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Re: test
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投稿者 gataro 日時 2007 年 3 月 23 日 20:45:41: KbIx4LOvH6Ccw
 

(回答先: Re: test 投稿者 gataro 日時 2007 年 3 月 22 日 22:20:49)

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070323/p1 から転載。

2007-03-23
■東京都知事選と「名護で考える」

 とかく選挙となると「まずは勝つことが大事」、「勝たねば意味がない」という決まり文句の陰で、劣勢な候補への攻撃が加えられることが少なくない。今回の東京都知事選においては、共産党・吉田万三氏に対して同様の、そして度を越した非難が加えられているように思える。一つ、気にかかることを述べておきたい。

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沖縄 地を読む 時を見る
作者: 目取真俊
出版社/メーカー: 世織書房
発売日: 2006/11
メディア: 単行本
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 この本に収録された評論の一つに、「名護で考える」という比較的長めの一文がある。2006年1月に行われた名護市長選挙に寄せられた文章である。

 今回の名護市長選挙は、昨年一〇月に日米安全保障協議委員会(2プラス2)が出した「中間報告」で、それまでの辺野古沖海上案が反故にされ、新たに陸上と海上にかかる沿岸案が「合意」されたことを批判し、なじる者も多い。だが、自分は誰に票を投じるのか、という具体的な選択を自らに問うこともなく、傍観者的な立場から「統一すれば勝てたのに」云々と口にするだけの批判にどれだけの意味がろうか。

 いきなりこう言われても、事情がつかめない人は多かろうと思うので、目取真氏の整理を元に、説明する。

 1995年9月に、米兵による小学生の少女への暴行事件が発生した。この事件は八万人余の県民集会へとつながり、その県民の怒りが大田昌秀知事の代理署名拒否を支え、国政を揺るがす事態へと発展した。しかし、政府は狡猾なもので、こうした事件を重く見て見直しをするかのように見せかけつつ、何をどう議論したのか、日米特別行動委員会(SACO)合意によって出てきたのは普天間基地の名護移転案であった。基地は減らないどころか、被害にあった少女の地元への新基地建設である。暴行事件とは何の関係もないどころか、被害少女を積極的に愚弄するものでさえある。と同時に、「誰と誰の」「どんな」合意なのかを問うこともなく、この合意が出て以降、沖縄基地問題のメディアでの取扱いは急速に減っていった。その関心の薄さ、浅さに愕然としたのを覚えている(パレスチナ問題においてオスロ合意が果たした役割に、似ているかもしれない)。

 沖縄基地問題を云々することは本題ではない。話を戻す。ともかく、名護の米軍基地移設問題にはそうした経緯があった。1998年1月、住民投票によって、基地移設に反対との結果を出す。しかし、直後、比嘉市長は住民投票結果に反して基地の受け入れを表明、さらに続く市長選挙では、後継の岸本建男氏が当選*1。2002年再選。その間、反対派の市長候補擁立が難航し、つまりは左派内部のゴタゴタで自滅していた状態。まぁ、ふがいないと言えばふがいない。

 そうした流れの中で2006年の市長選挙を迎える。2005年3月、大城敬人氏が立候補を表明。目取真氏の紹介によれば、名護市議会議員を7期27年務め実績・知名度もあり、平和運動への関与も熱心で、早朝からの座り込みなどにも連日参加、というような人。ただ、過去に共産党を除名になった人でもあり、もめるかもしれない、というのを心配していたそうだ。

 目取真氏の不安は、ある意味最悪の形で実現する。皮肉にも保守の分裂がきっかけであった。基地受入と引き換えの北部振興予算の分捕りあいである。その中で、利権にありつけた岸本派とありつけなかった反・岸本派が対立する。ここで退潮著しい革新勢力が岸本をおろすために、反・岸本派に擦り寄ったのである。2005年10月、地元選出の県議会議員(社民党)を座長に、社大党・共産党・社民党・北部地区労・名護市職労から構成された六者協議会が、保守系の市議会議員・我喜屋宗弘氏を「保革相乗り」という形で擁立するという発表がなされた。先に立候補を表明していた大城氏への事前調整などはまったくなかった、と言う。

 六者協議会が我喜屋氏擁立を表明して以降、革新側候補者の一本化の動きが追求される。しかし、それは実質的に「大城降ろし」と言ってよかった。社民党の照屋寛徳氏や社大党の糸数慶子氏といった国会議員、山内徳信氏など沖縄の革新の顔役たちが、大城氏を降ろすための「説得」にのりだす。もともと保守地盤の名護市で革新側が「分裂」していては勝ち目がない。だから少数派の大城氏が降りるのは、辺野古への基地建設を阻止するという大義の前にはやむを得ない、という雰囲気が作り出されていく。

 そういう状況を見ながら、私はうんざりした気持ちになっていた。有権者を単なる票=数としか見ず、革新の票と分裂した保守の票を合わせれば勝てるだろう、という発想には、市民投票以来八年余、苦しみ、悩みながら基地反対を貫いてきた名護市民の意思や心情に対する理解が欠けていた。(p.306)

 我喜屋氏は、つまりは、保守系議員であり、市民投票当時も、その直後の比嘉市長による受入表明時も、99年の岸本市長による受入表明時も、一貫してそれを支持していた人物だ。立候補にあたって、それらの総括をしたわけでもない。つまりは、基地反対を貫いた人たちに向かって、打倒岸本のために、基地賛成を貫いた候補に投票しろ、という恫喝である。いや、政治とはそういうものだ、などと訳知り顔で講釈する人もいるかもしれない。しかし、そうであるならば、なぜ大城氏との候補者調整という労を惜しんだのか。勝手に擁立して「少数派候補は退場せよ」では、ファシズムと何も変わらんではないか。

 ただ、このように述べている目取真氏とて、「いち早く立候補の意思を表明したのなら、政党、労組や同僚議員へのはたらきかけなど、支持基盤拡大のためにもっと努めるべきではなかったか」と大城氏への不満を表明している。しかし、こうも述べている。

 告示日が近づくにつれ、苛立ちややりきれなさを覚え、棄権するか白票を投じようかとも考えた。そういう気持ちが変わったのは、大城氏を支持する女性たちが開いた、大城氏の講演と琉球民謡歌手の大城美佐子氏のコンサートを組み合わせた集会に参加してからだった。

 会場の港区公民館に詰めかけた一五〇名ほどの人たちは、お年寄りの姿が目立った。集会の様子から、辺野古の「命を守る会」で座り込みをつづけてきたお年寄りたちが、大城氏を支持していることを知った。これまで一緒に基地建設反対の運動をたたかってきた大城氏を信頼し、熱心に応援しているお年寄りたちの姿を見て、考えさせられた。

 政治家や労組幹部、市民運動家、学者、文化人、女性写真家など、いろいろな人たちがことあるごとに「辺野古のおじー、おばー」と持ち上げ、「おじー、おばー」と一緒に自分たちもたたかっているかのように打ち出していたのに、いざ選挙になると手のひらを返したような対応をしていた。しかし、そういう人たちと違い、辺野古のお年寄りたちには党利党略も利害打算もなかった。これまで自分たちを応援し、一緒にたたかってきた人を、今度は自分たちが応援する。それを当たり前のこととして行っていた。(pp.307-8)

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 革新の顔役たちや「中立」という立場から「統一」を呼びかける者たちの圧力に屈して大城氏が途中で降りていたら、辺野古のお年寄りたちはどれだけ心に痛手を受けたことだろう。市民投票以来これまで、一貫して基地建設に反対してきた候補者は一人もいなくなり、基地建設を推進してきた保守系候補者二人のうちから誰かを選ぶという選択肢しか、名護市民にはなくなってしまうところだった。そうなれば名護の市民運動はもう、名護市民投票の意義を強調することも、比嘉元市長の裏切りを糾弾することも、岸本前市長の辺野古案受け入れを批判することもできなくなっていたはずだ。(p.309)

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 党利党略にふり回され、名護市民投票以来の運動の積み重ねの上に候補者を統一し得なかったこと。革新側の真の敗因はそこにある。(p.310)

 都知事選に絡めて、簡単にまとめておきたい。

 誤解のないように申し添えておくと、上記の大城氏に吉田万三氏を単純に当てはめて、吉田氏を擁護しよういう話はしない。僕自身が都民だったとして、吉田氏に投票するかは微妙(多分しない)。吉田氏の区政をよく知る人たちから、吉田氏を支持する理由を丁寧に聞いた上で、「辺野古のおじー、おばー」に通じるものがあれば、吉田氏に票を投ずるかもしれない、くらいのことは思う。つまりは、吉田氏を批判するのであれば、吉田氏の政策への批判であるべきであり、比較して浅野氏に投票すべきだと言うのであれば、比較して浅野氏の政策が優れていると述べればよいのだ。その主張に内在する議論によって、吉田氏の支持基盤に切り込めばいいし、同じように、石原氏の支持基盤に切り込めばいい。しかし、政策論抜きに、「反石原で共闘すべきだ」という数合わせの論理以外まったく無内容な主張で吉田氏を誹謗するのは筋違いである。しかも、現状の「石原を降ろせるかもしれない」という状況を作り出したのは、他でもない共産党の追及によるものである。先に立候補を表明したのも吉田氏である。そのことへの敬意と感謝が、最低限あるべきだろう。今吉田氏および共産党に対してなされているような非難は、それ自体が革新勢力全体の質を貶め、支持を掘り崩していくことになる。同様に、共産党側からも浅野氏への誹謗に近いことがなされているようなので、どっちも冷静になれよ、といわねばならないのですが。>「デマ攻勢に対抗する」@ですぺら

 左翼は、保守とは違う。そのことは、たとえば「運動の戦略、とか言われるものについて」でも書いた。数合わせの論理しか持ち得ない幼稚さは、保守においてはさしたる問題ではない。しかし、左派は、理想とそれを担う言葉の力だけで、現在と今はどこにもない未来をつなげなければならない。その左派が数合わせの論理を口にすることは、守られるべき政治的なものを根腐れさせることによって、却って致命傷となるだろう。

 浅野氏を支持すべきか、吉田氏を支持すべきか、どちらが善いことなのか。これは難しい問題ではある。しかし、確実にいえることは、どちらを支持するにせよ、嘘や欺瞞のない議論を通じて選ぶということ、そのようなことを積み重ねること、こうしたことを通じて言葉と他者への信頼を築き上げていくことは、絶対に善い事だと考える。仮に選挙で石原を追い落としたとして、その後の都政を守るのは、そうした誠実な議論の歴史であり、そこに由来する信頼である。仮に選挙で石原に破れたとして、その攻勢を食い止めるのは、やはり誠実な議論の積み重ねの歴史であり、そこに由来する信頼である。短期的に支持者を失うことを怖れずに、迷いを見せてしまうことを怖れずに、誠実に、正直に議論をしてほしい。それこそが、イシハラ的なものに対抗する唯一のよりどころなのだから。

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