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(回答先: 私の8月15日展より【東京新聞】 投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 8 月 15 日 08:19:14)
証言<6>私の8月15日展より 漫画家 水野英子さん(67)
2007年8月18日
物心がついたころには戦争が始まっていました。まだ幼く戦争の緊迫感はなかったが、鮮烈に頭に残り、離れないシーンがいくつかあります。八月十五日は五歳の時、山口県下関市で迎えました。夏の日差しがまぶしいくらいに照りつける路上で、目を細めて絵を描いていると、物憂いラジオの音が近所の家から漏れてくるのが聞こえました。
全く覚えていませんが、ラジオを聴いていたのでしょう。家に帰ると祖母に「日本は負けたのよ」と伝えたようです。敗戦をまだ知らなかった祖母は「そんなことを言うものではない」とたしなめたそうです。
三枚の絵を描かせてもらいました。なぜかは分かりませんが、ずいぶんと前から、戦争の記録をスケッチに残したいと思っていて、特に強烈に記憶に残っている三つのシーンを描きました。
空襲の記憶もあります。下関で最後の大空襲があった時のことです。祖母に背負われて少し離れた防空壕(ごう)へと逃げる途中、祖母は水筒をどこかで落としてしまいました。すごくのどが渇いたので、水を飲ませてもらおうと、入らせてもらった通りがかりの無人の家の格子窓から見えたビルは、窓という窓から火を噴いて、激しく燃えていました。
そして空襲の後に見た切ない記憶です。空襲で街がどうなったのか、火事の熱が冷めたころ、一人で見学に行くと、家の一筋向こうまで焼け野原になっていて、焼け落ちて黒くなった家の跡と白い灰が残っていました。
そこにふたが黒焦げになったお釜が残っていました。住んでいた人が準備をしていたのでしょうか。そっとふたを開けてみると、お釜の中のご飯が火事の熱でなのか、ほかほかと炊けていました。生活をしていた人がいなくなった後に、生活の跡を見つけてしまったことに、何ともいえない悲しさを覚えました。祖母にも話してはいけないような気がして、見たことは、絵にするまで、誰にも話してきませんでした。
戦争のビジュアルな記録はあまりありません。記録を残しておかなければいけないと思ってきただけに、こういう絵手紙の形になり、うれしく思います。 =おわり
(この連載は、木村留美、小川慎一、岸本拓也、長崎磐雄、田口透、阿部博行が担当しました)
みずの・ひでこ 1939(昭和14)年山口県生まれ。55年、15歳で少女向け雑誌「少女クラブ」8月号でデビュー。58年にはトキワ荘へ入居し、赤塚不二夫氏や石ノ森章太郎氏と作品を仕上げる。主な作品に「星のたてごと」「白いトロイカ」。小学館漫画賞を受賞。川崎市多摩区在住。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20070818/CK2007081802041906.html