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(回答先: 北九州市の生活保護行政 「責任の所在明確に」 市民団体が報告集会開く(西日本新聞) 投稿者 gataro 日時 2008 年 3 月 14 日 17:54:40)
以下の論文では《ベーシック・インカム》について論じていないが、「諸資源(社会福祉サービス=財)をどこにどの程度集中的につぎ込むかというかという社会福祉政策論議は、むしろ公平性の観点から「逆差別」として扱われることになりかねない」というい問題の解消のためには、国民全員に再分配するという《ベーシック・インカム》しかない、という結論になるだろう。
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http://www.asahi-net.or.jp/~uv3k-kmgi/tokotani.html
現代社会福祉学のテーマは、特に、国際標準化(グローバリズムなど)、貧困や差別を含む新たな不平等、または、情報化など現代社会と社会福祉の「構想」の折り合いやあり方を巡る定点を求めているものであるといえる*1。また、これまでの課題研究において、私は社会福祉学は生活者の生活不安などの解消(ないしは減少)を目的とした応用科学であると提示した。また、その根拠となった吉田久一理論について論評し、歴史性を背景とした実践概念であることを考察した。しかしながら、現代の社会福祉は、対象が拡散し、境界が喪失したといった課題があるといわれている。
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社会福祉において普遍主義は、二つの意味合いで論じられていると考える。
1.制度整備の「発達段階」に従って、貧困あるいは経済的カテゴリーによる対象把握から、年齢や心身の障害などに応じた「属性別」などのカテゴリーによる把握に変化したというのが最も流布された見解」*7であり、社会福祉は今や、経済要件=貧困による選別でないという意味での「普遍主義」の優位性が強調される。
2.社会保障政策やいわゆるナショナル・ミニマムとの関連で、「今やすべての国民が社会福祉の対象となった」*8とする広義の社会福祉サービスが普遍主義の論拠となっている。
1.の普遍主義の意味と2.における意味は、共にこれまでの社会福祉は選別的なものとして捉えられてきたものから現在においては脱却したといったことを意味する。しかし、1.においては、特に対象のカテゴリーを巡る取り扱いが選別として働くこと、2.においては普遍主義そのものが問題となる。
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2.に関しては、社会福祉サービスは「政策科学的には純粋公共財」*10といわれるが、具体的な「財」として届くには、一定の要件を満たさない限り権利として実体化しない。それは選別等を含んでおり、このことは1.と関連しているが、ここで問題になるのは、現在において、諸資源(社会福祉サービス=財)をどこにどの程度集中的につぎ込むかというかという社会福祉政策論議は、むしろ公平性の観点から「逆差別」として扱われることになりかねないと危惧されていることである。なぜなら普遍主義を支えている母集団は、多数派人口であり、人口の多数派がもつ利害関係に矛盾を生じる普遍主義というものがあれば、論理的に矛盾することにつながっており、普遍主義が単なる主張ではなく、現実的に効力を持つ段階に入りかけたときから、障害者福祉モデルのようなある特定の対象に集中的につぎ込むというシステム(「一方向転移のシステム」*11)はくずれざるを得ないといえる。では、そのような方向性にあって、社会福祉は「最後の一人の人権」*12をどう考えることができるのだろうか。