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http://mainichi.jp/select/world/news/20080106ddm007030031000c.html
◇元テロリスト、アラシュ・サメティプール氏(32)
−−「テロリスト」だったあなたが、なぜ4年間の服役で済んだのですか。
◆イラン国民はムジャヒディン・ハルク(MKO)を「体制が最も恐れる組織」と思っているようだが、ハタミ前政権がメンバーへの厳罰方針を緩和した。刑務所では「君をMKOの犠牲者とみなす」と告げられた。
−−米、イラン両政府とも「テロ組織」に指定しています。
◆03年にイラク戦争でフセイン政権が崩壊したのを機に米国とは停戦合意し、武装解除した。一方、イランに対しては体制転覆を目指し、情報・宣伝活動を続けている。だがイラン当局の懐柔策で脱会者が相次ぎ、イラク国内に約3300人が残っているだけだ。実態はカルト(反社会的宗教組織)に近い。
−−米国は「イランの体制転覆」という目的でMKOと利害が一致します。テロ組織に指定しながら、破壊工作に利用しているとの指摘があります。
◆イランに戦争を仕掛けようとしてきたチェイニー米副大統領など一部保守派(ネオコン=新保守主義者)が支援している。MKO政治部門の幹部は米国内で反イランのロビー活動を展開し、(保守色の強い)米FOXテレビに頻繁に出演して対イラン強硬論を主張している。
−−MKOはイランの体制にとって今も脅威ですか。
◆01年に暗殺指令を受けてイランに入った際、タクシーに乗るたび「MKOをどう思うか?」と聞いた。「今の政権より悪い」。そんな答えばかりだった。組織での洗脳でにわかに信じられなかったが、国民の支持がないとうすうす感じた。要人暗殺や爆破テロを続発させた、昔のような軍事的な脅威はない。【テヘラン春日孝之】=つづく
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◇「米の手先」、当局警戒
イラン反体制組織のMKOは65年、イスラム社会主義を掲げ反米、反国王の武装闘争を開始。イスラム革命(79年)の一翼を担った。その後、急進派聖職者との抗争に敗れ、イラクに本拠を移す。イラン・イラク戦争(80〜88年)ではイラン攻撃の先兵となった。
革命指導者ホメイニ師は晩年の89年、MKOの「残党と協力者」を一斉摘発、1日に数千人を処刑した。脅威の裏返しの粛清だったのだろう。今、当局はMKOを「米国の手先」と見て、米国が公言する「(情報戦による)静かなクーデター」に神経をとがらせる。
02年にイランの核開発を暴露したのはMKOの政治部門「国民抵抗評議会」だった。昨年12月、「イランは03年秋に核兵器開発計画を停止した」とする米報告書が公表されると、同評議会は「核兵器開発の停止」を事実と認める一方、「04年には開発を再開した」と反論した。
長年、対米関係修復に向け水面下で米外交官と折衝を続けたハラジ元国連公使は「米国はイランをよく知らない。主な情報源を反体制派(MKO)に頼っているからだ」と指摘する。「反体制派の多くはイランを去って久しい。イランの国内状況は刻々と変わっている」と不満を漏らす。
サメティプール氏はイラン元警察庁長官の暗殺に際し、組織から「標的」の顔写真を手渡された。仲間と2人で相手の日常行動をビデオで撮影し、決行したが、「最初から別人を追跡し、銃撃して重傷を負わせてしまった」と告白した。「写真が古く、人物を判別できなかった」と言う。
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■人物略歴
米国の大学在学中の98年、イラン人級友の勧誘でイラン反体制武装組織MKOに加入。イラクで軍事訓練を受け、イランの元警察庁長官の暗殺を試みたが当局に拘束された。その際に自爆を図り、右腕を失った。4年間服役して2年前に出獄。
毎日新聞 2008年1月6日 東京朝刊
関連投稿:国際版
イランを読む:「反米」の深層/1 本音は「修復」を志向(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/07/kokusai1/msg/545.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 1 月 05 日
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