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(回答先: 【夜回り先生のエッセー】青空に輝く星 誰かが見てくれてる(中日新聞) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 14 日 11:21:25)
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yomawari/list/CK2007052102022391.html
大切な仲間の死 君の幸せ願い続けて
2007年5月21日
子どもたち、水谷は哀(かな)しいです。少し泣いています。今日(十四日)、私の大切な大切な仲間が亡くなりました。私とともに、君たち子どもたちを守ろうと、君たちに多くの笑顔を贈ろうと、戦い続けた人です。彼の名前は、枝さん。大阪のテレビ局の報道の仕事をしていました。ディレクターであり、プロデューサーであり、かつ記者であり…、放送局の幹部でもありました。どんな仕事もこなすなかなかの人物でした。
私が、彼と知り合ったのは、今年の二月でした。「どうしても、夜の町の子どもたちの様子が知りたい、一緒に夜回りをして見せてもらえないか」。彼からのか細い、でも想(おも)いのこもった電話をもらいました。私は、即座に断りました。「夜回りは、見せ物ではありません。夜の町の子どもたちも、見せ物ではありません。もし、子どもたちの様子を知りたいのなら、ご自分で回ることです」と。
彼は、必死に私に語りました。「水谷先生、私は、先生と同じ病気です。もう食道をすべて摘出し、他の内臓にも転移しています。先生の本読みました。こんなにも、日本で苦しんでいる子どもたちがいることに愕(がく)然としました。私は、テレビ局の報道にかかわるものとして、子どもたちを助けたいんです。一人でも多くの子どもたちを幸せにしたい」
私は、彼の必死の想いに心を打たれました。そして、二月に九州の博多の夜の町を、夜回りしました。彼は、がりがりにやせたからだをコートでくるみながら、私とともに子どもたちと触れ合いました。「先生、なかなかこのからだには、寒さはひびきます」。でも、最後まで一緒でした。
夜回りの後、彼と熱いお酒を飲みました。「先生、子どもたちは、笑顔じゃなきゃいけない。幸せじゃなきゃ。先生、最後の命をかけて、先生と子どもたちの明日を拓(ひら)く番組いっぱい作りますよ」。枝さんの目は、輝いていました。
その日から、私と枝さんは、親友になりました。四月には、彼は、がんの転移から入院。でも病室から番組を作り続けました。私は、先週も彼の病室を訪ねました。「先生、死なないよ。死ねないよ。子どもたちに最高の笑顔をプレゼントするまでは」。私も、「枝さん、待ってます。いっしょにいっぱい子どもたちのための仕事をしましょう」と、二人で手を握りあいながら、語りあいました。
子どもたち、今君たちを守ろうと、幸せにしようと、実は多くの大人たちが動いています。忘れないでください。信じてください。水谷も、枝さんのもとに、「枝さん、こんなに子どもたちに笑顔が」と報告できるように、君たちのそばに立ち続けます。今夜は、水谷は一人で泣きます。でも、明日は、また君たちのそばに行きます