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(回答先: 交流のカフェ(1) 絆築く『皆の居場所』【都会の片隅に生まれた「カフェ」から、結いの価値を見つめ直したい】(東京新聞) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 4 月 13 日 13:07:30)
▽【結いの心】
交流のカフェ(2) 生きがい生む自家焙煎
2008年4月5日
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/yui/news/080405.html
自家焙煎の香ばしい香りに気持ちが安らぐ=新宿区で
「コーヒー焙煎(ばいせん)は難しい。できっこない」。こもれび荘に集まり、こう話す元喫茶店長らを向こうに回し、看護師の宇鉄(うてつ)昭子(38)は引き下がらなかった。「勉強会だけでもしてみようよ」
カフェを始めて一年半が過ぎたころ。路上からアパートに移った人たちの寄り場はできた。より強い絆(きずな)を求め「自分たちの力で一つのことをやり遂げてみたら」と焙煎を思いついた。
勉強会には、路上からアパート生活に移った元喫茶店長や自称コーヒー通ら約十人が集まった。焙煎機二台を購入し、煎(い)り加減を見極める練習を積んだ。試飲を繰り返し、ストレートとブレンド、二種類の「こもれびコーヒー」が一年がかりで完成した。会場を借りて臨んだ発売イベント。「売れるかな」と不安な思いで見守った。「おいしいね」。来場客の言葉に手を取り合った。「おれたちにもできるんだ」。用意した百袋が完売した。
扱うコーヒー豆の主力は東ティモール産と決め、市場価格よりも高値で取引する「フェアトレード」にした。「世界の貧しい国とつながろう」という宇鉄の提案に皆が賛同した。焙煎の中心的な役割を担う男性(45)は、豆を高値で仕入れることに最初は納得できなかったが、ある民間団体の招待で訪日した東ティモールの農民に会い、気持ちが変わった。
「自分たちの国をつくるんだ、というあの目にやられたね」
経営していたキャバレーがつぶれて夜逃げし、住み込みのホテル清掃などで食いつないだ時期、安い給料で長時間働かされた。足元を見られて買いたたかれる理不尽さに、つらい思いをした。買う側として作り手とつながった今、心から「純粋な彼らの力になりたい」と思う。
販売を始めて一年。毎月、三百袋ほどの注文が届き、作業場は多忙に。アパートに引きこもっていた七十代の男性は「ここに来れば私のような者でもお役に立てる」。進行性の持病がある高齢男性は「今は焙煎に行くことが生きがいなんだ」と仲間に話した。病状の悪化で焙煎作業に来られない彼を、足しげく見舞いに通う仲間の一人は言う。「一緒にこもれびコーヒーを作ったという、何か特別な関係なんだよね」 =文中敬称略
<フェアトレード> 途上国の主として農産物の生産者との直接取引で、通常の市場価格より高めに購入し販売する仕組み。1960年代に欧州で始まったとされ、途上国の人々が貧困から抜け出すことを目的とする。先進的な英国だけで数百億円規模の市場に発展している。
▽【結いの心】
交流のカフェ(3) 『売る』よりも『楽しむ』
2008年4月6日
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/yui/news/080406.html
コーヒー染めの下絵を描きながら、とりとめのない話で盛り上がる=新宿区で
カフェを営み始めた自立生活サポートセンター「もやい」で自家焙煎(ばいせん)が始まってから半年が過ぎたころ。カフェでママと呼ばれる看護師の宇鉄(うてつ)昭子(38)は、ふと寂しさを感じた。
「コーヒー焙煎も決まった人しか来なくなっちゃったね」
路上生活から立ち直った人たちの交流の場にする目的だったのだが、注文数が伸びる半面、作業が「仕事」になってしまうジレンマも生じた。
一本の電話で作業場の空気が凍り付く。「コーヒー豆に髪が入っていた」
慌てて商品を送り直した。「お金を取る以上、いい物を」。豆の焼け具合を見極める熟練者や、発送作業やあて名書きで手際のいい人が優先され、作業場の口数は次第に減っていく。
髪の毛のクレームで頭にさらしを巻いた宇鉄は「このさらしをコーヒーの出し殻で染めてみたらどうかしら」と、意外な提案をした。
知り合いの草木染愛好家にボランティアで講師を引き受けてもらい、週一回、こもれび荘の一室に集まる。自称絵描きの男性や、芸術家志望の青年の姿も。最初に作ったのは「もやい」の横断幕
だ。絞り染めで、字の形を白く染め残し周囲を刺しゅうした。「まさか、この年で針と糸を持つとは」「だれかが『それ、いいね』って言ってくれると、うれしいんだ」。自然に笑みがこぼれた。
大阪で紙芝居の朗読劇に取り組む元路上生活者のグループ「むすび」から、「のれんがほしい」と注文がきた。制作して送ると、のれんの下に笑顔が並ぶ写真と礼状が返ってきた。コーヒー豆を仕入れる東ティモールの農場には、現地の言葉で「ありがとう」と書いた横断幕を作った。
作品を売る予定は今のところ、ない。講師の女性は言う。
「『売る』のが目的になると、自分の中でいろんな規制ができちゃう。一番は、ここに来る人が楽しめること。しばらくは『自由に作ろう』と決めたんです」
傷ついた人の心をいやし、人と人との新しい信頼関係を築くことが、もやいの課題。「商売」は、決して万能薬にならない。
「コーヒー焙煎をただの会社にしたくない。ユートピアをつくろうとは思っていないけど、こんな場所があったっていいと思うの」
無駄話をしてだらだらと過ごす。そんな時間から、宇鉄は課題を解くカギを探そうとしている。 =文中敬称略
▽【結いの心】
交流のカフェ(4) お墓でもつながりたい
2008年4月7日
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/yui/news/080407.html
甘党の彼の好物をお供えし手を合わせる=東京都内で
東京都の費用で社会福祉法人が取り仕切る火葬は、棺(ひつぎ)がごみごみとした倉庫のような場所に置かれ、読経も献花もなかった。二年前、共同墓地に無縁仏として埋葬された身寄りのない仲間。「○○さん、ごめんな」。自立生活サポートセンター「もやい」理事長の稲葉剛(38)はその寒々とした光景の中で決意した。自分たちの墓を持とう、と。
「妹に、おれは無縁仏になるからって話してある。誰にも迷惑かけたくねえんだ」
稲葉が墓を持つ計画を持ち出したとき、そう答える人もいた。だが、仲間が真意を代弁する。
「みんな『共同墓地でいい』『誰も来てくれなくていい』って言うけど、本音はそうじゃないって」
もやいの常連に「お墓の中に入ってからも、みんなとあれこれ話せたら、うれしいな」と言った男性がいた。
日雇い労働で、長い間、路上生活だった男性は昨年二月、アパートで急死した。
早くに両親を亡くしていた。四十年近く音信不通だった兄は「複雑な思いがある」と、遺骨を引き取ろうとしなかった。
サロンではいつもにこにこ笑いながら、みんなの会話を聞いていた彼が残した言葉を、看護師の宇鉄(うてつ)昭子(38)は忘れられない。
「もやいのこと、一つの家族だなって思っているんですよ」
今年二月の一周忌。遺骨を預けてある寺を、親交のあった仲間たちが訪ねた。納骨堂には、野菜嫌いの彼に好物のシュークリームとお菓子、花を供え、話し掛けた。
「苦手だった野菜を食べられるようになったら、亡くなっちゃったね」「お墓のことも少しずつだけど進めているよ」「ちっちゃくても、もやいの近くがいいよね」
稲葉は言う。
「宗教観はいろいろあっても、大切なのは安心感だと思う。家族のような仲間がいる、もやいに来ると安心できるように、亡くなった後に自分が行くお墓と、そこに来てくれる人とのつながりを思い描くことで、人は安心できるんじゃないかな」
まだ「もやいのお墓」はない。仲間が亡くなると、お経を上げ、追悼会をする。そうして弔った常連メンバー五人の遺影が、こもれび荘に飾られている。 =文中敬称略