★阿修羅♪ > 社会問題4 > 504.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
元裁判官、再審求め上申書 袴田事件の死刑判決に関与【中日新聞】
2007年6月25日 夕刊
静岡県清水市(現静岡市清水区)で一九六六年、みそ製造会社の専務一家四人を殺害したとして死刑判決を受けた元プロボクサー袴田巌死刑囚(71)が再審請求している「袴田事件」で、一審の静岡地裁で死刑判決に関与した元裁判官の熊本典道さん(69)が、再審の開始を求める上申書を作成、二十五日、袴田死刑囚の支援者を通じて、最高裁第二小法廷に提出した。
死刑判決に関与した元裁判官が、最高裁に再審を求めるのは極めて異例。支援者らは同日午前、東京・隼町の最高裁を訪問。A4判四枚の熊本さんの上申書と再審開始を求める約四千人分の署名を最高裁の担当書記官に手渡した。
熊本さんは上申書で「公判当初より、無罪の心証を持っていたが、ほかの裁判官を説得できず、主任裁判官として死刑判決を書かざるを得なかった」と経緯を記した上で「袴田さんが今もとらわれているのは断腸の思い。判決言い渡し時のがっくりした様子は忘れられない」と心情を吐露している。
さらに、「自白調書は臨場感がまったくなかったが、有罪を書かねばならなくなったため、心ならずも妥協して一通だけ採用した」と明かし、「その良心の呵責(かしゃく)に耐えきれずに裁判官を辞めた。少しでも私にできることがあれば、残された年月をかけて償いたい。袴田さんの再審を開始してください」と訴えた。
熊本さんは袴田事件の第二回公判から左陪席裁判官として審理に加わり、主任を務めた。これまでの証言によると、事件の翌六七年に検察側が犯行時の着衣を変更したことなどから、「罪を認めた自供は合理的な疑いが残る」といったんは無罪判決を起案したという。
判決を書いた翌六九年に退官。
今年三月に「合議に加わった他の二人の裁判官が他界した今、自分の心の中で耐えきれなくなった。半分は袴田君、残り半分は自分のために、死ぬまでに言っておきたかった」と無罪の心証を持っていたことを明らかにした。
評議内容を明らかにしたことについて、熊本さんは、上申書で「評議の秘密は理解しているが、再審の実現には最後のチャンスになると思い、非難を覚悟の上、無罪の心証を公表した」としている。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007062502027092.html