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(回答先: 狂気の宴(「或る浪人の手記」から) 投稿者 忍 日時 2007 年 11 月 07 日 12:35:20)
昨日、日本の医師を血祭りに上げ、日本の医療を完全に崩壊させてハゲタカの猟場に変える事を決心された腐れ反日政府と反日財怪塵の糞餓鬼どもな訳ですが、それに併せて、今現在取り掛かっている虐殺ショー、日本の農家の虐殺ショーにも本腰を入れて加速を付け始めている模様です。
日米財界人会議「日米EPA、09年交渉開始目指す」
【ワシントン=藤井一明】日米の企業経営者らでつくる日米財界人会議は5日、日米間の経済連携協定(EPA)について2009年の交渉開始を目指す方針を盛り込んだ共同声明をまとめた。日本の政局の混乱、米国の大統領選挙を踏まえながら、当面は情報の交換や分析にあたるべきだと判断した。一方で日本の最大の課題として農業の構造改革を挙げた。
日米EPA構想は自由貿易協定(FTA)が照準とする関税だけでなく投資、規制の透明性、競争政策、ヒトの移動、知的財産権などの分野で幅広くルールを定めることが想定されている。今回の2日間の財界人会議では、産官学による研究の早期始動を確認した。
信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)の焦げ付きを中心とする米国の住宅市場の問題に関しては「大きなリスク要因」と認め、米政府と米連邦準備理事会(FRB)に金融システムへの十分な流動性供給を促した。
(2007年11月06日 日経新聞)
本題に移る前に、小沢民主席の辞任騒動について、少しだけ言うと、本当は一つのエントリーにしようかとも思っていた訳なのですが、この記事を見て、殆ど完璧にその通りだな、と納得してしまったので、敢えて書くのをやめますた。
●文藝評論家山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』
ま、何と言うか、小沢民主席の辞任会見の後のナベツネ率いるゴミ売り新聞の焦りっぷりと、小沢民主席が居ないと自民党に対抗する事すら出来ない事を自覚している民主党執行部の慌てぶり、ここぞとばかりに小沢民主席への攻撃を始めたはいいものの、辞任を撤回されてどうしていいか分からなくなってる阿呆の混乱ぶりには、お腹一杯嗤わせて頂きますた。
ただ、まあ、政治の世界はコントをするところでは無いので、そういうのは今度から花月か何処かでやって下さいね、ナベツネくん♪
さて、それでは本題に移る事にしませう。
まずは、この日米財界人会議の事を、赤旗がもう少し詳しく突っ込んでいるので引用。
いっそうの市場開放を
日米財界人会議が要求
日米の大企業が両国の経済連携協定(EPA)締結の要求を強めています。世界第一と第二の経済大国が経済統合を深め、「貿易自由化のモデルを確立する」(日米財界人会議共同声明)といいます。同時に、協定のために、米国企業が日本で活動しやすい環境をつくるよう「構造改革」を求め、農家保護の撤廃などをねらっています。
日米EPA求め
十二、十三の両日、東京都内で開かれた第四十三回日米財界人会議は、昨年に続き、日米EPAの早期検討開始を両国政府に求めました。在日米国商工会議所が九日発表した「ビジネス白書」も「日米経済統合協定(EIA)」の検討を日本政府に促しています。いずれも、関税撤廃だけでなく、サービス貿易の自由化、投資の規制緩和、知的財産権保護での協力といった構想です。
北城恪太郎・経済同友会代表幹事は財界人会議で、「外国企業が活動しやすい環境」を整えることが競争力強化につながると述べ、「経済連携協定と自らの構造改革をリンクさせて積極的に(日本が)市場開放する」ことを強調しました。
日本農業やり玉
同会議で、日米EPA実現の“障害”として何度もやり玉に挙げられたのが日本の農産物に対する価格保障政策です。北城氏らは、小規模農家の保護をやめ、食糧自給率の向上という考え方自体を捨てることを主張しました。
来賓として演説したシーファー駐日米大使は、日米EPAを進めるためには「日本側が農業についてこれまでと違うやり方をしてほしい。補助金でなく直接支払いに変えていただけたら米国も交渉の用意がある」と述べました。
同会議は、このほか医療、金融、労働法制などでも米国企業が活動しやすい環境を日本に求めました。いずれも国民の生活に大きな影響を及ぼすことになる事柄です。
日米EPAやEIAは、小泉前政権時の「成長のための日米パートナーシップ」を発展させたものと位置づけられています。「パートナーシップ」では、両国政府が毎年要望書を交換し、実行状況を点検する仕組みがつくり上げられました。日米の大企業の代表が政策の検討に加わることも制度化されました。これをさらに全面的なものに広げようということです。
日米EPAの要求に対して、日本政府はいまのところ「真剣に受けとめる」(麻生外相)と述べるにとどまり、公式な検討開始にゴーサインを出していません。ただ、安倍首相は政権公約で「経済分野でも同盟関係を強化」するとしており、「世界のなかの日米同盟」(昨年六月に日米首脳会談で発表した共同文書)を経済でも進めていく考えです。
(2007年11月15日 しんぶん赤旗)
さて、ネトウヨも大嫌いな財怪塵の中の財怪塵、北城カス太郎さんの名前も出て来て、更に、そのカス太郎さんは、「食糧自給率の向上という考え方自体を捨てる」などと、基地の何万光年も外な事を喚いたらしいですが、こんな基地の外な提言を受けて、それをそのままトレースしようと言う基地の外な保守なんて、この世の中に存在するのですかね。
まあ、きっと、ココロザシの高いアイコクシャの方々は、こういう話題自体をスルーか、或いは、触れたとしてもカス太郎さんの事には殆ど触れる事も無く、「赤旗、共産党が反対しているという事は、日本の為にならない事」だの「共産党と意見を同じくする保守など存在しない」だのと、某半島に生息している民辱の如くに斜め上な事を言い出すのがオチなのでしょう。
ま、草履虫程の期待もしてはいないので、どうでも良いっちゃどうでも良いですが、一言だけ言わせて貰うならば、こういう事、土着の勢力や農家などの最低限の権益を保護したり、食糧自給率を最低ライン以上は守ろうとするのは本来、保守のやる事、すべき事だった筈の事な訳で、共産党と同じ意見云々では無く、その役目、仕事を共産党に奪われていると言った方が正しいですね。
保守の保守すべき物、保守たる要件すらも共産党に奪われているにも関わらず、その事にすら気付けず薄っぺらいイデオロギーでアフォをマンセーし、幼児の如くに駄々を捏ねているだけの存在。
一言で言うなら、みっともない。
反共、反共と阿呆の一つ覚えみたく喚き散らす前に、「何故、共産主義なる思想が生まれてきたのか」「何故、それがあそこまで拡大していったのか」「共産主義を押さえ込む為に、過去の政治家たちはどのような政策を採っていったのか」「何故、そのような政策を採る事にしたのか」、そういう事を少しくらいは真面目に考えた方がいいですな。
それが分かれば、先の参院選で何故に安倍自民党が大敗したのかも、多少は理解出来るでしょう。
市場原理を農業の世界に無理矢理に導入し、農家が農地を大資本に買い叩かれているのをカイカクの成果だと喜び、食糧自給率は今の水準から更に下がり続け、外国からの食料の輸入が無ければ食う物すらも碌に無いような国の、一体何処が「美しい国」なのだ、という農家からの問い掛けに耳を傾ける事すら出来ない盧武鉉脳な首相閣下が敗北するなんざ、当たり前の事な訳です。
彼らは、きちんと警告も発していたのに、です。
専門調査会報告書/グローバル化は万能か
とても評価できる内容ではない。政府の経済財政諮問会議のグローバル化改革専門調査会がまとめた農業改革を促す第1次報告書は、日本農業の特殊性をまったく無視して市場原理を徹底しようというものだ。これで農業・農村が活性化するとは到底考えられない。政府は、農業・農村を維持・発展させる視点での改革こそ目指すべきだ。
報告書は、政府が6月に決める経済財政運営の基本方針「骨太の方針2007」に盛り込まれ、政府方針になる可能性がある。そんな重要な報告書の取りまとめが、議論の経過もよく分からないまま行われた。「密室協議」に等しく情報公開の時代に逆行するやり方と言わざるを得ない。
しかも、メンバーが偏っている。報告書をまとめた専門調査会のEPA・農業作業部会は、市場原理の導入に積極的な学者や識者、財界代表で占められる。国際化に向けた改革が目的とはいえ、あまりにもバランスを欠いた陣容だ。こうした偏ったメンバーで作られた報告書が政府方針になるようでは、多くの国民の反発は免れまい。
内容的にも問題が多い。関税などの国境措置を最小限にするというのは、雨が多く一戸当たりの耕地面積が小さな日本農業の特殊性を無視するものだ。世界規模でのエネルギーと食料の争奪戦が迫っている時に、国内農業の縮小につながる「自由化」を促しては、食料の安全保障が危うくなるばかりか、国民的課題である食料自給率向上にも逆行する。政府は国内生産を増やす手立てこそ考えるべきだ。
株式会社に農地所有を認めれば農業・農村問題が解決するような幻想を振りまくのもいただけないし、米の生産調整を認定農業者の実質的な要件から外す提言は、米価下落を食い止めるために必死で需給調整に取り組む稲作農家の努力に冷や水をあびせるようなものだ。「持続的農業経営体」を育成しJAと競わせる考え方は、農協運動への重大な挑戦とも受け取れる。
農業者は必ずしも経済連携協定(EPA)に反対しているわけではない。米や乳製品など地域農業を支える「重要品目」の関税を撤廃したり、大幅に削減したりする極端な自由化は困ると訴えている。これは、世界貿易機関(WTO)農業交渉でも一貫した姿勢だ。報告書は、こうした訴えすら無視している。EPA推進に焦る財界の代弁でしかない。
JA全中が「国民の生命や環境にかかわる今後の日本の食料・農業・農村の将来について、真摯(しんし)な姿勢で前向きに議論したものとは到底評価できない」と反発するのは、当然だ。
日本経済・社会の発展は、一部の輸出企業の成長だけで成し遂げられるものではない。地方経済、農業など一次産業も含め総合的に発展する経済・社会でなければ、「美しい国」とはいえない。
(2007年05月10日 日本農業新聞)
小沢民主席は、これらの声に耳を傾け、そして応えると約束した。
ただそれだけの事をしただけです。
もう、保守ごっこをして愛国者を気取りたいだけの馬鹿はどうでも良いとして、それ以外のまともな日本人は、もっと真剣に、この問題を含めた日本が抱える諸々の問題を、当事者ではなくとも、考え始めねばならないと言えます。
実に皮肉な事ではありますが、これらをぶち壊そうとした小泉カイカクによって、これらの問題は今までよりもずっとリアルに、本当に目の前の問題であると全ての国民が考えられる位置に来ています。
ここで考える事を拒否すれば、今支配されている軍事だけでは無く、食も、経済も、その他諸々の全てを外国に握られた、奴隷国家・日本が誕生してしまう事となるでしょう。
国民経済のかたちを考える
さいきん大塚久雄氏の著作を読み直す機会があった。氏は、封建制から資本主義への移行の論理を中産的生産者層の産業資本家への転化によって説いた経済史家であり、その理論は「大塚史学」と称せられ一世を風靡した。近年の経済史学界では、必ずしも主流ではなくなったようではあるが、あらためて読み直してみると、氏の著作には今日的問題に通ずる指摘も多いことに気づく。
なかんずく、『国民経済』(講談社学術文庫、1994年。原本は弘文堂より1965年に出版)は、国民経済のあり方を歴史的視角から問い直した著作として示唆に富む。この中で氏は、『ロビンソン・クルーソウ漂流記』で知られるダニエル・デフォウの『イギリス経済の構想』(1728年)という著作を素材として、17世紀における世界最大の貿易国オランダの衰退とイギリス経済の発展を対比して描き出している。そこで強調されるのは、イギリス型の経済構造は、毛織物工業に典型的に見出されるように自国で生産した羊毛の加工および輸出を通じて繁栄を実現していくという再生産構造を作り上げたのに対し、オランダ型は、南欧と北欧間を行き来する貿易品の国際的中継市場として発展したがゆえに、自らは輸出産業としての生産部門を持たない脆弱な再生産構造となっていたということである。この相違こそが、産業革命期における両国の盛衰を左右したと捉えているのである。
いまから200年以上前の封建制から資本主義への移行期の話をそのまま現在に当てはめるつもりは毛頭ないが、国民経済がどのような構造になっているかということは、一国の行く末を左右する問題であることを私たちはあらためて認識する必要があろう。
◆日本経済の到達点をどうみるか
このような観点からみると、戦後日本経済は、農業を衰退させながら重化学工業の発展を実現するという極めていびつな構造であったと言える。このような構造は、戦後、民主化過程を経て形成され、高度経済成長期に完成されたものであったが、これは冷戦体制下におけるアメリカの世界戦略と一体となって構築されてきたものであることを忘れてはならない。すなわち、アメリカの核の傘下に入れてもらう見返りに、鉄鋼製品を輸出し農産物を輸入するという相互補完的関係である。
しかし、このような構造は、低賃金労働力の確保やそれに依拠した重化学工業の構築という点では大きな役割を果たしたかも知れないが、農業所得による家計費充足率の低下や過疎化、地域経済の衰退などと表裏一体をなし多くの矛盾を抱え込むことにもなった。この矛盾が顕在化するのを避けるため、食管制度による米価の引き上げ、地方への工場移転や大規模公共事業などによる就業先の確保が不可欠であった。食管制度と公共事業が社会不安を取り除く一種の社会保障として機能したのである。
こうして維持されてきた見せかけの均衡も、冷戦体制下での核軍拡競争がアメリカに双子の赤字をもたらし、日本経済との補完的役割を担うだけの体力がなくなると限界に達する。そして、1990年代以降、とりわけ小泉内閣が誕生して以来、「構造改革」が声高に叫ばれることになるのも、IT革命が国境を越える資本の移動を可能にし、グローバリゼーションを促進したからである。国民国家は厳然として存在しており、この意味で国民経済の枠組みも依然として意味を有しているにもかかわらず、資本にとっての関心は、もはや国民経済ではなく自由な活動と利潤が保証される場の確保に移行したのである。したがって、「構造改革」の名のもとに進められた政策は、市場原理に絶対的信頼を置く新自由主義的改革であり、資本・商品・労働力の移動を妨げていると見なされるものは全て「規制」と捉えられ、ことごとく撤廃し「小さな政府」を目指すというものであった。郵政民営化、国立大学・試験研究機関の独立行政法人化、市町村合併等々、いずれもこの路線に沿った政策であった。一言で表現すれば、「グローバル化対応型国家」への再編である。
◆いま農業政策に求められるもの
とはいえ、農業を犠牲にして工業の発展を促進するという国民経済のかたちが変わったわけではない。農政についてみれば、「食糧法」(1995年)、「食料・農業・農村基本法」(1999年)、そして今話題となっている経営所得安定対策など、一連の制度変更は国境措置の撤廃を前提として、市場原理を全面的に導入していく「グローバル化対応型農政」の展開であるが、これはあくまでも従来の構造の延長線上に展開されているに過ぎない。こうした中、農村現場では、目下、来年度から実施される経営所得安定対策に向けて集落営農の組織化や法人経営の設立に奔走している。しかし、農政の目指す担い手像が「農業版ホリエモン」の育成に思えてならず、危惧を抱くのは私だけだろうか。
いずれにせよ、こうした議論を主導しているのが、農村現場ではなく、農業とはまったく無縁の財界側であることにも注意を払う必要があろう。グローバリゼーションへの順応が、最終的に誰に利益をもたらすのかを如実に示しているからである。そして、一応の目途のついた担い手対策に代わり、次の標的として槍玉に挙げられているのが総合農協の解体と農地制度改革であるのも偶然ではない。いずれも、戦後農政の柱であった政策であり、これらの制度変更はまさに「戦後農政の総決算」(田代洋一氏)であると同時に、「グローバル化対応型農政」への総仕上げなのである。
しかし、あらためて想起されなければならないのは、すでに限界に達していたのは、戦後、農業を犠牲にすることで新鋭重化学工業を確立し、日本経済全体の高度成長を実現するという国民経済そのものであった。したがって、いま本当に問われるべきは、いかに農業を発展させながら工業との応答的な関係を構築し、真の豊かさを実感できる国民経済と地域経済の発展を実現していくかということであり、それには国境措置を含む農業保護政策が不可欠なのである。グローバリゼーションへの対応や東アジア共同体構想は、これを前提として検討されるべきであろう。
村薫氏は、小説『新リア王』(新潮社、2005年)において、青森を地盤とする保守系大物政治家・福澤榮に漁業政策の失敗を語らせている。曰く「国際的な資源管理の時代はある日突然始まったのではないし、世界一の水産国としてもっと早くに水産業の将来図を描けなかった政治の無策は否定の余地もない」(上巻、397頁)と。主人公がこのように吐露するのは、「同じ敗北でも漁業分野は、農産物の輸入自由化による農政の混迷とは比べものにならない完敗の歴史であった。・・・・・自国の漁業を守れなかった漁業交渉の敗北の歴史は・・・・間違いなく痛恨の記憶の最たるものでもあった」(同、393頁)との苦い思いからである。歴史は繰り返されてはならない。
(2006年04月06日 農業協同組合新聞「農協時論」)
「或る浪人の手記」から
http://restororation.blog37.fc2.com/blog-entry-994.html
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