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http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-705.html から転載。
古賀峯一提督殉職(海軍乙号事件)
昭和を平成年号で追体験するシリーズを久々に書く。昭和19年の初めは日本軍は大陸方面では、インパール作戦、大陸打通作戦などの攻勢にでるが、太平洋戦線ではマーシャル諸島、トラック島空襲など徐々に米軍の圧力が強まっていた。そんなとき起きたのが、連合艦隊司令長官古賀峯一提督の遭難である。
連合艦隊では米軍の圧力から主力を守るために、それまでの「日本軍の真珠湾」であるトラック島からパラオに避難していた。
しかし、パラオも危険とみて3月31日、古賀長官らはダバオへ二機の二式大艇に分乗して向かうことになった。
だが、その途中で低気圧に飲み込まれた。
古賀長官が乗っていた一番機は行方不明となり全員殉職した。
二番機はセブ島沖に不時着し、乗っていた福留繁参謀長ら連合艦隊司令部要員は泳いで上陸したがゲリラに捕虜にされた。
そしてもっていたZ作戦計画書、司令部用信号書、暗号書などを奪われてしまう。
福留繁参謀長らはゲリラとの交渉によってのちに解放されるが、計画書などは米軍の手に渡ってしまい、こののち連合艦隊の暗号は米軍に筒抜けとなる。
ところが、福留はこの事実を連合艦隊に明らかにせず、連合艦隊も事件を隠蔽。福留を第二航空艦隊司令長官に栄転させる。
その結果として、マリアナ沖海戦をはじめとした連合艦隊の作戦は、事前に米軍の知るところとなり、多大な損害を被った。
日本軍は兵器だけでなく、人間組織のうえでも劣化していたのである。
「海軍ご都合事件」と言い換えてもいいだろう(^_^)