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(回答先: 奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(3)(ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 ) 投稿者 クマのプーさん 日時 2007 年 11 月 28 日 19:33:25)
http://amesei.exblog.jp/6643498/
奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(4)
(前回の記事の続き)
奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと説く岡本行夫氏(3)
<あまりにも生々しい奥氏の証言>
奥克彦氏は昨年、一時帰国したときにNHKのインタビューに答えて話している。その内容の一部は、今年3月6日に放送された、NHKスペシャル「奧克彦大使 イラクでの足跡」で放送された。奥克彦氏はこのインタビューの中で、「アメリカのイラク戦争の目的は大量破壊兵器ではなく石油利権である」と断言している。
このインタビューを聞いてみると、なるほど奥氏はアメリカに不信を抱かせる行動を沢山やっていると言うことが分かる。これで狙われない方がおかしいといっても良いくらいである。奥氏は国連中心のイラク復興には賛成だったが、アメリカの軍産複合体主導のイラク戦争そのものには常に懐疑的な眼を向けていた人物であった。
この番組で奥克彦氏が話している内容はあまりにも率直すぎてここまで放送しても良いのかという内容である。たぶん、奥氏は、インタビュー当時は「オフレコ」を条件に話していただろう。2時間に渡るインタビューテープの全貌が非常に気になる。この番組のプロデューサー(製作統括)は、山本浩、岩堀政則の両氏であるが、この二人は公共放送としてできるギリギリの範囲で、外交官暗殺事件暗部について触れている。
(NHK番組の奥克彦氏の発言の引用開始)
奥氏「明らかにまずイラクの石油を温存する。その次はイラクの生産体制をアメリカのコントロール下に置く。これが最初からこの戦争のねらいだったと思いますけどね。その体制をアメリカは作っているなというのが非常によく分かりましたけどね。
大量破壊兵器が見つかったかどうかということの関心?そこに対する関心って言うのはあまりないんですよね。それは戦争をはじめる理由のひとつだったですけれども、そのためにやっているわけじゃないから。それはサダムのレジーム(政権)をつぶすためにやっている戦争だから。
机上の空論をやっているわけです。いろいろと。(ORHAは、)この役所はこういう風にしようとかね。実際にバグダッドに移ってからドタバタし始めて、その当時描いた絵とはぜんぜん違うようなことをやっているわけですよ。着いた日から思いました。こりゃだめだなと。
この組織は動かないから情報収集やって、日本の支援の一番目立って意味のあるところを取るのが仕事だなっていうのは、もう着いた瞬間にすぐわかりました。
(引用終わり)
奥氏はNHKの記者に対して、「この戦争は石油利権を巡る戦争であって、大量破壊兵器の存在の有無はあまり重要ではない」という風にここまではっきりと断言している。さらに、「この組織が動かないから、自分で日本の復興支援のための情報収集をやる必要がある」と感じたことを率直に話している。この調査の際に、アメリカから不審がられていたことも認めている。
(引用開始)
奥氏「文書へのアクセスは国防省のクリアランス(基準)に従ったアクセス権なんですよね。レベル1、レベル2、レベル3あるんですけれども」
NHK:奥さんはレベル1まではもらえるんですか
奥氏「レベル1ももらえないの。レベル3というのはインテリジェンス(機密情報)ですよ。だから、私は人の話をあっち行ったり、こっち行ったりして聞いているだけで、だから新聞記者のような仕事をしているわけですよね。
“あいつ何やってんだ”と思われているわけですよね。本国に報告ばかりやっていると。」
(引用終わり)
イラク戦争では、マスコミの情報を操作・掌握するために、米国政府は、エンベッド(米メディアの米軍への埋め込み取材)という手法を用いて、報道陣の取材内容を事実上統制するという北朝鮮並の情報統制をしいていたことは、私が「ジェシカ・リンチのヤラセ事件」の分析で既に説明している。そういう状況の中で、同盟国の外交官とは言え、ここまで奔放に動き回る人物の存在はアメリカにとって目の上のたんこぶであったことは間違いない。
<奥氏を殺害したのは、「ジョージ・シュルツ」である>
都合が悪くなるのは、一緒に復興支援に拘わっている米軍の中佐、少将レベルの人物にとってではない。イラク戦争のいかがわしい部分を隠蔽した、ロックフェラーやシュルツ、そしてORHAのガーナーや、CPAのポール・ブレマー3世たちである。国際軍産インナーサークルの中核に位置する、シュルツとブレマーはそれぞれ、「ベクテル」や「キッシンジャー・アソシエーツ」の重役レベルの人物であり、復興利権のうま味を真っ先に味わうことのできる人々である。
特にベクテルに関して言えば、具体的な支援案件が奥氏の「活躍」のよって、邪魔されているのである。奥氏が『外交フォーラム』という雑誌に寄稿した文章ではそのいきさつが書かれている。それはイラク南部のイラク最大の商業港である、ウムカスルの土砂浚渫案件である。
(引用開始)
5月1日に、ブッシュ大統領が「イラクにおける主要な戦闘行為が終了した」と宣言する前から、国連の援助機関はイラク国内での活動を再開していました。特に南部イラクを中心とした、水、医薬品の供給は、まだバクダッド周辺で激戦が続いていた4月上旬には、ウンム・カスル港周辺や、バスラ近辺で展開されていました。私も復興人道支援局(ORHA:CPAの前身)がクウェートで戦後のイラクの青写真を描いていた4 月上旬、国連児童基金(UNICEF)の水調査団に加えてもらって、ウンム・カスル唯一の病院での水供給調査に参加しました。この時の私は、イラクへの武力行使発生後、イラク領内に入った最初の日本政府関係者だったと思います。
しかし驚いたのは「調査」といいながら、UNICEFの関係者はポリビニール製の組立型簡易水タンクを携行していて、その日のうちにタンクを組み立てて病院に水を供給し始めたのです。解放されたイラク領内の水供給システムが全く機能せず、UNICEFがクウェートで借り上げたタンクローリー車が、ひっきりなしにイラク領内に入り、あちこちで水を配っていた頃です。国連事務所爆破で亡くなってしまったUNICEFのクリス・ビークマン次長が、1日に60台規模のタンクローリーで緊急水供給をやっている、と説明してくれました。
この背景には、戦前からUNICEFがイラク国内の医療施設、教育施設の現状をきちんと把握していたことがあって、応急措置とはいえ、現場で直ちにプロジェクトを実施できたわけです。私はそれまでの経験から、国連の援助機関はどちらかというとオーバーヘッド・コストばかり高くて効率が悪い、と感じていたのですが、それは誤りでした。これこそ、お手本のような緊急援助です。
また、当時、ウンム・カスル港の土砂の浚渫が問題になっていました。英軍がいち早くこの事態を重視し、私に日英共同でウンム・カスル港の浚渫をやろう、さもなくば、世界食料計画(WFP)が調達した食料援助船が入港できず、折角の食料支援もイラクの人たちに届かなくなってしまう、と協力を呼びかけてきました。WFPの担当者も必死でした。日本政府としては、法的にイラクのように相手国政府が未成立の場合、非政府組織(NGO)か国際機関を通じた支援しか、実施できません。そこで私は直ちにクウェートにある国連開発計画 (UNDP)事務所にこの話を持ち込んで協力を仰ぎました。担当のベルギー人、ピーター・ルーズベルトは、「ミスター・オク、簡単ではないかもしれないけれど、やってみようよ」と、にっこり笑って応じてくれました。
実際、このプロジェクトは、英国国際開発省(DFID)のクレア・ショート大臣(当時)が、軍関係への援助になる、といって引いてしまい、また、米国のコンサルタント会社ベクテルが入ってきて、明日からでも浚渫を始めるので日本の出る幕はない、といわれるなど、いろいろな横槍が入りました。
しかし結局、ピーター・ルーズベルトが粘りに粘って、日本のプロジェクトとして仕立て上げてくれました。そのピーター本人は、たまたま別の場所にあるUNDPのバクダッド事務所にいて難を逃れたのですが、爆破テロで、ご夫人が腕にかなりの負傷を負ってしまいました。
『外交フォーラム』(2003年11月号)
奥克彦「イラクの戦後復興における国連の役割」
(引用終わり)
この寄稿文とは別に奥氏はこの雑誌の英語版に別の長文の原稿を寄稿する計画があったという。この原稿は事件発生の直前まで執筆されていたのだが、奥氏の殺害事件が起きてしまったことにより、オクラになってしまったらしい。しかも、前出の歳川隆雄氏が「テレビ朝日」の番組で述べたところによると、事件発生後、「奥氏の詰めていた、日本政府仮大使館から、奥氏の使用していたパソコンとフロッピーディスクが紛失していた。また、事件現場からも奥氏のものとみられる、PDA(携帯用パソコン)とノートパソコンが一時紛失していたことが分かっている。
以上の引用文章をみると、奥氏がイラク復興ビジネスで、アメリカの虎の尾を踏んでしまったということが分かる。ベクテルの横やりを拒絶して日本の案件として、国連と共同で、ウムカスルの浚渫を実施したのである。NHK番組では、浚渫船スタッフのみならず、港の作業員もが着用した、日の丸の入ったT―シャツが映し出されていた。
こうすることで事業にお金を出したことは日本政府であることが一目瞭然となったのである。
<国連事務所爆破事件はネオコンの謀略の可能性も>
さらに上の引用文章では、国連職員のルーズベルト氏とユニセフ職員のビークマン氏がプロジェクトの推進にかかわったと言う指摘がある。この二人は、8月19日に発生した、バグダッドの国連事務所爆破事件で犠牲になっている。クリス氏は本人が爆死、ルーズベルト氏は夫人が腕に重傷を負った。
このテロでは他に、国連事務総長特別代表のセルジオ・デメロ氏が殺害されているが、当時は国連までもがテロの標的になったと騒がれた。上の経緯などを見ていると、他の場所でもこれらの国連スタッフはアメリカとの摩擦を起こしていたのではないかと推測される。この国連事務所テロもアメリカの利権ネオコン派の一派が国連を復興利権から手を引かせるために仕組んだ“演出”であった可能性は十分にあるように思われる。CIAやネオコン系の情報機関が、現地イラク人をけしかけて自爆テロを起こさせたのではないだろうか。
アメリカの虎の尾を踏んでしまった人々が次々とテロの標的にあっているというのは偶然としては出来過ぎであるような気がする。
<日本企業がイラクに戻る日はいつか>
NHK番組では、7月にイラク復興支援法が成立したのち、奥氏と岡本氏はイラクの自衛隊の派遣候補地を選定するための調査に出かけるとともに、日本企業がフセイン政権時に建設した生産インフラの調査に出かけた。11月2日のことである。二人は、北部モスルから、ティクリット、バグダッド、バスラなどをイラク中を南北2000キロに渡って調査を続けたという。その半月前の10月15日には日本政府は、イラク人道復興支援のための無償資金として15億jを醵出することを決定、それを手みやげに17日の日米首脳会談に小泉首相は臨んでいる。二人の訪問はこの資金の箇所づけのためのものである。三菱、三井、トーメンなどの日本企業の建設した発電所の視察だとか、日本のODAによって建設された病院の視察が目的だった。病院には日本企業が、医療機器の援助ができないかということを調べたらしい。
特に今回の訪問ではイラクの学校の復興計画に日本が資金をだせるのかということを中心に調査を行った。「学校に支援を行えば子供たちが大きくなっても覚えていてくれるだろう」という日本の「ソフト・パワー戦略」である。
日本は対外債権として、イラクにかなりの額を持っている。金額にして60億j。これ長期的に全部回収することができ、イラクの復興支援案件を国連を通して日本が受注できれば、日本の経済界のビジネスチャンスにつながると同時に、民生部門の支援で日本の存在感をイラク国内に示すことができる。しかも、イラク人の雇用を増やすことができれば、イラク人からも感謝されるという好循環が期待できる。しかし、一方でアメリカがイラクから吸い上げる原油売買代金が日本の金庫に入ってしまうわけであり、アメリカとしてはこれを許すわけにはいかない。
サウジアラビアなどにかなりの利権を持って食い込んでいる、ブッシュ家やカーライル、その大番頭のジェームズ・ベーカー3世が日本を初めとする大口債権国に怒鳴り込んでくるのも無理はない。
(転載開始)
イラク債権 大幅放棄 首相、米特使に表明
小泉首相は29日、都内のホテルでジェームズ・ベーカー米大統領特使(イラク債務問題担当)と会談し、主要債権国会議(パリ・クラブ)加盟国の足並みがそろうことを前提に、日本が持つ総額約70億ドルにのぼる対イラク債権の削減に同意する意向を表明した。
会談では、ベーカー特使が「日本としてもぜひ積極的な対応を取って欲しい」と述べ、イラク向け債権の削減に協力を要請した。
首相は「イラク復興を失敗させてはならない」とした上で、「パリ・クラブ債権国が合意に沿って同様な対応をするなら、日本もかなりの債権放棄を行う用意がある」と述べ、債務削減に前向きに取り組む考えを示した。
具体的な削減額については、政府は、年明け以降のパリ・クラブ会合などを通じ、他の主要債権国の動向を見極めながら最終決定する方針だ。
日本の対イラク債権は、1980年代までの貿易保険の政府補償分(36億2700万ドル)と旧日本輸出入銀行(現国際協力銀行)による円借款未払い分(4億8200万ドル)の計41億900万ドルと、これらの遅延損害金(約29億ドル)からなっている。
( 2003年12月30日付 読売新聞 )
http://www.yomiuri.co.jp/features/gulf2/200312/gu20031230_01.htm
(転載終わり)
そういう世界情勢の中でイラクに派遣された自衛隊は復興支援活動を行っている。しかし、復興支援活動の資金需要を探っていた、優秀な外交官を失ったことは日本の国益に対して大きな損失である。日本の政治家・外交官は常に「アメリカの虎の尾」を踏まないように戦々恐々としながら活動しているが、奥氏の行動はあまりにも大胆すぎたのである。
そんな奥氏をアメリカのブッシュ大統領が、演説で褒め称えている。
(引用開始)
「テロに屈せず」奥大使称賛 米大統領演説
■日本のイラク派遣も評価
【ワシントン=近藤豊和】「理想を信じてイラク復興に尽力したカツヒコ・オクという日本人の外交官がいた」−。ブッシュ米大統領は十九日にホワイトハウスで行ったイラク戦争開始一周年の記念演説で、イラクで殺害された奥克彦大使の名前を挙げ、大使のイラクでの復興支援活動への尽力ぶりを紹介、「テロに屈せずイラクに自由と復興をもたらす貢献者」の象徴としてたたえた。
大統領は演説の締めの部分で、「奥大使はCPA(連合軍暫定当局)で活動し車中で襲撃され殺害された」と大使に言及。「彼は日記に『イラクの自由な人々はテロの脅威と戦いながら、イラク復興を確実に進めている。イラク国民がテロリストの手中にはまらないようわれわれは手を差し伸べなければならない』と書いている」と、奥大使がイラクで活動中に外務省のホームページで公開していた「イラク便り」のさわりを紹介した。
大統領はさらに、奥大使の「これは自由を守るためのわれわれの戦いだ」との記述を引用、「イラクに自由を確立するのはわれわれの戦いだ」と強調、テロとの戦いなどで国際結束を訴えた。
大統領はまた三度にわたり日本の国名を挙げ、「日本は歴史的な関与の仕方でイラクに平和をもたらそうと部隊を派遣した」と、自衛隊のイラク派遣を高く評価した。
『産経新聞』(平成16年3月21日)
(転載終わり)
――虎の尾を踏んだ当の相手である、ブッシュ政権に賞賛された、泉下(せんか)の奥大使はいかなる気持ちであっただろうか。
NHK番組は、次のような言葉で締めくくられている。
「二人が亡くなって3ヶ月あまり、宮殿の2階にある、奥さんと井上さんが使っていた部屋です。ベッドは取り除かれ、暫定行政当局(CPA)のオフィスに変わっていました。アメリカ主導の占領統治。イラクでその現実を見つめ続けた日本人外交官。日本は何ができるのか。残された足跡が問いかけています」■
二人の使っていた部屋はアメリカ主導の行政当局のオフィスに変わっていた。事件に遭遇したランドクルーザーが日本に届いたのは3ヶ月後である。
これでは真相究明など出来るわけはない。なぜ岡本氏はそこに疑問を持たないのか。実に不可解である。
=======
(貼り付け終わり)
<関連記事>「産経新聞」
岡本行夫氏が特別寄稿「インド洋に補給艦戻せ(1)」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071127/plc0711272043013-n1.htm
岡本行夫氏特別寄稿「インド洋に補給艦戻せ(2)」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071127/plc0711272043012-n1.htm
岡本行夫氏特別寄稿「インド洋に補給艦戻せ(3)完」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071127/plc0711272042011-n1.htm
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