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(回答先: 守屋前防衛事務次官の証人喚問から何が引きだせるのか(三上治) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 10 月 31 日 20:51:22)
「守屋武昌」よ(!)お前は「君の名は」か(?)と駄洒落を飛ばしながらテレビ中継を見ていた。若い人は知らないかも知れないが「忘却とは忘れさることなり 忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」という名セリフがあった。菊田一夫原作の『君の名は』という歌の頭にあるものだ。今では懐メロでもなかなか聞けないがかつては巷にあふれていたものだ。肝心なところにくると「記憶にございません」とどこかに忘却してきたかのような発言を繰り返す守屋の姿は喚問された証人の発言としてよく見慣れたものだ。ふざけるな、という気持ちと、笑い出したい気持ちとが混じりながら見ていたが、証人喚問
とはこんなものなのだろう、と思った。あとは想像力で補いながらあれこれ考えてみるしかない。記憶がないということはそれだけ強烈に記憶していることにほかならないのだ。
守屋証言が垣間見せたものは防衛省が閉じられた組織であり、いかに澱んだ存在であるかといことであった。倫理規定に反し、在職中ならクビものであると広言していたが、裏をかえせば在職中なら誰も咎める人はいなかった、ということだ。守屋の部下たちは彼に見習って小守屋、あるいは小小守屋として振る舞ってきたのであろう。日本の官僚組織は権力として絶大な権限を持つが、それをチェックする機能が弱い。このチェックというのは抵抗といいかえてもいいのだ。内部の浄化力はあまり期待できるものではない。流れが絶たれた水が澱むように、外部からの水が流れ込みチェック(抵抗)機能が働かなければ内部だけでは腐食する。官僚組織にとって外部とは国民やその代表としての立法府(国会)を意味する。政府は監督(統制)し、指導する機関としてある。この意味では政府の一員である防衛庁長官の経験者も接待に同席していたというのは重大な発言である。
防衛省も日本の官僚組織の一つであり、その閉鎖性及び、権限と責任の関係などは他の組織と変わらないといえる。しかし、僕らがこれに注目するのはこれが軍事組織であり、軍事的機能を担う組織であるということだ。その内部が澱んでいる、あるいは澱みがちであるということは他の官僚組織と共通することだ。年金問題や薬害問題での厚労省の問題は共通する病癖を露呈させたものである。軍事組織としての防衛省については特別の問題がある。それは軍および軍事作戦の機密ということが、組織の閉鎖性に輪をかけるからだ。権力として権限だけが肥大化し、それを統制したり、チェックしたりすることが難しいということだ。独断専行とはこれを現す言葉である。政府の統制(シビリアンコントロール)とは国民の代表である政府が統制しチェックすることだが、その政府が国民に隠蔽するように機能しているのが現状である。防衛長官経験者の接待への同席問題や、給油報告の問題を政府は率先して解明するのではなく、国民の目から隠そうとする。僕は防衛省の業者との癒着問題以上に、政府と防衛省の関係、そこでの意志決定が隠されてようとすることを注視する。防衛省という官僚組織の統制や監督に反するだけでなく、その組織の独断専行を助長するのが政府の態度だからだ。 (文責 三上治)
「国会前座り込み・”徘徊”現場ニュース★」
2007年10月30日発行 十二号
9条改憲阻止の会
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