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(回答先: 撃墜王(撃墜数202機)/零戦撃墜王 「零戦虎徹」 岩本 徹三氏の三号弾(三号特爆)による対編隊爆撃機攻撃 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2007 年 9 月 07 日 03:14:01)
瀬島氏は多くの高級軍人と同じく、
戦後語るべき真実を語らなければならない地位にいながら
口を噤んだまま鬼籍に入りました。
瀬島氏の台湾沖航空戦戦果誤報の訂正電報握り潰しにより
フィリピン戦で、多くの若者が散らさなくていい命を
散らしました。
世上シベリア抑留の密約ばかりが取り沙汰されていますが、
瀬島氏にとってはこの台湾沖航空戦戦果誤報の訂正電報
握り潰しのほうが、触れられたくない真実だったと思います。
それは瀬島氏がわざわざこの件で秦郁彦氏にワイフ宛電話を
寄越させ、一時間も言い訳をさせたことからも伺えます。
台湾沖航空戦戦果誤報訂正電報握りつぶし事件は下記参照
http://www7a.biglobe.ne.jp/~gwife/yamashita.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~gwife/sejima_sekinin.htm
その真相も語らずに、懺悔もせずに、若者の何倍も生きて、逝去。
http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/721.html
そもそもフィリピン戦があのような惨憺たる戦いになった元凶は、当時大本営参謀であ
った瀬島氏(陸士44期)が、鹿屋に派遣されていた堀栄三参謀(陸士46期)の、昭和19年10
月にフィリピン戦のさきがけとして行われた台湾沖航空戦の戦果誤認訂正電報 (堀参謀
は海軍の戦果発表に疑問を抱き、独自に調査した結果、海軍の戦果発表は全くの誇大で
ある事実 <註1・これを元にフィリピン戦を行えば確実に齟齬が生じる> )を大本営に
打電した。(海軍自体も後に戦果誤認に気がついたが、間違った過大な戦果が既に上聞に
達した=天皇陛下のお耳に入ったという理由で訂正しなかったのであるから、当然一義的
な責任は海軍であるが) 註2 参考 下記へ
瀬島氏がその電報を握り潰したせいで、連合軍の艦隊は壊滅状態という海軍のでたらめ
な発表を元にフィリピン戦の作戦が立てられ、あのような大東亜戦争で最大の犠牲をも
たらし、フィリピン国民にも多大な迷惑をかけたのである。(註3)
ワイフは昨年の交通事故以来、体調が回復せず、なかなか田舎に帰れないので資料が
手元になく、正確な前後の記述や状況は省略するが、前出堀栄三氏とともに大本営参謀
であった朝枝繁春氏(陸士45期)の数々の自筆の証拠等も実家の複数の箇所に保存してあ
る。
瀬島氏はシベリア抑留から帰った後で、堀氏に対して上記の電報握り潰しの件がシベリ
ア抑留中も一番気にかかっていたと、抑留から帰り多分まだ何の地位も名誉もない一番
しがらみのない人間らしい状態の時にはっきり伝えている(詫びている)。
世上、シベリア抑留中の態度を評して、瀬島=悪、草地(草地貞吾元関東軍高級参謀・大
佐)=善、のような見方が横行していますが、シベリア抑留中の態度はどちらかといえば
個人の態度です。瀬島氏も草地氏も責任をとるべきは戦争中、大本営参謀なり高級参謀
であった時期のミスであるはず。草地に関しては私のホームページ
(http://www3.to/ladywolf (シベリア立法推進会議のなぜ「今シベリア抑留」か? )で
下記のように既に少し触れているが、このような悲惨なことになったのも草地貞吾を始
めとする関東軍の高級参謀が、チタ等の特務機関からの情報(ソ連の侵攻は夏ごろ)を分
析もせずに、ただ「ソ連の侵攻は秋になってからであってほしい」という何の根拠もな
い希望的観測にすがっていたからである。これではまるで宗教である。こんな無能の輩
が戦後復活した軍人恩給ではのうのうと高額を貰いながら、自分の格好付けの文章を書
いていた。日本の敗戦の原因の一斑は間違いなく、陸軍も海軍も無能な高級軍人の責任
である。
瀬島氏は関東軍へは終戦間際に皇族軍人の代わりに派遣されたので、こと戦時中の
責任といえば、瀬島氏の場合は、フィリピン戦に関しての責任をこそ問われるべきなの
である。瀬島がシベリア抑留関連について努めて毀誉褒貶の「毀」「貶」に弁明しない
のは、ワイフから見ればもっと大きなフィリピン戦のミス隠しと映る。
山下奉文将軍が戦犯とされたのはフィリピン戦の関係というよりも、大東亜開戦当初の
シンガポール戦の復讐のような要素が大きかったので、その意味では瀬島氏には責任は
ない。しかし惨憺たるフィリピン戦を招いたことに対しては、海軍とともに陸軍の当事
者として大きな責任がある。しかもそれはまだ戦後明らかにされていない。知らない人
が多いから今回のような揮毫ともなるのである。そのような人物が揮毫して(当然瀬島氏
の名前も残る)未来永劫に子孫に伝えるというのは、それを瀬島氏が全金額を負担するの
であればともかく、純粋に英霊を思う多くの「血税ともいえる浄財を元にしてでは、こ
れではフィリピン戦に斃れた多くの英霊の魂が浮かばれない。瀬島氏が山下将軍を始
め、本当のフィリピン戦の英霊にこたえる道は、そんな揮毫ではなく、フィリピン戦の
隠された真実を、その犠牲になった英霊たちの子孫もいる日本国のために明らかにする
ことである。
瀬島氏らと同じ戦中派世代、大正生まれ(瀬島氏は明治生まれであるが)の石井一昌氏
が勇気を持って自分のホームページ http://www.ishiikazumasa.com/ 「狼は吠える」
で発表しているように、今生き残っている戦中派世代の責任は、戦前戦後を通じての自
分たちのミスや不甲斐なさを日本の国の建て直しのためにさらけ出すことである。それ
なくして、形だけ整えても、英霊は喜ばないし決して浮かばれない ! ! 「仏つくって
魂いれず」 平成16年8月4日記す(8月5日註3追記)
ゴジラズワイフ(軍事史学会会員)
文中「註」はゴジラズワイフ
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註2
大東亜戦争のフィリピン戦関係における昭和19年10月20日の大本営発表
台湾沖航空戦の戦果
轟撃沈 航空母艦 11隻
戦艦 2隻
巡洋艦 3隻
巡洋艦若しくは駆逐艦 1隻
撃破 航空母艦 8隻
戦艦 2隻
巡洋艦もしくは駆逐艦 1隻
艦型不詳 13隻
その他火焔火柱を認めたもの12を下らず
撃墜112機(基地における撃墜を含まず)
しかし実際の米国ハルゼー艦隊の損害は
飛行機 89機
巡洋艦 2隻大破
航空母艦には1隻の損害も無し
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註3
東京新聞8月5日夕刊9面「永井隆からの手紙」によると、昭和24年1月「長崎
の鐘」の発売条件として、抱き合わせに所収されたのが「マニラの悲劇」というフィリ
ピン戦でのフィリピン国民の受難を描いたものであるが、当時の占領政策により当然
フィリピン人の悲劇は日本軍の蛮行のせいとされている。そしてその蛮行を止めさせる
ために原爆使用が必要であったとの展開である。つまりフィリピン戦は戦後の占領政策
において原爆の正当化にも利用されたわけで、その意味でも「台湾沖航空戦の電報握り
潰し」の瀬島の責任は大きいと言わざるを得ない。