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(回答先: 元裁判官、再審求め上申書 袴田事件の死刑判決に関与【中日新聞】 投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 6 月 25 日 22:53:51)
『袴田君の再審を』最高裁に提出 『一審死刑』元裁判官が上申書【東京新聞】
2007年6月25日 夕刊
静岡県清水市(現静岡市清水区)で一九六六年、みそ製造会社の専務一家四人を殺害したとして死刑判決を受けた元プロボクサー袴田巌死刑囚(71)が再審請求している「袴田事件」で、一審の静岡地裁で死刑判決に関与し、今年になって「無罪を確信していた」と告白した熊本典道・元裁判官(69)が二十五日、再審の開始を求める上申書を最高裁第二小法廷に提出した。
死刑判決に関与した元裁判官が、最高裁に再審を求めるのは極めて異例。袴田死刑囚の支援者らは同日午前、東京・隼町の最高裁を訪問。A4判四枚つづりの熊本さんの上申書と再審開始を求める約四千人分の署名を最高裁の担当書記官に手渡した。
熊本さんは、上申書の中で、「公判当初より、無罪の心証を持っていたが、ほかの裁判官を説得できず、主任裁判官として死刑判決を書かざるを得なかった」と死刑判決を書いた経緯を記した上で、「袴田さんが今もとらわれているのは断腸の思い。判決言い渡し時のがっくりした様子は忘れられない」と心情を吐露した。
さらに、「自白調書は臨場感がまったくなかったが、有罪を書かねばならなくなったため、心ならずも妥協して一通だけ採用した」と明かし、「その良心の呵責(かしゃく)に耐えきれずに裁判官を辞めたが、少しでも私にできることがあれば、残された年月をかけて償いたい。袴田さんの再審を開始してください」と訴えた。
熊本さんは袴田事件の第二回公判から左陪席裁判官として審理に加わり、主任を務めた。
熊本さんは、翌六七年に検察側が犯行時の着衣を変更したことなどから、「罪を認めた自供は合理的な疑いが残る」といったんは無罪判決を起案。しかし、合議で裁判長ら二人が有罪を主張したため、死刑判決に書き直したという。
判決を書いた翌六九年に退官。今年三月に「合議に加わった他の二人の裁判官が他界した今、自分の心の中で耐えきれなくなった。半分は袴田君、残り半分は自分のために、死ぬまでに言っておきたかった」と無罪の心証を持っていたことを明らかにした。
袴田事件では、一審の静岡地裁が六八年、二審の東京高裁が七六年に死刑を宣告、八〇年に最高裁で確定した。弁護側は翌八一年に再審請求したが、一、二審ともに退けられ、現在、最高裁に特別抗告している。
有罪にできない 元裁判官会見
「袴田事件」の支援者らが上申書を提出した後、熊本典道元裁判官は東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、「虚心坦懐(たんかい)に、捜査段階から『何が起きたのか』という点について審理してほしい」と訴えた。
熊本さんは「私の判決で、袴田くんが一生を棒に振る結果になった。控訴審でわかってもらえると思ったが、四十年たっても(無罪にするという)願いがかなわないまま、今日になった。一人でも多くの人が私と同じ考えをもってくれるよう願っている」と上申書の提出に至った心境を明かした。
無罪の心証を抱いた経緯について、熊本さんは「少なくとも私は有罪にできないと思っていた。罪を認めた自白調書を補強する証拠は、極めてゼロに近い状況だった」と説明。
「密室での取り調べや、弁護を十分に受けられなかったことも問題だ」と指摘して、再審の開始を求めた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007062502027073.html