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(回答先: タンシュエSPDC議長の右腕といわれる政商所有の会社が営業停止か(ブログ:ミャンマー関連ニュース) 投稿者 竹中半兵衛 日時 2007 年 9 月 30 日 00:31:35)
息潜めるミャンマー市民 デモから足遠のく
朝日新聞 9月30日
2007年09月30日00時05分
ミャンマー(ビルマ)軍事政権の徹底的なデモ弾圧が続く最大都市ヤンゴンでは、一時は10万人まで達したデモの参加者が日を追うごとに減り、29日は小規模にとどまった。背景には、射殺さえためらわない治安部隊への強い恐怖心がある。市民らは息を潜めて状況を見守るが、心の中には怒りとあきらめが同居しているかに見える。
この日午後、街の一角に約100人の市民がデモのために集まると、駆けつけた治安部隊が警棒で襲いかかり、何度も殴打。市民らは逃げ出したが、5人前後が拘束された。目撃者は「激しい殴り方だった。とても耐えられないだろう」とAFP通信に語った。
朝日新聞の現地通信員を通じて、ヤンゴン市民の声を拾ったところ、軍政に対する不満が強い一方、デモへの参加に慎重になっていることなどがうかがえた。
デモに参加したことのある20代の男性は、治安部隊が発砲したため、命からがら逃げた。両親や近所の人たちはいつも生活の苦しさを嘆き、8月15日の燃料費の値上げが追い打ちをかけた。デモに参加したのは「何とか状況を変えたい」との思いからだった。
だが、その後はデモに加わっていない。政府への憤りは今も強いが、デモ参加者の数が減るのは「みんな怖いから仕方ない」と思う。しかし、一度でも自分の意思表示をしたことは「間違いではなかった。次の機会を待ちたい」と話した。
一方、デモに加わらなかった40代の会社員は、軍政がそう簡単に崩れるとは思っていないという。生活に不満はあるが、「守るべき仕事も家庭もあるから」とだけ答えた。
50代の女性は、外国からのラジオ放送で、北部にある僧院が軍部隊に急襲され、約200人の僧侶が連行されたことを知った。「なんていうことを。もう軍人を見るのすら怖い。買い物にも行けない。とにかく早くこんな状況が収まってほしい」と話した。
反政府デモはこのまま沈静化するようにも見えるが、在ヤンゴンの西側外交筋は「軍政の暴力的なやり方は、市民の怒りを確実に高めた。うっ積した憤りがいずれ、何かのきっかけで再び爆発する可能性もある」と指摘している。
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ビルマ(ミャンマー)人民による軍政打倒の戦いは、これまでと同じ軍事政権の凶暴の限りを尽くした弾圧で敗北を余儀なくされた。ポンジーたちの決起があって、市民や国民民主連盟(NLD)がこれに呼応する形で盛り上がった。闘争形態はあくまで非暴力をつらぬいたもので、殺生を禁じる仏教の教えに忠実だったからだと思う。
(参考)
日刊ベリタ9月27日号
ビルマ(ミャンマー)でいま何が起こっているのか? シュエバ(田辺寿夫)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200709271723104
闘争形態が、非暴力のデモだけで有効なのかどうか。軍事独裁政権はデモ隊が武器をもっていないのだから、平然とデモ隊に対して無差別発砲を加え思想弾圧(逮捕と拷問)を加える。市民に対する日常的な監視と思想統制、反ビルマ・独立を唱える少数民族への武力攻撃など、まさしく中国が行っている弾圧と同一のものだ。こういう軍事独裁に対して抵抗勢力が仏教徒もブルジョワ民主主義者も、平和主義オンリーでは、軍事政権にとっては非常に統治しやすい状態にあると思う。人民の生活が困窮すればするほど軍事政権の基盤は強化される(そのこと自体は人民への恐怖の表れだす)。
その限りでは、ミャンマーの反政府運動は、かつて闘った反英闘争や独立のための武装闘争とは違って、非暴力を徹底する分だけ自然発生的とならざるをえない。非暴力で急進化して犠牲を出す結果となるのはこれまで何度も体験してきたことで、これからどうこの限界を乗り越えるのか、軍政の鉄鎖のもとで奴隷的状態を強いられているミャンマー人民の深刻な課題である。たとえ坊さんたちが仏の教えに従って殺生を否定して非暴力を通そうとも、現状は不変であることが明らかになったのである。
この限りでは貧困の根源的蓄積が進んできているミャンマーもスターリニスト中国も、権力者にとっては弾圧対象が非暴力で立ち向かってくるという危機的状態なのだ。また、ミャンマー人民をここまで困窮させている世界中の共産主義者も労働組合も、奴隷的状態を解放するための(つまり革命を行うための)運動の波及をまったく行おうとしない。
パレスチナ、アフガニスタン、イラク、と我々はシオニストや帝国主義者による人民への殺戮攻撃を現に見ているのだ。そしてミャンマーでの軍政や、スターリニスト中国や北朝鮮のネポチズム支配下で苦しむ人民が苦しさをいかに訴えても、国連がなにかをできたわけではなく、各国の反対運動も帝国主義とスターリニズムの前には無力であることを知っている。
20世紀は戦争と革命の世紀と言われ、21世紀は時代が19世紀に戻った観があり、9.11を端緒として戦争と暗黒の世紀に突入したと思う。世界が日米帝国主義と中露との対立(角逐)で推移してゆく中で、帝国主義諸国においては社民主義もスターリン主義的運動も各国の帝国主義のもとに編みこまれてしまい、体制内運動と堕したことが、世界の二極化(新冷戦構造)をもたらしている根拠である。したがって社会をもう一度見直してみると、世界中のプロレタリアが帝国主義・スターリン主義(実体的には中露)のもとで、前衛を欠いたまま呻吟しているのが、偽らざる現実だ。
この現実を出発点として流血を伴った即自的な自然発生的戦いを向自的な、永続的な戦いに止揚することが今問われていると痛感する。