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(回答先: 終戦記念日 不戦の誓いを守り抜こう(山陽新聞) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 15 日 14:10:17)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C03590.HTML
2007.8.15(その1)
森田実の言わねばならぬ[472]
平和・自立・調和の日本をつくるために【312】
8.6ヒロシマ、8.9ナガサキ、そして8.15敗戦――平和を誓う日。ここに日本国民の原点がある
「民衆の幸福こそ最高の法律である」(ローマ法)
「良い戦争、悪い平和などあったためしはない」(フランクリン)
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夏になると必ず62年前の夏を思い出す。もっとも夏でなくても絶えず思い出している。
1945(昭和20)年8月15日、玉音放送を聴いた。「広島に新型爆弾・全滅」のニュースを聞いたのは学徒動員先の農村だった。
初めて丸木位里・俊夫妻作の「原爆の図」を見たのは1952年大学生の時だった。私は、故郷・伊東において原爆展を開いた。1952年夏のことだった。以来、約8年ほどの間、原水爆禁止運動をした。
1954年3月1日、南太平洋ビキニ環礁付近で操業中の焼津のマグロ漁船第五福竜丸が、アメリカの水爆実験で「死の灰」を浴びた。被爆した同船無線長の久保山愛吉さんが犠牲になった。このときから原水爆禁止運動の運動家になった。絶えず集会デモを行い署名運動を行った。
1957年夏、初めて長崎へ行き、被爆者に会い、話を直接聞き衝撃を受けた。このとき、原水爆禁止世界大会の運営委員を務めた。
1958年夏、東京で開かれた第3回原水禁世界大会の運営委員、スポークスマンを務めた。原水爆禁止世界大会事務総長の安井郁先生を手伝った。元東大総長の南原繁先生に原水爆禁止世界大会の基調報告をお願いした。名演説だった。
1959年夏、初めて広島へ行き、原爆ドームや記念館を見学。被爆者の話を直接聞いた。
毎年、夏になると思い出すのは戦争の悲惨、長男(私の長兄)を戦争で失った母の悲しみ、家族の悲しみ、夫や息子を戦争で失った多くの母親たちの悲しみ、そして原爆のことである。
戦争は絶対にしてはいけない。どんなに忍耐しても平和は守らなければいけない。憲法第9条は守らなければいけない。私自身、生あるかぎり、戦争勢力とは戦いつづけなければならないと改めて思う。
とくに日本が、戦争大統領ブッシュの世界制覇の野望の手先として使われることは絶対に承知できない。ブッシュ戦争大統領の手先となった小泉・安倍内閣は本当に悪い政権である。許してはならないと思う。
民主党は、断固としてアメリカに「ノー」といった小沢路線を貫くべきである。
8月15日は全国民が平和を誓う日である。戦争だけは絶対にしてはいけないことを誓う合う日である。
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