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(回答先: Re: test 投稿者 gataro 日時 2007 年 6 月 24 日 10:39:55)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-88.html から転載。
2007/06/24/Sun
沖縄戦「集団自決」と安倍捏造教科書検定
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撤回は困難と首相認識示す
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24865-storytopic-3.html
(2007/06/23 琉球新報)
安倍晋三首相は23日午後、沖縄全戦没者追悼式出席後、記者団の質問に答え、沖縄戦の「集団自決」への軍関与を削除した文部科学省の教科書検定について「これは(文科省の)審議会が学術的観点から検討している」と述べ、検定の撤回は困難との認識をあらためて示唆した。
首相は沖縄戦について「集団自決を含むいろんな悲惨な出来事があった」と言及。県議会や市町村議会で検定撤回を求める意見書可決の動きが広がっていることについては「悲惨な出来事が住民の心をも深く傷つけたとあらためて認識した」と述べるにとどめた。
米軍再編については「地元の声に耳を傾け、抑止力維持と地元の負担軽減の観点から着実に進めなければいけない」との考えも重ねて示した。
安倍首相は同日午前に来県し、国立沖縄戦没者墓苑で献花した後、追悼式に参列。あいさつで「沖縄の方々が塗炭の苦難を経験されたことを私は大きな悲しみとする。国際平和を誠実に希求し、不断の努力を行うことを誓う」と述べた。
在日米軍再編の推進も強調。ことしが復帰35年に当たることにも言及し、沖縄の自立経済構築とに向けて取り組む姿勢を強調した。
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>「これは(文科省の)審議会が学術的観点から検討している」
よくまぁ、いけしゃあしゃあと「学術的観点」とか言えるよなぁ
( `・ω・´) 歴史の捏造を画策してる確信犯のくせにぃ
安倍一派の「つくる会」関係者が削除に関与
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-86.html
歴史の捏造を裏で容認し続け、だんまり決め込んでいる安倍捏造内閣
文科省職員である教科書調査官・村瀬信一は、新しい歴史教科書を執筆、監修した伊藤隆の弟子のようだが、「つくる会」は内紛に次ぐ内紛で、扶桑社版はもう事実上絶版である。
扶桑社は、「つくる会」から分裂した「日本教育再生機構」(理事長・八木秀次)と歴史教科書をつくることにしているようである。伊藤隆は日本教育再生機構の教科書づくりに参画するとみられている。
http://miyagi.no-blog.jp/nago/2007/06/post_bcde.html#more
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次は、ウソが大きいという意味では“大”新聞の3Kの社説を紹介
【主張】沖縄戦集団自決 文科省は検定方針を貫け
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/58551/
沖縄県議会で、教科書の沖縄戦集団自決に関する記述に付けられた検定意見の撤回を求める意見書が、全会一致で採択された。県議会で与党最大会派の自民党までもが国の検定方針に異を唱えたことは残念であり、沖縄県の特異な政治状況をうかがわせる。
意見書は「集団自決は日本軍の関与なしに起こり得なかった」「教科書記述の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものだ」などとしている。
しかし、文科省の検定意見は、日本軍の命令によって住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に対して付けられたものだ。軍の関与や体験者の証言を否定しようとはしていない。
集団自決は昭和20年3月下旬、米軍の第1陣が沖縄本島西の渡嘉敷、座間味島などに上陸したときに起きた悲劇的な出来事である。軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に書かれ、大江健三郎氏の『沖縄ノート』などの本に孫引きされた。多くの教科書もこの軍命令説に基づいて書かれていた。
しかし、作家の曽野綾子さんが『鉄の暴風』の記述に疑問を提起したノンフィクション『ある神話の背景』を出したのをはじめ、学者らによる実証的な研究が進められた結果、軍命令説は信憑(しんぴょう)性を失った。また、集団自決当時の女子青年団員や沖縄の元援護担当者らから、軍命令はなかったという証言が相次いでいる。
文科省の検定は、こうした最近の研究や証言に基づいて行われたもので、当然の措置といえる。沖縄県議会の意見書に限らず、さまざまな抗議運動が起きているが、検定はこうした政治的な動きに左右されるべきではない。
この問題をめぐり、文科省で教科書検定を担当する企画官を外郭団体に異動させようという動きが伝えられた。検定への抗議運動に対する配慮だとすれば、禍根を残すことになろう。
沖縄では、集団自決の後、住民を巻き込んだ地上戦が展開され、軍民合わせて18万8000人が戦死した。このうち、沖縄県民の犠牲者は12万人を超える。戦後も27年間、米国の施政権下に置かれた。きょう23日は沖縄慰霊の日。沖縄県民の苦難の歴史を改めて思い起こしたい。
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>検定はこうした政治的な動きに左右されるべきではない。
お ま え が 言 う な
>文科省の検定意見は、日本軍の命令によって住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に対して付けられたものだ。軍の関与や体験者の証言を否定しようとはしていない。
また3Kの捏造ですか??
教科書には「軍命令」の記述など、もともとありませんが。
住民の集団自決に軍が「関与」「強制」したとの記述が削除され問題になってるんですがね。
それに、仮に梅澤裕氏と赤松氏の2人による「軍命令」がなくとも、日本軍に「自決せよ」と命令された多くの住民による証言や米公文書の「軍命」慶良間・集団自決/発生直後の住民証言記録などがあり、「軍命令」があったことは否定できないんですが。
今回の教科書検定で、書き換えられた記述
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-01/2007040114_01_0.html
▼日本軍に「自決しなさい」「死になさい」と命令されていたことを裏付ける証言
http://himadesu.seesaa.net/article/44567367.html#more
◯座間味島ではアメリカ軍上陸後の1945年3月26日、集団自決が行われた。
宮里育江さん(82)は部隊の事務をしていたが、米軍上陸の際に部隊と同行したいと求めるが断られ、代わりに「万一のことがあったら、これで自決しなさい」と手投げ弾を渡され、使い方を教えられた。
上洲幸子さん(84)は家族や他の住民と山中に逃げていたが、そこで軍人が住民を集めて、「こうなったからは仕方がない。敵に見つかったら、舌をかみ切ってでも死になさい」と言った。
宮平春子さん(80)が逃げ込んだ壕の中で兵隊に言われた言葉は「『捕まらないように潔く死んで下さい』との内容だったという」。
◯渡嘉敷島の集団自決は3月28日に行われた。
村役場に勤めていた吉川勇助さん(78)の証言によると、住民が避難していた場所に、「一人の防衛隊員が『伝令』と叫びながら村長に走り寄り、何かを告げた。攻撃の爆音で会話は聞き取れなかったが、村長はうなずいた。『天皇陛下万歳』『発火用意、発火!』が聞こえ、あたりで手投げ弾の爆音が響いた」しかし不発が多く、男たちは家族を手にかけた。吉岡さんの一家は4個を地面にたたきつけたがどれも不発だった。
その現場に防衛隊員らがいたことについて吉川さんは、「戦闘中に部隊を離れれば罰せられるが、とがめられていない。命令があったはずだ」と言う。
(一部抜粋 全文はリンク先)
▼投降も許されず、自決を「強制」されていたことを裏付ける証拠資料の一部
「世界7月号 書き換えられた沖縄戦」P76〜より引用
(旧カナはひらがなに変換)
1944(昭和19)年11月18日の極秘文書
球1616部隊から出された「秘密戦に関する書類」の「報道宣伝 防諜等に関する県民指導要綱」には第一方針として「軍民共生共死の一体化を具現し」とあり、住民が地上戦闘に巻き込まれたら、軍との「共死」が前提になっていたのである。
さらに、地上戦闘が現実化した、
1945年4月9日の第32軍球軍会報には
「軍人軍属を問わず標準語以外の使用を禁ず 沖縄語を以て談話しある者は間謀とみなし処分す」という命令が発せられている。「間謀とみなす」とは敵のスパイとみなすということであり、「処分」とは処刑を意味している。
1945(昭和20)年6月5日付で久米島部隊指揮官が具志川村仲里村の村長・警防団長に宛てた「達」で、米軍の投降勧告「ビラ」を「妄に之を拾得私有し居る者は敵側『スパイ』と見做し銃殺す」とある。
<追記>
軍関与を削除した文部科学省の教科書検定は、やっぱりおかしいと思う方は電凸か
メル凸してみましょう。
自分は明日にでも電凸してみようと思います。
文部科学省http://www.mext.go.jp/
TEL 03-5253-4111
平日9:00 〜 18:30
御意見・お問い合わせ専用メールアドレス voice@mext.go.jp