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秦郁彦が金学順さんの証言をでっち上げ(3)   blog*色即是空
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投稿者 Kotetu 日時 2007 年 6 月 28 日 10:52:51: yWKbgBUfNLcrc
 

(回答先: 「従軍慰安婦」の証言が信用できない理由   西岡昌紀 投稿者 西岡昌紀 日時 2007 年 6 月 27 日 22:20:23)

2007-06-23■秦郁彦が金学順さんの証言をでっち上げ(3)


前回のエントリでは秦郁彦氏が、「養女に出された経緯」に関して金学順さんが矛盾した証言をしているかのようなトリックをしていることを証明しました。

今回は以下の主張に反論したいと思います。

秦氏は、「妓生を養成する家」の養父を(参照:6/19エントリ)に「売春業者」と言い、妓生学校出身のことを(参照:6/19エントリ)を「娼婦予備軍」と恣意的な解説をしています。

表6-1は本人からのヒアリングをもとに整理したものだから、多少の記憶違いや聞き違いはあるとしても、重要なポイントでいくつかの差異があるのか問題だろう。たとえば再婚した実母が娘を40円で売った(Ad)事実は訴状にもB、Cにも出てこない。

戦前の日本でも、身売りにされた娘は売春業者の養女という形式をふむ例が多かったから、彼女の場合も典型的な身売りのケースだったと思われる。

その養父とともに中国に行き、慰安婦になった事情もはっきりしないが、現地で転売されたのかもしれない。慰安所の輪郭も明確さを欠くが、軍医の検診があったこと、利用料金の話がAに出てくるところから、ごくありふれた慰安所の一つだったのだろう。

Bだけに実父が日本軍に殺されたとか、中共軍や光復軍と関わりがあったかのような話が出てくるのも、ふしぎだ。有名になって来日した時の証言なので、単なる慰安婦ではなくて抗日家でもあったとPRしかたったのかも知れない。

訴状だけが学順の生年を1923年としているのも、気になる。韓国は戸籍制度が完備しており、沖縄で亡くなった元慰安婦の生涯を追跡調査した川田文子『赤瓦の家』(筑摩書房、1987)には、本人に代わって川田が本籍地の役場や近隣を訪ね、一族の消息を調べあげる過程が記録されている。

4種類の情報源を比べると、本人の生年もあやふやな裁判所への訴状がもっともお粗末という感じだが、全体を眺めて日本政府が責任を負い謝罪せねばならぬ部分がどこなのか、首を傾げる人が多かろう。

とくに韓国では娼婦予備軍と見られているキーセン出身はまずいと思ったのか、最初の報道ではこの点を伏せていたらしい。

<表6-1>金学順証言の異同

  A B C
a 生年 1924 Aに同じ 1924・10・20
b 父の死亡事情 事情は不明。 独立運動家で日本軍に撃たれ死亡。 死因は知らない。
c 母の再婚 14歳の時に再婚。 母の再婚を嫌い家出。 Bに同じ。
d キーセン 母が40円でキーセンへ売った。 養女としてキーセン修業3年。 平壌の「妓生券番」に3年通う。
e 中国行きの事情 若すぎて朝鮮で営業許可が出ないため、1941年中国へ行けば稼げると養父に言われ。 お金を稼ぐために養父につれられ。 養父が金もうけをしようと中国へ同行。
f 慰安婦にされた事情 北京の食堂で日本将校にスパイと疑われ養父と別々に、そのままトラックで慰安所へ。処女を奪われた。 Aに同じ(中国語ができたので中共軍の密偵役もやった)。 養父をおどして日本兵が慰安所に連行、3ヵ月後に趙の手引きで脱走。
g 脱走と結婚 4ヵ月後に朝鮮人アヘン商人の手引きで脱走し、42年上海で金貸し。 Aとほぼ同じ(上海で韓国独立の光復軍と連絡)。 Aと同じ。
h 現在の心境 私をこんなにした奴らをズタズタに引き裂いてしまいたい。 日本政府が悪かったと謝罪しない限りは、私の気持ちは晴れません。 体験を暴露して、スッとした気持ちになりたかった。

A 挺対協編『証言強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』の証言(原著は1993年2月、邦訳は93年10月刊行、ヒアリングは91年か)

B 解放出版社編『金学順さんの証言』(1993年2月刊行、91年12月来日時の金証言)

C 伊藤孝司編『証言従軍慰安婦女子勤労挺身隊』(1992年8月刊行、伊藤のヒアリングは不明)

(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』p.180)

秦氏(否定派)のリクツはこうです。

妓生=売春業。

→金学順さんは妓生出身。

→軍慰安婦にされても文句は言えない。

まず、「妓生」=売春業というのが事実誤認です。否定派の中には「妓生」と現代の韓国の性風俗店「キーセンハウス」を混同している主張も見られるので、李氏朝鮮時代の「妓生」と日本植民地支配下の「妓生」それぞれに検証する必要があるでしょう。次の「妓生文化」に関する解説文をご覧ください。

妓生の起源は新羅王朝中葉とも高麗王朝初葉ともいわれている。だが、その存在が社会的に認められるようになったのは朝鮮王朝に遷ってからで、官庁にももっぱら歌舞音曲を扱う官妓が雇われ、これを妓生庁が管理したことによる。したがって妓生は官庁に属し、料亭や置屋に属するものではなかった。古典小説『春香伝』のヒロイン春香と悪代官との葛藤からもそれは裏がきされる。


朝鮮が日本の植民地支配下におかれてから、それまでの官妓はすべて検番に登録された。それ以来、妓生はいわば私妓となった。植民地時代にもソウルと平壌に妓生学校が設けられて妓生教育をほどこしたが、平壌の妓生学校とそこを出た妓生については金史良の小説にしばしば描かれている。なお、この妓生たちによってもっぱら語り唄をはじめ、古典文学として文字化される以前の音楽・舞踊などが伝承・保存されてきた。「名唱」ともてはらされた歌い手にこの世界からの出身者が多かったのは、理由のないことではない。これは日本の義太夫などの伝承形態ともいちじるしく類似するものであろう。

(安宇植編訳『アリラン峠の旅人たち』p.72)

李朝時代も日本植民地支配下も「妓生」の本業は芸能でした。単純に言えば日本でいうところの「芸妓」でしょうか。ただ李朝時代の「妓生」がまったく売春と無縁だったかと言えばそうではありません。以下、歴史学者の藤永壯教授による解説です。

朝鮮王朝時代の妓生は、基本的に中央や地方の官庁に所属する「官妓」であり、いわゆる「八賤」のひとつ―賤民の身分に置かれていた。その主な役割は、宮中・官庁で行事や宴会があるときに歌舞を演じ、出席者の接待にあたることである。ソウルで宮中行事などに参席する官妓は、中央官庁に所属する「京妓」と、地方官庁から送られてきた「郷妓」(または「選上妓」)―とくに平壌は名妓の産地として有名である―から構成されていた。また官妓は官吏の求めに応じて自宅で宴を催し、酒食を提供したり歌舞を披露することもあった。しかし妓生に対する国家の給与は充分ではなかったため、朝鮮王朝時代の後期になって、下級官吏が「妓夫」(または「妓生書房」「仮夫」)と呼ばれる後援者となり、この妓夫の仲介によって、特定の男性と性的関係を結んで金銭を受け取り、場合によっては妾として扱われるようになった。

しかし、不特定多数の男性を相手にした売春が専業の「娼妓」または「軍慰安婦」とは違うことはおわかりいただけると思います。

金学順さんが軍慰安婦にされたのは日本植民地支配下のことですから、その時代の「妓生」の実状が重要です。この頃、朝鮮半島に公娼制度が導入されましたが、「妓生」は公娼ではありません。この時代、自ら警察に出向いて娼妓名簿に登録した者にしか売春は許されていません(参照:5/25エントリ)。もしも「妓生」が売春をしたとすれば密売春として取り締まりの対象になったのです。前述の藤永壯教授の論文から引用します。

植民地朝鮮における日本の公娼制度は、1916年の「貸座敷娼妓取締規則」をはじめとする一連の接客業取締規則の制定を契機に確立した。それはたんに法制度が整備されたという意味からだけではなく、従来の朝鮮人接客女性(妓生、隠君子、三牌、色酒家・蝎甫)が、日本の警察当局が定めた「芸妓」「娼妓」「酌婦」という分類にあわせて再編成された現象をも含んでいる。遊廓に集中させる基本方針がとられた娼妓と、それ以外の接客婦との間は、空間的にも理念的にも明確な線引きが図られ、娼妓=公娼以外の「売春」する女性は私娼として摘発の対象となった。

http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/seoul/seoul3.html

したがって「妓生」=売春業というのは誤った解釈です。

次に、ここからが肝心なのですが、金学順さんは妓生ではありません。金学順さんは妓生養成学校に通い卒業しましたが、年齢が満たなかったため役所から妓生(キーセン)として働く許可を得ていません。ですから、本来「キーセンを養成する家に売った」「キーセン学校出身」という表現をすべきところで、表Ad「母が40円でキーセンに売った」、解説文「キーセン出身」と表現することは不適切です。秦氏は何としても金学順さんを「売春婦」とイメージ操作したいのでしょう。

私が養女として行った家は平壌府キョンジェ里133番地でした。その家には私より先に来ていた姉さん格の養女が一人いました。私はその家でクムファと呼ばれました。その姉さんと私は平壌の妓生巻番[妓生養成学校]へ一緒に通いました。その巻番は2階建てで、門に大きな看板もかけてあり、生徒も300人ほどおりました。私は2年ぐらい巻番に通って、踊り、パンソリ、時調[朝鮮の代表的な歌謡形式]などを熱心に学びました。

巻番から卒業証書を貰えば正式に妓生になって営業することができるのでした。ところが19歳にならないと役所から妓生許可が下りないのです。卒業した年、私は17歳だったので卒業しても営業することができませんでした。それで養父は私を連れてあちこち駆けずりまわり、許可を得ようと必死でした。私が年齢より体が大きかったので、養父は年を大目に話したのですが、役所からは実際の年が17歳だからだめだと言われました。

(挺対協編『証言強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』p.43)

否定派は、金学順さんに売春婦というイメージを刷り込むことで、日本軍が免責されると勘違いしているのでしょうが、そもそも「妓生」は売春業ではない上に、金学順さんは「妓生」ではないので、否定派の論理は2重に破綻しています。

最後に、秦氏は「典型的な身売りのケース」「現地で転売された」と言いながら、「日本政府が責任を負い謝罪せねばならぬ部分がどこなのか、首を傾げる人が多かろう」と主張していることに反論します。

「慰安婦にされた経緯」(参照:6/16)を見れば、金学順さんは将校らに強制的に養父と引き離され連れて行かれています。この状況を秦氏は「身売り」と言ってるわけで、いささか疑問も残りますが、もしも人身売買だとすれば養父から金学順さんを買い受けた側の日本軍の行為も違法だということを解説します。

旧刑法第33章は「略取及び誘拐の罪」を定め、その226条第2項で「日本国外に移送する目的を以て人を売買し又は被拐取者若しくは被売者を日本国外に移送したる者」に「2年以上の有期懲役に処す」と定めていますから、軍人に金学順さんを売った養父はこの「国外移送目的略取等」の罪に該当します。

第226条〔国外移送拐取、人身売買〕

日本国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス

・日本国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被売者ヲ日本国外ニ移送シタル者亦同シ

〔昭二二法一二四本条改正〕

http://library.law.kanazawa-u.ac.jp/codes/OLD/M402_33.html

また、旧刑法第227条第3項では、「営利又は猥褻(わいせつ)の目的を以て被拐取者又は被売者を収受したる者は六月以上七年以下の懲役に処す」と定めていますから、人身売買された者を買い受けることも違法としています。養父から金学順さんを買い受けた日本軍はこの「被拐取者収受」の罪に該当します。

第227条〔被拐取者収受〕

第二百二十四条、第二百二十五条又ハ前条ノ罪ヲ犯シタル者ヲ幇助スル目的ヲ以テ被拐取者又ハ被売者ヲ収受若クハ蔵匿シ又ハ隠避セシメタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ処ス

・第二百二十五条ノ二第一項ノ罪ヲ犯シタル者ヲ幇助スル目的ヲ以テ被拐取者ヲ収受若クハ蔵匿シ又ハ隠避セシメタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ処ス

・営利又ハ猥褻ノ目的ヲ以テ被拐取者又ハ被売者ヲ収受シタル者ハ六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス

・第二百二十五条ノ二第一項ノ目的ヲ以テ被拐取者ヲ収受シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス被拐取者ヲ収受シタル者近親其他被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者ノ憂慮ニ乗ジテ其財物ヲ交付セシメ又ハ之ヲ要求スル行為ヲ為シタルトキ亦同ジ

〔昭三九法一二四第一項改正・二項・四項追加〕

http://library.law.kanazawa-u.ac.jp/codes/OLD/M402_33.html

秦氏や否定派は、悪いのは金学順さんを売った養父で日本軍には罪がないと思ってるようですがとんだ見当違いのようです。


blog*色即是空
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070623

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