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(回答先: 【沖縄】米空軍大尉の息子、日本人女性の顔をビール瓶で殴り、その後レイプした容疑で逮捕、毎日 投稿者 小沢内閣待望論 日時 2007 年 10 月 10 日 16:56:23)
http://jp.youtube.com/watch?v=wXjs5MpPRtw
復帰前のコザ市(現沖縄市)の映像だすな。
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第9回 Violence City KOZA
(コザ暴動編パート1)
http://umachido1.cool.ne.jp/essay/essay9/index.html
コザの民衆がついに立ち上がった。
起こるべくして起こったこの暴動であるが、決してコザでは起こってはならない事件でもあった。なぜなら、事が起これば真っ先にダメージを受けるのがコザンチュ(コザの人)であるからだ。
軍はすぐにコンディション・グリーン(外出禁止)を発令、当然のようにコザのBCストリート、ゲイトツーストリートはオフリミット(立ち入り禁止令)になってしまう。
このオフリミットが発令されると、たちまちにしてひとつの繁華街が消滅してしまうほどの打撃を何度も経験しているコザで起こったということは、コザ市民の心うちの複雑さ、米軍への積もり積もった恨みの深さ、いかに軋轢が大きかったかを物語っている。
事の起こりは車同士の追突から始まった。そのとき私はゲイトツーストリートでの演奏を終え、諸美里にある家へ帰る途中であった。現在のサンエー中の町店の向かい側を歩いていた、そのときだった。
外人車両が民間人の車の後部に当たってしまった。
事故そのものはたいしたことは無さそうだったが、双方の運転手が車から出てきて話し合っている。
ぶつけた外人の態度がやけにふてぶてしく、ぶつけられた側の方が、なにやらちぢこまっているように見受けられる。
やがていつものようにMPの車がやってきて処理をしようとしていた。
そう、いつものように処理が進んでしまうのだろうと思っていたのだが…。
様子を遠巻きに眺めていた野次馬たちがガヤガヤと騒ぎ始め、
「ケイサツ、ユベー!(日本の警察を呼んで処理をさせろ!)」の声が上がり、「ヤサ、ヤサ(そうだ、そうだ)」の大合唱。
道行く車の運転手も、何の騒ぎだとばかりに横目で見ながら通過していたのだが、 野次馬根性に勝てずにわき見運転をしていた外人の車が、またしても民間人の車にぶつかってしまったのだ。
(南日本新聞 「南点」2004年5月7日)
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第10回 Violence City KOZA
(コザ暴動編パート2)
http://umachido1.cool.ne.jp/essay/essay10/index.html
事故現場の周りに集まっていた人々が、いつの間にか何百人もの群集に膨れ上がっており、2度目の事故を見つめていた。
「ヤナヒャー、イチマディン、イッターンカイ、ウシェーラッティ、ナイミ、タックルシェー!
(この野郎、いつまでもこいつらになめられてたまるか、ぶっ殺せー!)」
群衆の中からあがった叫び声と同時に、2台の車に乗っていた米兵を引きずり降ろし、車を揺さぶり始めた。車の揺れはどんどん大きくなり、とうとうひっくり返ってしまった。
車から流れ出たガソリンに誰かがタバコを投げた。「ボンッ」、小さな爆発音を上げて車が火を噴いた。
火を噴いたのは車だけではなかった。長年抑圧されてきた琉球民族の怒りにも火をつけてしまったのだ。
炎を揺らめかす群集の瞳には、狂気が宿り始めていた。
軍隊も出動し、群集心理に拍車をかけることになった。
中の町通りは軍隊と群衆のにらみ合いがしばらく続くこう着状態の中、一触即発の様相を呈した。
ゴヤ十字路側に陣取った群集と諸見側に隊列を組んだ軍隊とのにらみ合いが、どれほど続いていただろう。
群衆がじりじりと軍隊側に迫っていくと、気圧された軍隊はにわかに後退りを始めた。
軍隊が50メートルほど後退したところで、いきなり空に向かって威嚇射撃を始めたのだ。この行為がついに群集を爆発させてしまった。
人々は「トォーヒャ、ウッチユースルムヌヤラー、ウッチ、ンデェー(さー、撃てるものなら撃ってみろ!)」と叫びながら前列に並んでいた軍車両に群がり、あっという間に車をひっくり返し火をつけた。軍隊はさらに後退を余儀なくされてしまった。
スタート地点の中の町から島袋三叉路まで、道端に止められていた米軍関係車両およそ150台が無残にも焼けてしまい、その中には私の友人(米兵)自慢の高級車も含まれていた。
(南日本新聞 「南点」2004年5月21日)