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(回答先: 文科省調査官が介入、波多野委員が初明言 教科書検定審議 【琉球新報】 投稿者 Takeru 日時 2007 年 10 月 12 日 11:06:27)
以下、宮城ヨシヒロさんの「なごなぐ雑記」から、琉球新報Web版には書いていない、波多野教授の一問一答の内容の詳報とその関連文です。(文中かっこ内URLはTakeruによる補足です) Tekeru
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なごなぐ雑記-宮城ヤスヒロのブログ-沖縄で生きて感じ考えいくことの覚書-
『集団自決歴史教科書問題:審議会委員が文科省調査官の介入を証言』 http://miyagi.no-blog.jp/nago/2007/10/post_564e.html
本日の琉球新報朝刊一面のニュース
文科省調査官が介入、波多野委員が初明言 教科書検定審議(琉球新報=2007.1011)
(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27964-storytopic-1.html)
〜〜〜↓ここから宮城ヤスヒロさんの表題記事本文〜〜〜(Takeru注)
政府がいままで、政治/政府は関与できない、中立公平の第三者機関だとしていた審議会(教科用図書検定調査審議会)。
その審議会の審議に、文科省の教科書調査官が具体的に関与していることを、当事者である審議会委員の波多野澄雄筑波大教授が証言した。
いままで、関与しているとしかいえない実態は、国会の審議などであきらかになっていたが、審議会委員が直接その旨発言したことは大きい。
政府・文科相は、「審議会」の中立公平さを言い張り続けてきたが、その論は崩れだしていた。であるから、文科相が「制度見直し」を発言しなければならない位置まで来ていた。今回の波多野教授の発言は「検定制度見直し不可避」へと背中を押す。
検定意見の元になった文科省役人である調査官の意見は、調査官が自身の意見の根拠とした文献の著者から「虚偽」「欺く」と手厳しく反論されている(続きに後述)。そして今回の審議委員からの介入証言である。ここまで証拠が出揃って、悪事の化けの皮ははがれているのに、なにゆえに検定意見は撤回されない。水戸黄門でも出てきて叱ってもらわないとどうにもならないのか。
歴史問題に「政治が関与する」ことを躊躇しているらしい国会は、検定撤回決議は困難との見通しだという。しかし
状況は、国会が動かないことは、逆に不作為の政治関与になることを示していないか。
ここはぜひ、再考すべきである。国会が表立ってトンデモ史観を採用するのでない限り、与野党全会一致できる筋合いの問題だ。
続きは、新報ウェブ版では出ていない波多野教授の一問一答の内容や、検定意見のダシに使われた林教授の学術研究者としての憤りの率直な意見等。
新報ウェブ版では出ていないので、新聞記事から私が載録する。ミスタッチ等はご容赦。
---ココカラ
「教科書検定」一問一答
波多野澄雄審議会委員に聞く
教科用図書検定調査審議会日本史小委員会委員、波多野澄雄教授との一問一答は次の通り。
−審議の内容は。
「教科書調査官が中心になって説明する。こういう意見を付けたいが、どうでしょうかと。やりとりがある場合もあるし、ない場合もある。今回のケース(集団自決)で議論はなかった。調査官が、こういう意見を付けたい、理由は本が出たとか裁判があるとか説明した」
−「集団自決」に意見が付いたことをどう思うか。
「集団自決をめぐる学術的な大きな変化があったとは思えない。それなのに2005年まで認めてきたことを変更する。わざわざ意見を付けることにやや違和感はあった」
−なぜ議論しなかったのか。
「沖縄戦の専門家がいない。調査官の方がよく調べており、委員より知っている。説明を聞いて、納得してしまう部分がある。沖縄戦の専門家が入っていれば(結果は)だいぶ違っただろう」
−何が問題だと思うか。
「検定意見は妥当だったと思う。ただ、調査官が教科書会社に十分に説明したかどうか疑問だ。集団自決は日本軍の存在を抜きにしては語れない。それをどう書くかだ。教科書会社は文科省の顔色をうかがうだけじゃなく自信を持って書くべきだ」
−今の審議会の在り方をどう思うか。
「教科書が文科省の下で作られている限り、審議会を全くの第三者機関にすることは難しい。検定そのものを文科省と切り離してしまうことはできない」
−調査官が議論に入ることはあるのか。
「もちろんある。いろんなことを意見交換する。全く委員だけで話すことはない。調査官も専門家だとみなしている」
−委員会に調査官が入ると、全く独立した第三者機関ではないのでは。
「そうだ。正しい意味では独立してはいない。文科省の役人が直接委員会に入るのは望ましくない」
−現行制度も問題点は。
「委員以外の専門家に意見を聞く機会があってもいい。公開性や透明性という点でも不十分だ。最終的な検定意見になってから(世間に)公表される。例えば部会が終わった段階で、こういう意見でこういう修正をすると公表してもいい」
−県民大会の印象は。
「驚いた。あらためてこの問題の重要性を知った。そういう意味ではもう少し慎重にすべきであった」
(琉球新報2007.1011・社会24面)
---ココマデ
上記にある理由にされた本の著者、林博史教授のホームページを紹介する。ぜひ訪問して、いただきたい。
日本の現代史と戦争責任についてのホームページ
(林博史研究室)
林教授は、自身の著書が教科書から集団自決の日本軍関与を削除する「理由」にされたことについてどのように発言なされているか。ぜひとも、おおぜいの人に読んでいただきたいので、タイムス掲載の全文を上記ホームページより転載する。
---ココカラ
『沖縄タイムス』2007年10月6日7日
教科書検定への異議
文科省の意見撤回を
林 博史
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これは『沖縄タイムス』の2面に連載された私の意見です。すでにNHKで何度か話しをし、さらに9月29日の県民大会後、いくつかのテレビで若干のコメントをしたのですが、放送されたのは話したことのほんの一部です。日本政府の不誠実でごまかしの対応に腹立たしい思いで、沖縄の中でも安易に妥協しようとする動きが出ているようですので、検定意見撤回しかないと強調したかったこと、また後にはっきりと残る形で示しておきたかったこともあり、『沖縄タイムス』に載せてもらいました。2007.10.10記
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日本軍の強制を削除させた教科書検定に対する沖縄県民の怒りの前に政府はようやく対応せざるをえなくなってきた。そのなかで浮上してきたのが、検定そのものは認めたうえで、教科書会社から記述の訂正があった場合には「真摯に対応する」として、元の記述の表現を若干変えれば、事実上、同趣旨の記述の復活を認めるという方法である。この方法では、日本軍の強制性を否定した検定意見はそのまま無傷で残り、将来にわたって禍根を残すであろう。
文部科学省が教科書執筆者たちを呼び出して、検定意見を通知した方法を見ると、検定意見が執筆者に説明され、それに対して執筆者で対応を協議し、どのように修正するかを決めて回答する。この手続きを日本史教科書であれば古代から現在まですべてを2時間で終えなければならない。つまり持ち帰って資料や研究に再度あたることが許されず、その場で対応を決定しなければならない。
複数の教科書執筆者の話によると、この席で文科省の調査官は、「最新の成果といっていい林博史先生の『沖縄戦と民衆』を見ても、軍の命令があったというような記述はない」などを私の著書『沖縄戦と民衆』を例に挙げて、日本軍の強制を削除させる根拠にしたという。執筆者たちは結局、その場で検定意見を受け入れざるを得なかった。そこであくまで拒否すれば検定不合格となり、教科書作成のそれまでの努力がふいになるからである。ある執筆者は帰宅後、私のその著書を取り出してみたところ、「いずれも日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たしており」「日本軍の存在が決定的な役割を果たしている」という結論であることを確認し、「無念」の思いにとらわれたと語っている。
私は著書の中で1つの章を「集団自決」にあて、その中で「日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える」との認識を示したうえで各地域の分析をおこない、渡嘉敷島のケースでは「軍が手榴弾を事前に与え、「自決」を命じていたこと」を指摘している。座間味島のケースでも日本兵があらかじめ島民にいざという場合には自決するように言って手榴弾を配布した証言を紹介している。「集団自決」がなされるにあたって「軍からの明示の自決命令はなかったが」というように、同書執筆時点(刊行は2001年12月であり、執筆は前年からおこなった)で確認できた証言などから、いま自決せよというような命令は出されていなかったと思われたのでそうした認識は示している。その箇所だけが文科省に利用されてしまった。
しかし、私の著書では、あらかじめ自決するように手榴弾が配布されていたことや、捕虜になることは恥だと教育されていたこと、米軍に捕まるとひどい目にあわされて殺されると叩き込まれていたこと、住民が「自決」を決意したきっかけが「軍命令」であったことなども指摘し、さらに日本軍がいなかった島々では米軍が上陸しても「集団自決」がおきていないことを検証し、結論として先に引用した部分のほかに「「集団自決」は文字どおりの「自決」ではなく、日本軍による強制と誘導によるものであることは、「集団自決」が起こらなかったところと比較したとき、いっそう明確になる」と断言しているのである。
渡嘉敷島や座間味島については、この間、新しい証言が次々に出てきており、私の著書の記述を書き改めなければならないと痛感しているが、しかし日本軍の強制と誘導が「集団自決」を引き起こしたことは、それまでに明らかにされていた証言などからも明白であり、私の著書のみならず沖縄戦に関するすべての研究が同じ結論に達していたものだった。最近、新しい証言が出てきたから、それを理由にして教科書会社からの正誤訂正を認めると話が出ているようだが、そうしたやり方は、これまで長年、沖縄の人々の努力によって積み重ねられてきた沖縄戦の調査と研究をまったく否定するもので、決して認めることはできない。
教科書調査官が執筆者たちに言い渡した検定意見は、明らかに虚偽に基づいて執筆者を欺いたとしか言いようがない。資料も文献もない文科省の一室にいた執筆者たちは調査官の意見に反論する材料も機会も与えられないまま、その検定意見を認めて書き換えるしかなかった。執筆者たちが検定意見を持ち帰って、私の著書を確認すれば、調査官が根拠にしている研究では「日本軍の強制と誘導」によると結論付けているではないか、そうであれば、日本軍によって「集団自決」を強いられた、あるいは「集団自決」に追い込まれたという記述は、この研究成果を正しく反映した記述ではないか、という反論を行うことができただろう。しかしその機会は与えられなかった。こんなやり方は詐欺と非難されても仕方がないのではないか。
文科省は、日本軍の強制を否定するような研究がまったくないので、仕方なく、全体の文脈からは切り離して私の著書から一文だけを抜き出して、結論とは正反対の主張の根拠に使ったのである。現在の検定意見言い渡しの方法が、そうした詐欺的手法を可能にしたのであり、検定制度そのものの見直しも必要である。
文科省はこうした手法で執筆者たちを騙し、検定意見を押し付けたのである。このようなやり方のどこが合法的なのだろうか。これが教育に責任を負う官庁がおこなうことなのだろうか。こうした詐欺のような手法で押し付けられた検定意見をそのままにして正誤訂正でごまかそうとすることはけっして認めるわけにはいかない。文科省は、著作を歪曲し間違った検定をおこなったことを認め、検定意見をただちに撤回すべきである。
---ココマデ
林教授の「検定意見は、明らかに虚偽に基づいて執筆者を欺いたとしか言いようがない」という指摘はとても重要。私が付け加えることはなにもない。検定意見は撤回させるしかない。
あぁ、あまりにもデタラメ。あまりにも非道。
文科省の、権力を握り操作しようという輩の、あらわれた馬脚を、頭隠して出ている尻を、思いっきり蹴り上げてやりたい。
私は沖縄で生まれた。率直にこころより思う。
死者をこれ以上いたぶらないでほしい。そして生をたいせつにしよう。
そうでなければ、生きて捕虜になるより死を選ぶべしという価値観を教育で刷り込まれ、死んでいった、殺し合った人たちにすまない。歴史教科書でどのように扱うかという問題は、普通に想像している以上に重要な問題をはらんでいる。沖縄でも「保守」勢力が記述復活で実をとればいいじゃないかと言い出している。悲惨な体験をした沖縄だから、沖縄の人がそういっているからなどという問題ではない。確実に腐敗する「権力」と、そして私たち自身の「忘却」と闘っていかなければ、平和はつくりだせない。
本日はここまで、あぁ、忙しい、眠くてしょうがない(泣)。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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