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(回答先: 先の大戦は、日本帝國海軍/岩佐直治命海軍中佐(軍神)の魚雷攻撃から始まり、米国海軍駆逐艦モナハンの爆雷に撃沈された。 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2007 年 4 月 04 日 22:37:59)
戦争のもう一つの”隠された史実”−真珠湾攻撃の2時間前に米軍側の先制の第1撃の爆雷攻撃で戦争は始まったー
投稿者 救国の草莽の志士 日時 2007 年 1 月 15 日 16:47:28: fzrYJ5Wj4Dt36
米軍駆逐艦モナガンの先制爆雷攻撃で沈められた、
伊号第二十二潜水艦から放たれた五隻の特殊潜航艇
の一つに搭乗していた搭乗員で、亡くなられた最初の
犠牲者の軍神「海軍中佐 岩佐直治 命」が、
靖国神社の遊就館の下記サイトに詳細に紹介されていた。
その遺体が発見されたという記事が2002年8月28日に
公表された。真珠湾攻撃の61年後の発見である。
ここに、本当の第二次世界大戦の歴史が明らかになる。
http://www.asyura2.com/2002/war15/msg/232.html
http://www.yasukuni.jp/%7Eyusyukan/
英霊の紹介
海軍中佐 岩佐直治命
昭和十六年十二月八目ハワイ真珠湾にて戦死
昭和十六年十二月七日夜、ハワイの真珠湾周辺に進出した
潜水艦から計五隻の特殊潜航艇が湾内に向けて発進した。
この中の一隻に搭乗したのが岩佐大尉(当時)であった。
発進後、岩佐艇は米水上機母艦カーチスと、駆逐艦モナガンを発見し、
二本の魚雷を発射したが、一本はドックに命中し、もう一本は海岸で爆発した。
この時、モナガンは岩佐大尉の搭乗する潜航艇の上を乗り切り、
爆雷攻撃を加え岩佐艇を撃沈した。
その後引き上げられた艦内から大尉の軍服の袖章が見つかり、
戦後遺族に返され、また遺族から靖國神社に奉納された。
昭和十六年十二月七日に記された大尉の別辞には
「本艦二乗艦シテカラ約一ヶ月呉出港以来三週間一同ノ熱誠ナル協力卜絶大ナル努力トニ依リマシテ唯今眞珠湾外二十浬ノ地點二達スルコトガ出来マシタ
此ノ上ハ天祐ヲ確信シ神助ニヨリマシテ目的ノ貫徹ヲ期シ私ノ最後ノ任務達成ニ向ツテ出撃致シマス
終ニ臨ミ伊號第二十二潜水艦ノ武運長久ヲ祈リマス サヨナラ」と書かれている。
遊就館 展示室16 岩佐中佐遺書 展示室16 岩佐中佐軍帽
海軍中佐 岩佐直治命(みこと) も、さぞかし、日本の独立を
お喜びになるでありましょう。
日本軍の真珠湾攻撃の2時間前に
日米戦争は、米軍側の先制の第1撃の爆雷攻撃で
戦争は始まり、海軍中佐 岩佐直治命こそ、
その米軍側の先制の第1撃の犠牲者でありますのだから!!
海軍中佐 岩佐直治命(みこと) は、歴史の証言者である。
奇襲攻撃は、米軍の岩佐海軍中佐登場の特殊潜航艇の爆雷刻劇
による撃沈が最初であり、日本軍の奇襲攻撃ではなかったのだ。!!!!!
日本は、米国のシオニスト・ユダヤによって嵌められたのである。
http://www.worldforum.jp/information/2007/01.html