★阿修羅♪ > 戦争97 > 520.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 陰謀論者は陰謀の主役を担う 投稿者 Mグループ 日時 2007 年 10 月 28 日 21:31:13)
わたくしは、現在タケシの番組「911疑惑」を、何度もリプレイとスローをかけなおして見直しておりますが、その方法が、番組で提示されている画像や映像について、一つ一つ、根気よく画面とにらめっこしながら、できるだけネットで検索できる学説やナマのデータに当たりながら、考察している次第です。まだ、結論は出ておりませんが、事件の再構成を行い、自分なりの結論を出す所存でございますだす。
ま、印象といえば、映像がまるで手品師がネタを隠して、視聴者の眼前で手先を上手にこねくりまわしているような感じがします。手先の動きに集中するために、裏のネタが見えない。錯覚を誘導し、而して「仮説」があたかも「事実」かのように、視聴者に映るのですね。そしてこれに続く、圧倒的な「感動」。まるでヒットラーの意を受けたゲッペルス宣伝省の制作のよう。
一度見終わって納得し、二度と見る機会がなければ、やはり視聴者の頭の中には、「911は爆弾を使った陰謀だ」という「仮説」は「事実」として「インプット」されてしまうのです。おまけに「疑問を持って自分のために考えてください」という言葉をつけて、意味付与してます(つまり、仮説ではなくて事実として受け入れろという暗示であり、マインドコントロールではないのでしょうか)。
実際、資料や学説を読み返しながら、何度も見直しているうちに、「おや」から「おやおや」、さらに「おやおやおや」、最後は「ヒエーーーーーッツ!」という驚愕に打ちのめされるときが何度あったことでしょう。そのときの思いをうまく表現できる能力に欠ける私です。思考力が、タケシという「映画監督」または「ドキュメント編集長」に劣っているがゆえに、番組の問題点をうまく解明することができておりません。これまでいろんな人が述べてきている内容にもわが身を置いてみて、推察してみたりします。
このような推察も、実証主義に裏打ちされていなければなりません。実証されたデータをもとに「事実」を社会的「現実」として捉え返すならば、テロの実行主体がだれなのかは、それなりに物質的=実体的根拠をもって特定することができます。
ネット検索をしているうちに下記のような記事をみつけましたので、余計なことかも知れませんが、ご参考までに貼り付けさせていただきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
平和に生きる都市
五十嵐太郎(東北大学助教授 建築史・建築評論)
(抜粋)「大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮ではまく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、すぐれて女性的な素質と態度の持ち主でもある。そして、このような感情は、決して複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。」「そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎か、正義か悪か、真実か嘘か、だけが存在するのであり、半分は正しく半分は違うなどということは決してありえない。」
以下、本文を引用します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●9.11のテロリストと建築家のニアミス
戦争の3段階論というのがあります。ポール・ヴィリリオ*という、もともと建築・都市の研究やデザインをやっていた人で、いまメディア・テクノロジー評論家として有名な人がいますが、この人が防御、攻撃、情報の時代と、3段階に分けています。2番目がルネサンスぐらい。3番目がいまやっていっていることで、相手が何をするか監視することによって抑制する。おそらく、先制攻撃論が、さらにこの延長にあると思うんですけれども、9.11以降、こうした状況がますます進行していると思います。『戦争と建築』は、 2001年の9.11のテロを受けて書いています。これについてちょっと、僕の思っていることを紹介したいと思います。この事件は、すでに語り尽くされていますが、敢えて建築の立場から、あまり指摘されていないことを言います。
9.11の同時多発テロで、ワールド・トレード・センターという建物が崩壊しましたが、アメリカ対イスラムの構図、自由主義対原理主義の構図というふうに、二項対立的に語られます。しかしマイケル・ムーア*の映画でもブッシュ家とサウジアラビアの関係が紹介されたように、実は建築のレベルでもなかなか不思議な因縁があるんですね。
ミノル・ヤマザキという人はこのワールド・トレード・センター〔図版19〕を設計した人間ですが、日系のアメリカ人です。ビン・ラディンは言うまでもなく、テロ首謀者とされる人ですね。モハメッド・アタという人は、飛行機が2機突っ込むんですが、1機目をハイジャックした中心人物で、最後は操縦桿を握っていたと言われる。この3人は完全に全く違う世界にいたのではなく、様々なところですれ違っていたような気がします。
まずミノル・ヤマザキの両親は日本人です。20世紀の初頭に日本人移民がいっぱい住んでいた、シアトルにこの人も生まれています。小さい時は貧しい移民の生まれで、日本人であることで差別も受けながら、けっこう苦労して勉強してアメリカの大学を出て、建築家として大成して、しかもワールド・トレード・センターを設計するようになる。ある意味ではアメリカン・ドリーム、大成功するわけです。
そのヤマザキの出世作品になったのは、実は空港なんです。セントルイスの空港は50年代にできています。空港というのはちょっと因縁深いなと思うんですが。彼はサウジアラビアでもいくつかプロジェクトをやっているんですね。空港を2つ、あとビルのプロジェクトもやっています。そもそもなぜサウジアラビアに空港を作るプロジェクトがあったかというと、サウジアラビアにアメリカ軍が駐屯する見返りで、アメリカのお金で空港を作るとかいうことでできたらしいんですけれども。
彼はそのときに、イスラム的なものに関心を寄せて、自分のデザインに取り入れようとした。ミノル・ヤマザキはもともと東洋系なわけですよね。彼は 1950年代に日本の神戸でアメリカ領事館を設計したとき、日本の古建築を見て感銘を受けたり、世界旅行をして東洋の建築にもすごい興味を持つんです。たぶん、どこかで自分の出自のこともあって、何か東洋的なものに惹かれる。で、自分の中で西洋のモダニズム建築がずっとそのままいくのではまずいんではないかと、東洋的なものをどうやったら自分のデザインに組み込めるのかということを考えるようになるんですね。
ワールド・トレード・センターの細部を見てほしいんですが〔図版20〕、先っぽがちょっととんがった尖頭アーチが、ビルの足元と頂部についているんです。高層ビルのデザインはだいたい足元と頂部にポイントが来るんで、そのいちばん大事なところにこの尖頭アーチを入れています。このモチーフというのは、近代建築のデザインには絶対に出てこないものです。これは中世のゴシック建築にも登場しますが、イスラム建築でもよく使われています。これが彼のすごくお気に入りのモチーフになるんです。
よく知られているように、ビン・ラディンの家はサウジアラビアで最大のゼネコンです。国立モスクの施工なんかも手がけている、すごく重要な会社です。そうするとミノル・ヤマザキのプロジェクトも、ひょっとしたらビン・ラディンの家でやってたのではないか、まあこれは推測ですけれど。そこまでつながってなくても、ビン・ラディンがミノル・ヤマザキの設計したサウジアラビアの空港を使ったことは、たぶんあったんじゃないかなと思います。そういう意味で、すごいニアミスがある。
飛行機をハイジャックして操縦桿を握ったモハメッド・アタ*という人については、わりと詳しい追跡調査が出てるんですけれども、この人はもともと建築を勉強しています。エジプト人で、カイロの大学で建築を勉強した後、ドイツに行って都市計画を研究しています。西洋に追従すると限界がある。そこでイスラム的な都市はどうあるべきかを考えなければいけないと、修士論文で言っているらしいんですね。
そうすると、ミノル・ヤマザキの考えたことと、モハメッド・アタの考えたことは、実はすごく近い。もしこの2人が建築家とテロリストとして出会わなければ、お互い話をして意気投合したかもしれないとさえ想像したくなります。アタがどれぐらい建築に詳しいか知りませんが、ヤマザキの思想を知ってたのだろうかと、ふと考えさせられます。
テロの話でも、世界が2つに分かれているから起きたのか、それともテロが世界を分けているのかと考えると、後者のような気がしてならないんですね。つまりあの事件によって、資本主義のシンボルとしてのワールド・トレード・センター対イスラムみたいなものが2項対立であるかのごとく語られてしまうけれども、実際はもっと複雑にからみあっていた。それを忘れてはいけないと思います。
「大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮ではまく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、すぐれて女性的な素質と態度の持ち主でもある。そして、このような感情は、決して複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。」「そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎か、正義か悪か、真実か嘘か、だけが存在するのであり、半分は正しく半分は違うなどということは決してありえない。」
これは誰が言っているかというと、アドルフ・ヒトラー*の言葉なんですけれども、ブッシュの言っていることはこれに似ているなあと思うんですけど。
さらに参考です。URLのみです。
世界貿易センターと建築家
http://www.shouzou.com/essay/worldtradecenter.html
http://www.shouzou.com/essay/worldtradecenter.html