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撃墜王(撃墜数202機)/零戦撃墜王 「零戦虎徹」 岩本 徹三氏の三号弾(三号特爆)による対編隊爆撃機攻撃
http://www.asyura2.com/07/war95/msg/443.html
投稿者 救国の草莽の志士 日時 2007 年 9 月 07 日 03:14:01: fzrYJ5Wj4Dt36
 

(回答先: 日本軍トップの撃墜王(撃墜数202機)/零戦撃墜王 天下の浪人「零戦虎徹」 岩本 徹三氏/空戦八年の回顧 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2007 年 9 月 06 日 22:05:21)

岩本は三号爆弾による対編隊攻撃の名手としても知られた。彼とその仲間たち(岩本飛曹長、小町定上飛曹、熊谷鉄太郎飛曹長ら)は三号弾(三号特爆)による対編隊爆撃機攻撃の名手であり、戦後の回想録および複数の目撃証言でその詳細が明らかにされた。三号弾は17年後半に導入されたが非常に成功確率の低い兵器で主に敵編隊のかく乱に使われていた。昭和18年12月ラバウル、彼ら古参搭乗員は小隊を組んで試験的に実施した最初の攻撃で帰途集結旋回中の編隊26機を一気に撃墜、その後機会があるごとに熟達し、一撃で艦爆14機、トラック基地B-24迎撃戦では余裕のある接敵さえ適えばほぼ確実に命中できる域にまで達したという。(三号特爆)SBD艦爆30機、B-24重爆 協同24機。 一方他部隊では思うように戦果を挙げることが出来ず、指導要員として岩本らを寄越すよう度々要請してきたが、補給の優先順位等で含むところのあった岩本の上官は、それらの要求に頑として応じなかった。

昭和19年2月、米機動艦隊により大損害を受けたトラック島の防御を固めるため二五三空はラバウルより撤収しトラック島に移動。岩本も以後トラック島にて防空戦に従事した。ところがそれ以来部隊はほとんど補充を受けることが出来なかったため[11]、遂に可動機数不足に陥り、昭和19年6月、機材を自力で補充するべく空輸要員を内地に派遣。岩本もその一員として帰還した。当然機材受領後にトラック島に復帰する予定だったが、帰還直後に米軍のサイパン侵攻が始まり、戻るための主要空路が遮断されてしまった。このため復帰は取り止めとなり、岩本はしばらく木更津空にとどまったあと、8月、岩国の第三三二航空隊に異動となった。この時期までに飛行時間8000時間を超えてしまっていた[12]。

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