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(回答先: この中東の権威学者先生も板垣雄三氏も、第三次世界大戦突入を前に警告。「破滅的な米のイラン攻撃 対テロ戦争=第2段階入り」 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2007 年 4 月 04 日 22:04:31)
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/toku-iwasa.htm
軍神第一号 岩佐直治命 海軍中佐 略歴
大正 4年 5月 6日 群馬県前橋市出身
昭和13年 3月16日 海軍兵学校卒業(65期)
軍艦「磐手」乗り組み、乗艦実習
昭和13年 6月19日 軍艦「熊野」乗り組み
昭和13年12月 1日 軍艦「鵙」乗り組み
昭和14年11月20日 軍艦「比叡」乗り組み
昭和15年 5月31日 軍艦「鹿島」乗り組み
昭和15年11月15日 特殊潜航艇搭乗員として「千代田」乗り組み
昭和16年 1月 特殊潜航艇の投下訓練開始/倉橋島、三机湾
昭和16年 4月15日 特別攻撃隊発令
昭和16年11月18日 特別攻撃隊(伊22潜)として出撃/倉橋島
昭和16年12月 8日 発進、戦没(享年26歳)/ハワイ真珠湾
昭和17年 4月 8日 九軍神の合同海軍葬
九軍神
九軍神合同海軍葬
昭和16年11月18日/伊22潜掌水雷長藤沢中尉の日誌
「万端の準備完成 不要物件故郷に送付 其れとなく出征の報をなす 〇九〇〇亀ヶ首に至り
格納筒(注:特殊潜航艇のこと)搭載」
昭和16年12月 6日/伊22潜掌水雷長藤沢中尉の日誌
「愈々Χ日の前日となる 波は依然としてをさまらない 激浪を浴びて頗る危険を犯して格納
筒に錘及食糧搭載 予備バンドを離脱す (後略) 」
昭和16年12月 7日/伊22潜掌水雷長藤沢中尉の日誌
「〇一二九潜航 一三四五浮上 愈々ハワイ港外に到着 今夜格納筒を離す 昼食時 奇
襲部隊岩佐大尉及佐々木兵曹の壮行祝宴を開く (中略) 日本刀を佐々木兵曹に負わ
せ士官室にて移乗を待つ姿の雄々敷とや云はん神々敷とや云はん方なし 総員配置に就
く 伝声室より岩佐大尉の挨拶あり 艦内寂し○○ 岩佐大尉の声に 少しの淀みもなし」
昭和16年12月 7日/伊22潜岩佐大尉の挨拶
「本艦に来艦してから約一ヶ月呉出港してから三週間 一同の○勢なる協力と絶大なる努
力に依りまして 只今真珠湾港外二〇浬の地点に達することが出来ました 此の上は天
佑と神助に依りまして目的の貫徹を期し 私の歳後の任務達成に向て出発致します 終
りに臨み 伊22潜の武運長久を祈ります さようなら」
昭和16年12月 7日/真珠湾
午前8時35分、米応急出動艦「モナハン」は真珠湾内を航行中、水上機母艦「カーチス」
の信号(敵潜水艦発見)を認知。「モナハン」は全速力で航行、特殊潜航艇に激突しその
上を乗り越えた。更に爆雷攻撃を加えその全部を吹き飛ばした。
この特殊潜航艇はその後泥中から引き上げられ、搭乗員二名の遺体が発見された。
米海軍は葬送の儀礼を行った後、二名の遺体と共に潜航艇を当時建築中の潜水艦基
地の基礎に埋めた。
昭和22年 3月
米海軍当局は特殊潜航艇の遺品として、泥にまみれた海軍大尉の一種軍装の袖章を
日本へ送還した。
特別攻撃隊の隊員中、大尉は岩佐直治しかいない。
この袖章は遺族へ送付され、その後靖国神社へ奉納された。
辞世
桜花散るべき時に散りてこそ
大和の花と賞らるるらん
身はたとえ異境の海にはつるとも
護らでやまじ大和皇国を
靖国神社
東京都千代田区
岩佐中佐の制服袖口と遺書
松竹院
群馬県前橋市
岩佐中佐墓碑
墓域
岩佐中佐遺書碑(旧) 岩佐中佐遺書碑(新)
戦時歌謡「特別攻撃隊」碑 戦時歌謡「軍神岩佐中佐」碑
特殊潜航艇
更新日:2006/07/30