画が動き出せば、関係国への経済効果は計り知れない。輸出国トルクメニスタンはもとより、アフガン、パキスタンも年間それぞれ5億ドルの使用料収入が見込めると言う。.....これに対しアフガン情勢に詳しいパキスタン軍情報機関のグル元長官は『米国が昨年の同時多発テロ後、アフガンで対テロ戦争を始めたのはテロリスト掃討だけが目的ではない。この地域の情勢を安定化させ、自国の利害にかなう資源戦略を実行したいとの狙いもある。アフガンや中央アジアへの軍駐留もその目的に沿う』」と指摘した。.....今回の計画には世界銀行やアジア開発銀行も既に支援方針を打ち出している。天然ガスに加え、アゼルバイジャンのバクーからアフガンを抜けてグワダル港に至る石油パイプラインの敷設計画も浮上しており、背後には中央アジア・カスピ海資源をにらんで主導権を握りたい米国の強い意向が働いているとみられる」と(23)。
この種の動きは、米国だけでなくロシアについても言える。プーチン大統領は、カザフスタンなど中央アジア諸国とカスピ海諸国を結ぶパイプライン敷設の障害となっていたチェチェンを対テロとして攻めたてた。レーガン米政権でエネルギー政策を担当したロビンソン・ウエストは「テロ事件で最も勝利を収めたのはロシアだ。米国がメキシコ湾を押さえているように、ロシアは中央アジアを傘下に収めた」と言明している(24)。
かくして、父親のジョージ・ブッシュが湾岸戦争でイラク、イラン以外のクウェート、サウジなどの中東諸国を配下におき膨大なエネルギー資源を掌中に収めたように、ブッシュ大統領は、対テロ戦争のもとアフガンや中央アジアの巨大な石油・天然ガスそれにパイプライン敷設の権益をしっかりと掌中に収めた。その主役はブッシュとユノカル社幹部のカルザイである。
終わりに
筆者は、「米国のテロ報復戦争の愚」(1)を以下で締めくくった。
「こうみてくると、米、旧ソ連超大国のテロ報復戦争の影に隠れた真の戦略が見えてくる。イスラム過激派そして大規模テロ根絶の名の下に、自分たちの権益や立場を強固にし、経済的にも利権を分配すると言う、おぞましい過去の帝国主義の歴史を21世紀に繰り返すことだ。ブッシュ政権や軍事評論家は、21世紀の新たな戦争などと言っている。だが、現実は相も変わらず米国やCIS両超大国の軍事政治的さらに経済的な世界支配が展開されていると我々は認識すべきかも知れない」。
まさに、この危惧が的中したことになる。しかも、対テロ戦争で明らかになったことは、世界の総軍事費の4割を占めつつある米国の暴走を抑止できる国はいないと言うことである。西側だけでなく、CISや中国も国内の独立勢力をテロと決め付け、これを機に一気に掃討作戦を展開している。日本でもアフガン戦争を期に、自衛隊の実質的な海外派兵が行われ、さらに有事法制化や憲法9条改正が具体化されつつある。
かつて西欧の哲学者は「無知ほど怖いものはない」と言った。その通りである。戦争が起きるときは、いつも真実が隠される。本稿が人びとに、報道機関が提供しない情報を提供できたとしたら幸いである。
【引用文献及び主な参考文献】
1)青山貞一、米国のテロ報復戦争の愚、非戦(幻冬舎)収録、2002年1月10日発行
2)次世代戦闘機:ロッキード・マーティン社に委託 米国防総省、毎日新聞、2001年10月27日
3)BP統計
4)世界のエネルギー事情、Japan Power News
5)OECD、エネルギーバランス、1998-1999
6)前田高行、石油・天然ガスの生産量と埋蔵量、中東協力センターニュース、2000年6/7月号
7)OPEC、年間統計ブレティン、1998年、OPEC、エネルギーバランス、1998年〜1999年、
8)The Bush Oil-igarchy's Pipeline Protection Package Filed, http://www.ariannaonline.com/columns/files/022102.html
9)Pipeline Politics Taint U.S. War by Salim Muwakkil, March 18, 2002, Chicago Tribune
10)The Deadly Pipeline War, US Afghan Policy Driven By Oil Interests, http://www.commondreams.org/views01/1208-04.htm
11)Afghanistan, the Taliban and the Bush Oil Team, http://globalresearch.ca/articles/MAD201A.html
12)「石油王はテキサスでタリバンを求める」、英テレグラフ、 1997年12月17日号
13)Afghanistan, the Taliban and the Bush Oil Team by Wayne Madsen, Globalisation
14)George Walker Bush、http://www.famoustexans.com/georgewbush.htm
15)ジョージブッシュのビブリオグラフィー、http://geocities.com/CapitolHill/Senate/4124/issues.html
16)ブッシュの石油利権関連情報、http://www.counterpunch.org/tomenron.html
17)北沢洋子、アフガニスタン戦争と石油利権,http://www.angel.ne.jp/~p2aid/kitazawa_afganandoil.htm
BCCI事件、http://www.fas.org/irp/congress/1992_rpt/bcci/01exec.htm
18)FBIのジョン・オニール副長官について、http://toogoodreports.com/column/general/makow/20020213.htm
19)暗い見通し:ブッシュ政権と企業とのつながり、ワールドウォッチマガジン、2001年7/8月号
20)銘苅三郎、アメリカの世界戦略と沖縄の行方、http://www.cnet-ta.ne.jp/jishu/pdf/mekaru85.pdf
21)断片からの確信、フランス公共放送チャンネル3
22)パイプライン:アフガン経由で建設 関係3カ国が覚書に調印、毎日新聞、5月30日
23)カスピ海油田開発へパイプライン9月着工、日経新聞、2002年7月8日
24)ロシアの変化、テロで加速、毎日新聞、2002年2月14日朝刊