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<現在>を読む 宮本顕治氏の死去/創造性回復する思想的営為を【辻井喬】(どこへ行く、日本。)
http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/402.html
投稿者 gataro 日時 2007 年 8 月 29 日 23:13:40: KbIx4LOvH6Ccw
 

(回答先: <新作「萱刈」刊行される>家父長制に抵抗して精神形成/近代化と伝統の矛盾描く新作【辻井喬】(どこへ行く、日本。) 投稿者 gataro 日時 2007 年 8 月 29 日 22:57:47)

http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10045175921.html から転載。

<現在>を読む 宮本顕治氏の死去/創造性回復する思想的営為を【辻井喬】
2007-08-29 21:21:11
gataro-cloneの投稿

テーマ:共産党/共産主義

8月6日付毎日新聞の朝刊に辻井喬さんが、宮本顕治氏の死にあたって一文を寄せている。

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<現在>を読む 宮本顕治氏の死去/創造性回復する思想的営為を

今日のわが国の思想情況には、維新後に宿痾(しゅくあ)となった思想の現実および感性からの遊離がある。第二にそれゆえに、大衆消費社会の出現によって大きく組替えが要求されているにもかかわらず、それに対応できないという欠陥が続く。

わが国には珍しく、思想家がその集団の指導者である場合、その二つの宿痾は組織全体の欠陥として現れてくる。

    □ □ □

敗戦後、長い間、共産党の指導者の地位にあった宮本顕治の訃報(ふほう)に接した時、僕のなかに浮かんだのはそうした感情だった。

ことわるまでもなく、共産主義という大きな思考体系と、共産党という政治活動組織の性格、政策、運動形態は別のものである。共産主義者は総(すべ)て共産党員でなければならないというのは、今になればひとつの時代の理論であり、共産主義者でない革命家は、警戒すべき存在として打倒目標であるという主張も時代遅れの教条と言うべきなのではないか。こうした教条の影響は、緻密(ちみつ)な分析に基づいた政策を主張しても、それを実現する政治過程を無視する行動へと集団を導き、他の集団との平和的な共存を不可能にする頑(かたく)なさとして現れたりする。

こうした組織の性格は、今日においても、共産党の主張は論理的に整っていて頷(うなず)けるが同調しにくい、もう少し親しめる集団にどうしてなれないのかという、大衆社会の側の反応となって残っている。論争で勝っても、本当に勝ったことにならないとはこういう事なのだ。優れた文芸批評家でもあった宮本顕治はわが国の思想界のこうした宿痾を十分認識していた。しかしこうした問題に取り組む前に彼はまず実践家として共産党の古い体質、事大主義に裏付けられた家父長制を払拭(ふっしょく)しなければならなかった。党の体質の近代化と言ってもいい。

五十八年の第七回党大会で宮本体制が出現するまでの党の分裂は、いろいろな要素が絡まっていたが、家父長制対近代的指導体制、恣意(しい)的な個人的リーダーシップとの戦いであったと僕は思う。そうした背景の下で、共産党は第八回党大会で平和綱領を決定すると共に、その後ソ連共産党、そして中国共産党など海外の党からの干渉を斥(しりぞ)け独立路線を貫くことに成功したのだった。

しかし更に時代は動き、わが国にも、大衆消費社会が出現した。わが国の場合、民主主義の実体化が十分ではないままに新時代に移行したために、明確な主義や思想を持った集団にとっては、きわめて対応しにくい性質の社会の出現であった。この経緯を近代化に成功したが現代化では苦戦を強いられていると単純化してもいいかもしれない。だが東西冷戦の消滅後、対抗勢力をなくした世界の市場経済の堕落、頽廃(たいはい)は深刻の度を増し、悪しきグローバル化が世界を覆いつつある時、共産主義者が果たすべき役割はむしろ大きくなっているのではないか。

そのためには若き日の毛沢東がその国の文化的伝統を再構築しマルクス主義に創造性をもたらしたように、新たjなる思想的営為が共産主義者にも求められているのではないか。

    □ □ □

わが国の場合には、アジアのなかの日本という視座を失うことなく、アメリカへの従属関係をどのように是正していくか、環境問題とどう取り組み、戦争責任の処理の曖昧(あいまい)さが、社会的モラルの衰弱とどう絡まっているかを解きほぐし、国の内外の資本の過剰活動から、どのようにして人間の心身両面の健康や尊厳を守っていくか等々、社会的課題は山積していると言わなければならない。そうした時代のただ中での宮本顕治の死が、マルクス主義の現代社会への適応、創造性回復のマイルストーンになるのか、ひいては終末に向かっているかに見える産業社会の、新しい社会体制への跳躍の契機になるのかは、共産主義者ばかりではなく、多くの知識人の関心事なのではないかという気がする。

辻井喬 つじい・たかし 詩人、作家。1927年生まれ。東京大卒。本名・堤清二。大学時代、共産党で活動した。近著に小説『萱刈』。

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【関連エントリー】

<新作「萱刈」刊行される>家父長制に抵抗して精神形成/近代化と伝統の矛盾描く新作【辻井喬】
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10045162591.html

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