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(回答先: 【薬害C型肝炎訴訟】救済基準「明快に」(毎日新聞) 投稿者 クマのプーさん 日時 2007 年 12 月 26 日 10:03:11)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200712210014.html
2007年12月21日
「命を返してください」。肝炎ウイルスに汚染された血液製剤を出産時に投与され、肝臓がんにむしばまれて57歳で逝った主婦が、国や製薬会社を病床から告発する「遺言」をビデオ映像に残していた。薬害C型肝炎訴訟の東京原告13番。原告を「線引き」する国の修正案が公表された20日、闘いを引き継いできた妹は無念の思いを代弁した。
ビデオに撮影された東京訴訟「原告13番」玲子さん=静岡県内の病院で、家族提供
「この薬のために、いったい何人が亡くなったのか。線引きなど許されるわけがありません」
20日の厚生労働省での記者会見で、原告患者らと並んだ泉祐子さん(59)=東京都大田区=は、時折声を詰まらせながら訴えた。原告13番の姉、玲子さんは4年前に肝臓がんで亡くなった。
03年6月1日、静岡の県立病院。病室のベッドにパジャマ姿で腰をおろした玲子さんは、ビデオカメラのレンズを見つめて語り始めた。「健康と命をまず返してほしいんです。返してください」
息も絶え絶えに、やせ細った体で声を振り絞る。「体がついていきません。裁判を早く終わらせてください。国は人の命の重さを見つめてください」「こんなふうになりたくなかった。平凡でいいから、これからも生活したかった」
温厚な姉が、胸に秘めていた怒りを吐き出す姿に、祐子さんは驚いた。東京地裁の裁判官による病室での出張尋問を前に、「裁判の練習だから言いたいことを言って」とビデオを回していた。
7分7秒。玲子さんの一礼で映像は終わる。
東京生まれで静岡育ちの玲子さんは3姉妹の次女。祐子さんは3歳年下の末っ子だ。玲子さんは学校の成績がいつも上位で、音楽や花が大好き。祐子さんが大学を卒業すると、真珠のイヤリングを贈ってくれる「温かい人」だった。
84年7月、次男出産時に止血用として血液製剤「フィブリノゲン」を投与された。まもなく慢性肝炎を発症し、00年に肝がんにまで悪化した。投薬時のカルテを入手して02年10月、東京地裁での最初の集団訴訟に加わった。その7カ月後、家族が囲んだ場で、医師から「治療方法はもうありません」と告げられた。
玲子さんはうつむき、涙を流した。そしてビデオ撮影から11日後、息をひきとった。
私の代わりに闘って――。訴訟は遺言書をもとに祐子さんらが継いだ。
大阪高裁の和解勧告直前の今年11月、厚労省が5年間放置していた薬害肝炎患者「418人リスト」に、玲子さんが含まれていると被告企業の「田辺三菱製薬」(大阪市)が認めた。感染の疑いを知りながら隠していたことに、祐子さんの憤りは高まった。
祐子さんは、和解協議に期待を寄せていた。実家にある遺骨も、和解を機に墓に納めるつもりでいた。そして、「ここまで来たよ」と報告しようと思っていた。
しかし、国が提示した修正案は患者を「線引き」し、法的責任の範囲を85〜88年としか認めない東京地裁判決基準にこだわっていた。玲子さんは「線」の外側に置かれる。「福田総理が原告の声を聞いていただけなかったことは非常に残念。この薬の恐ろしさと、被害の実態をもっともっと伝え続けていこうと思います」。会見で言葉をかみしめるように語った。
一連の集団訴訟で亡くなった原告患者は、玲子さんを含め4人になる。
◇
<片平洌(きよ)彦・東洋大教授(保健福祉学)の話> 国の製造承認時、製薬会社が国に出した治験報告には、海外で血液製剤を使用し肝炎に感染した複数の報告が含まれていた。時期や提訴の有無で「線引き」するのはおかしい。また「418人のリスト」を調べると、88年に国が製薬会社に緊急安全性情報を出させた後も、少なくとも75人が感染しており、安全性情報が有効でなかったことがわかる。国は加害責任を認めたうえで全被害者に償いをするべきだ。
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