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http://ameblo.jp/jiji-tsurezure/entry-10043911587.html から転載。
民主党御用学者=山口二郎氏批判
テーマ:ブログ
2007-08-20 14:19:22
今年は日本共産党創立85周年にあたる。それを記念して記念集会が行われたが、その集会における不破哲三氏の講演は日本共産党を取り巻く状況に対して、正確な批評を加えたものだといえる。
なかでも、私が、「さすが、不破哲三だ!」と思ったのは、日本共産党とイタリア共産党とを対比して、論じた部分である。以下、その引用である。
「イタリア共産党は風向きを見て、ソ連崩壊の年の一月〜二月の大会でいち早く共産党の名前を捨て、マルクス主義の理論も捨てることを決め、『左翼民主党』という党名に衣替えしました。その後、政権に付いたり離れたりしましたが、もうだれも驚きません。普通の中道政党に変わってしまったものと見られています。今年は、秋に新しい大会を開いて、今度は、保守党の一部と合同し、名前から『左翼』をはずして、ただの『民主党』になるといっています。『革新』の立場も『左翼』の立場も、きれいに投げ捨ててしまいました。日本での一部の論評では、日本より進んだ共産党だという評価がありますが、これがイタリア共産党の実情であります」
(8月12日付『しんぶん赤旗』 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-12/2007081225_01_0.html )
不破氏の言う「日本の一部の論評」とは民主党御用学者である山口二郎氏や後房雄氏などのことを指しているのだろう。
なかでも、山口二郎氏は『SAPIO』(8月22日・9月5日号)において次のように言う。
「イタリア共産党は、かつて西側最大の共産党だったが、1990年代にイタリアで選挙制度改革が行われた時、生き残りを図るために左翼民主党と党名を変更。政策も社会民主主義路線にシフトした。そして共産党時代の組織を生かし、中道左派連合『オリーブの木』の一翼を担うようになった。
共産党にこの選択が出来れば、日本でもすぐに政権交代が可能になるのである。だが、このまま『確かな野党』にこだわり続ける限り、科学的に正しい泡沫政党として、やがて政治の舞台からフェイドアウトしていく運命になるだろう」
山口氏はイタリア政治がよほどお好きのようだ。それはそれで別にかまわないが、重要なことは、山口氏がイタリア共産党を日本共産党との対比で語るとき、1990年代中ごろのイタリア共産党にのみ、焦点をあてて語っているという点である。そして、山口氏は、現在のイタリア共産党については全く語ろうともしないのである。
しかし、不破氏は、山口氏とは違って、現在のイタリア共産党について、明瞭に語っている。
「(イタリア共産党は)今年は秋に新しい大会を開いて、今度は保守党の一部と合同し、名前から『左翼』をはずして、ただの『民主党』になるといっています。『革新』の立場も『左翼』の立場もきれいに投げ捨ててしまいました」
「『革新』の立場も『左翼』の立場もきれいに投げ捨ててしまいました」というように、イタリア共産党は、イタリアの財界=独占資本にとって、全く無害の政党になってしまった。山口氏は「政策も社会民主主義路線にシフトした」というが、現在のイタリア共産党は保守党と合同しつつある。社会民主主義路線する放棄する日も近いだろう。何故、山口氏はそんな党を持ち上げるのだろうか?
1990年代のイタリア共産党の歩いた道は、1990年代の日本社会党の歩いた道ときわめて類似している。社会党の田辺誠氏は、92年の末に、新聞のインタビューにおいて、その後の政界再編を見越して、社会党の党という「器」が壊れても、社会党の「魂」が残ればよいのだ、という由の発言をした。
しかし、それから、15年。社会党の党という「器」は壊れたが、「魂」は一体どうなったであろうか。
社会党は「政権欲しさ」のあまりに、党の核たる主張であった憲法や自衛隊に関する主張を一変させ、規制緩和にも賛成した。その後、社会党の勢力は、民主党と社民党に分かれたが、民主党内の旧社会党勢力は、党内右派の前に沈黙している。社民党は、支持基盤である労働組合を根こそぎ民主党に持っていかれてしまい、第二民主党と化している。かつての社会党の主張を、もはや、民主党内に見つけることは出来ない。田辺氏の言葉を借りて言えば、「器」も壊れて、「魂」も壊れた、と言う結果になったのである。
イタリア共産党、日本社会党ともに、「政権欲しさ」のあまりに、党の独自性に変化を加えた。その結果、独自性は見る影もなくなり、財界=独占資本にとってきわめて無害の政党になってしまった。「政権欲しさ」という熱病はこれほどまでに危険なものなのである。
鶴見俊輔氏は久野収との共著『現代日本の思想』の中で、次のように言っている。
「日本の思想は、実にぐらリぐらりと、外的な刺激に応じて『移動』していく。・・・このように、すべての陣営が、大勢に順応して、右に左に移動してあるく中で、日本共産党だけは創立以来、動かぬ一点を守りつづけてきた」
(『現代日本の思想』岩波新書 54頁)
「日本の思想」と言っているが、これはそのまま、日本社会党やイタリア共産党と置き換えてよいであろう。彼らは、「外的な刺激に応じ」「大勢に順応して」「ぐらりぐらりと」その姿勢を変化させてきた。その結果、党の独自性は粉々になり、今や見る影もなくなってしまった。
政権を獲得することは確かに重要だ。しかしそれが、党の独自性をゆるがせにし、放棄することに結びつくと、短期的にはそれでよいかもしれないが、長期的に見れば、政治にとって大きなマイナスとなる。我々は、日本社会党の消滅と言う経験で、それを十分に学んだ。
また、鶴見氏は別のところでこうも言っている。
「・・・共産党が頑固さを失えば、かえって弱くなっていく危険性はあると思います」
(『経済』 04年1月号 上田耕一郎氏との対談)
山口氏や後氏などと違って、鶴見氏は共産党が頑固であること、「動かぬ一点を守りつづけ」ることの重要性を主張する。社会党のように、「ぐらりぐらりと」その主張を変えることの危険性を十分に認識しているからだろう。
共産党の行くべき道として、山口氏の主張が正しいか、鶴見氏の主張が正しいか、それは今後数年間の政治のうえで決着が付くだろう。もとより、社会党、イタリア共産党の顛末を見れば、どちらの主張が正しいか、もう答えは出ているようなものだが。
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