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[参考情報]パヴァロッティの死、“飽くなき美の政治化”を夢みた咎で、この世と煉獄の間を彷徨う“美しい人”と対極の人生
[本 題]“われ歌う、ゆえにわれあり”のルチアーノ・パヴァロッティ逝く
<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070907
【画像1】パヴァロッティ像
f:id:toxandoria:20070907160338j:image
(蝋人形、ウイキペディアより)
【画像2】モディナ大聖堂
f:id:toxandoria:20070907160427j:image
(ウイキペディアより)
イタリアの青い空を突き抜けるようなハイ・ツェー(King Of High-C)の美声で世界中の人々を魅了したルチアーノ・パヴァロッティが膵臓がんのため2007年9月6日に71歳で逝きました。余りも早すぎる死でとても残念です。
【画像3】ミラノ大聖堂とイタリアンの“スコーン”(“抜けるような青い空”、撮影:2006年7月)
f:id:toxandoria:20061108213103j:imageほか
周知のとおり、パバロッティは親しみやすい人柄で、しかも、そのひょうきんでチャーミングな笑顔は日本でも多くのファンの心をつかみました。パバロッティといえば「誰も寝てはならぬ」(Nessun Dorma )の美しい旋律を思い出す人も多いと思います。また、女優の“壇ふみ”さんが、かつてパバロッティの追っかけであったことは知る人ぞ知るのオハナシです。
毎年、パバロッティが「パバロッティ&フレンズ」の名で、アフガニスタン、イラク、カンボジアなどの難民や世界中の不幸な青少年たちのヘルスケアのためにチャリティー・ショーを行っていたことも知られています。
このような惜しむべき訃報に接するたび思い出すのが『悪い奴ほどグッスリよく眠り、末永く生き永らえる』というコトバです。その遺体は、同日の夜に故郷のイタリア北部モデナ(Modena、http://en.wikipedia.org/wiki/Modena)の大聖堂に移され、大勢の市民が別れを告げたと報じられています。本物の『美しい人』の死です。
“われ歌う、ゆえにわれあり”の心は?・・・・・
「パバロッティ&フレンズ」のHP(http://www.lucianopavarotti.it/)に次のようなパバロッティの言葉が書いてありますので、ご想像ください。
『Penso che una vita per la musica sia una vita spesa bene ed e a questo che mi sono dedicato.』(イタリア語)
『I think a life in music is a life beautifully spent and this is what I have devoted my life to.』(英 語)
(かつて、一回目の“三大テノール東京公演”で、パバロッティの歌声をLIVEで聴いたことが懐かしく思い出されます)
・・・・・
下の『Japan listen』のサイトでパバロッティの歌声を視聴し、購入することができます。
【画像4】f:id:toxandoria:20070907170456g:image
http://listen.jp/store/artist_14654.htm
●以下は、[007-08-28付toxandoriaの日記/美容整形的“安倍改竄内閣”の“偽装右翼一派”の真相、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070828]へのTB&レスを参考として再録するものです。
●日本の勘違いした『美しい人』は、“さまよえるオランダ人”(Der fliegende Hollaender/下記<注>)のごとく政府専用機で世界を飛び回るばかりのようです(本日、安倍首相はAPECでブッシュ大統領らと会談するためオーストラリアへ出発した)。
<注>さまよえるオランダ人(Der fliegende Hollaender):リヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ。ドイツの詩人ハイネの同名の作品にワーグナーがヒントを得て作曲した。その物語は“限りない美の現実(政治)化(?)”を夢想した神罰で、この世と煉獄の間を永遠にさまよう、カルト化した(?)オランダ人の顛末。
[TB](Mr.kaisetsu to toxandoria)、http://blog.kaisetsu.org/?eid=586587
『市場化された共同体主義について』
『市場化された場に於ける共同体主義』は、海舌の造語である。これまで、説明なく使ってきた。
これの具体的資料は市場化された場に於ける共同体主義
日本も含めて、やっと、この「市場化された場に於ける共同体主義」への移行が現実化しつつある、という認識から少し説明したい。
これは、ブリュッセルとワシントンの対立とも関連している。
⇒(参照、記事)ブリュッセルとワシントン
端的には、toxandoria氏が次で暴露している小泉政治の偽装的自由民主主義の末路である。
⇒(参照、記事)『toxandoria の日記、アートと社会』、2007-08-28 美容整形的“安倍改竄内閣”の“偽装右翼一派”の真相
つまり、高度情報化の進展過程で起こっている野獣的な自由主義に対する制御の問題である。歴史的に、こうしたプロセスは、経済の分野で始まる。市場化に 取り残されている地域の市場化促進と、野獣的で庶民が無防備に虐待されている先進諸国の暴政の制御の問題がクローズアップされてきている。
まず、アンチ小泉を安倍政権自体が明白に打ち出しつつある。⇒(参照、記事)アンチ小泉
ブッシュ政権も、サブプライム問題を、住宅困窮者への救済という社会正義の問題からのアプローチで解決しようとしている。 南米諸国の自律的行動も同じコンテキストである。
但し、封建的な制度の解体と非効率な公務員制度、官僚機構の解体は一層促進する必要がある。市場化された後の、共同体の再構築の問題である。
[レス](toxandoria to Mr.kaisetsu)
toxandoria 『kaisetsuさま、記事紹介&TBありがとうございます。
「市場化された後の、共同体の再構築」については、おそらく意識をほぼ共有しつつあるのではないかと思います。
実は、やや異なる角度からのアプローチで「小泉政治の偽装的自由民主主義」の本質が更によく見えてきたような気がしています。
それは、この「市場化された後の、共同体の再構築の問題」の深淵にはユダヤ教、イスラム教、キリスト教の暗闘の歴史(=生誕地の風土にかかわる世界認識の問 題)が影を落としているということです。「小泉政治の偽装的自由民主主義」は、おそらく、このことを意図的に無視しているようです。
しかし、イスラム教原理主義によるテロの問題も、ここに気付かぬ限り解決の手がかりは得られないはずです。
特に、安倍の美しい国の余りにも“アナクロという意味で日本的すぎる精神環境”(=土着精神ゆえの風土病的宿痾)は「市場化された後の、共同体の再構築」を途轍もなく勘違いしていると思います。
逆説的な意味ではありますが、安倍の“神がかった美しいアナクロニズム”は、この「余りにも日本的な偽装右翼の病理」を抉り出す結果となり、「安倍の美しい国」は一種の毒物療法的意味で“怪我の功名”と化しつつあるようです。
ただ、悲しむべきことですが、このリアリズムが一切目に入らない安倍はオロオロと立ち往生するばかりです。
多大な犠牲を払った上ではありますが、そして彼らの間に未だ大きな温度差は存在しますが、既に欧米の人々の多くは、このことへの真剣な対処に向かって舵を切りつつあるのだと思われます。』 (2007/09/06 15:44)
【連想的・参考資料】
お茶の水女子大学教授、土屋賢二・著『われ笑う、ゆえにわれあり』(文春文庫)
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