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平和と自衛:憲法施行60年(その1) 戦後政治、9条で読む
参院選は憲法が重要な争点の一つだ。安倍晋三首相は当初、年金問題や公務員制度改革よりも憲法改正を「戦後レジームからの脱却」のシンボルと位置付けていた。首相の指示で、5月には国民投票法が成立。今回は、3年後から可能になる改憲の発議で、賛否を迫られるかもしれない議員を選ぶ選挙でもある。各政党の憲法に対する態度は、施行から60年間、どう変わってきたのか。激変する国際情勢に対応し、9条と安全保障政策の関係をどう整理しようとしているのか。各党の戦後の歩みを再点検するとともに、主要7党を対象に実施したアンケート結果を報告する。
◇保革せめぎあい−−終戦〜冷戦
■安保の季節
戦後の政党政治は、保守合同で誕生した自民党が憲法改正を主張し、革新勢力の社会党や共産党が憲法擁護を掲げる「保革対決」の基本構図が長年、続いた。数では自民党が上回っていたが、安全保障に関する国会論戦では護憲勢力が華々しく活躍。理詰めで政府・自民党を立ち往生させ、国会審議が中断する場面もしばしば見られた。
石橋政嗣氏「実行可能な限り協議すると言うが、核兵器の持ち込みも相談されぬこともあるということか」
岸信介首相「核兵器の場合はそういうことは絶対にない」
60年、日米安保条約の改定案を審議した通称「安保国会」の衆院安保特別委員会。社会党は、核兵器の持ち込みについて、新条約の付属文書でうたわれているようにアメリカが日本に相談する「事前協議」が実際に行われる確証があるかについて繰り返し問いただし、実効性が疑わしいことを浮き彫りにしていった。国会審議は紛糾し、幾度となく止まった。
石橋氏は社会党の防衛問題の論客として知られ、飛鳥田一雄、成田知巳両氏らとともに「安保5人男」「安保7人衆」などともてはやされた。3人はいずれも党委員長に就任。「護憲・安保反対」が社会党の生命線で、存在意義そのものだったことを示している。
社会党が最も輝いたのは、60年から70年までの「安保の季節」。「7人衆」の一人、岡田春夫氏(後に衆院副議長)が、自衛隊幹部らによる第2次朝鮮戦争を想定した極秘図上演習(「三矢研究」)を暴露して大騒ぎになったのは65年。翌年には石橋氏が、党是である「非武装中立」を実現するため、自衛隊を国民警察隊に改組し、漸進的に縮小するという「石橋構想」を発表した。
共産党の安保政策は「米帝国主義に従属する自衛隊の解散・日米安保条約廃棄・非同盟中立」。衆院選で5議席(67年)、14議席(69年)、38議席(72年)と党勢を拡大し、社会党との共闘で、70年代に「革新自治体」ブームと「保革伯仲」国会の主役となった。
■3分の2の壁
冷戦期に保守勢力が、本気で改憲に挑んだのは2度あった。54年12月に日本民主党の鳩山一郎首相が誕生すると、7年を超す吉田長期政権への飽きから「鳩山ブーム」が起きた。人気を背に、鳩山首相は55年2月、「改憲のための選挙」と位置づけて衆院選を打つ。結果は、民主党が第1党になったものの、自由党を合わせた保守勢力全体では逆に議席は減少。左派社会党が議席を増やし、護憲勢力が改憲を阻止できる3分の1の議席を確保した。
社会党は同年10月、「平和憲法擁護」を共通の目的に掲げ、左派と右派が統一。対抗して11月、民主、自由両党が保守合同で自民党を結党。綱領に「現行憲法の自主的改正」が盛り込まれ、「55年体制」ができた。東西冷戦を反映した国内政治構造と「改憲VS護憲」の勢力比は結局、冷戦が終わるまで続く。
60〜70年代の「安保」「保革伯仲」時代を経て、再び改憲に挑んだのは中曽根康弘首相だ。86年7月の衆参同日選で、選挙公約に「自主憲法の制定は党是」と掲げ、衆参とも約6割の議席を確保し大勝。しかし、3年後の参院選では、消費税導入やリクルート事件を背景に土井たか子委員長率いる社会党の「マドンナ旋風」が吹き、自民党は参院で議席の過半数割れに追い込まれ、宿願は頓挫した。
◇護憲勢力が拡散−−冷戦終結後
■社会党の政策転換
冷戦終結後、日本政界を政党再編の波が襲った。直接には、汚職事件が絶えない自民党の金権腐敗体質批判から広がった「政治改革」が引き金だったが、底流には「改憲=保守」VS「護憲=革新」構図の崩壊があった。
冷戦時代は、地域紛争の多くが米ソの代理戦争と見られ、自衛隊の海外派遣は現実的な課題と考えられていなかった。しかし冷戦後は、米ソ対立と無関係な民族紛争や地域紛争が世界各地で頻発。平和構築や治安維持への協力が各国に求められる様相へ一変した。
国民の意識も変わるなか、かつての護憲勢力が新たな憲法・安保政策を模索し始める。社会党は93年、山花貞夫氏が委員長立候補にあたり、「護憲の立場を発展させ、創造的展開を図る」という「創憲」を掲げた。64年の結党以来、護憲を堅持してきた公明党も、市川雄一書記長が93年に「9条もタブー視せず、党内で憲法論議を始める」と「論憲」を宣言した。
ベルリンの壁崩壊から4年足らずで、自民党長期単独政権も終わり、93年8月、日本新党の細川護煕代表を首相とする非自民連立政権が発足した。日本新党は「新しい改憲論」を掲げていたが、細川内閣には社会党や公明党も参加したため、首相就任後の国会答弁で細川氏は「憲法改正を政治日程に乗せるつもりはない」と明言した。
わずか10カ月後、今度は自民党が社会党の村山富市委員長を首相に担ぎ、「自社さ」政権が誕生。自民党は憲法改正を封印したが、村山首相は就任直後の所信表明演説などで「日米安保体制の堅持」「自衛隊の合憲」を表明し、歴史的な政策転換に踏み切る。結果的にこれが、社会党の歴史に幕を引くことになった。
■「改憲」問う自民党
99年10月、今度は自民党と連立を組んだ公明党が憲法政策の見直しに着手。02年10月、それまで掲げてきた「論憲」を一歩進めて、環境権などを現行憲法に加える「加憲」の方針を打ち出した。
政府は01年の米同時多発テロを受け、海上自衛隊をインド洋に派遣。さらに、事実上戦地であるイラクへ陸自、空自の派遣に踏み切った。こうした「実績」を足場に、自民党は05年10月、憲法を全面的に見直す「新憲法草案」を発表し、憲法改正手続きを定めた国民投票法を与党だけでの採決で制定し、この参院選に臨んでいる。
民主党も05年10月、憲法改正に向け「国際貢献のための枠組みをより確かなものとする」などとした「憲法提言」を公表している。だが、社会党や自民党から合流した議員もいる「寄せ集め所帯」だけに各論になると意見がまとまらず、憲法改正についての態度は、まだ分かりにくい。
一方、共産党は04年1月、43年ぶりに綱領を全面改定し、天皇制や自衛隊の当面の存続を容認する新綱領を採択した。
◇ご近所付き合いの発想−−東京大教授・長谷部恭男氏
戦後、ほかの西側諸国では経済政策や社会政策が政党間対立の軸だったが、日本はそうならなかった。経済成長の余剰を社会全体に再分配するコンセンサス型の政治が、うまくいったからだ。代わりの対立軸が9条を軸にした憲法問題だった。
しかし、社会党も本気で自衛隊をなくそうと思っていたわけではないだろう。表向きは自衛隊の合憲性を問題にすることで、その規模や活動範囲を制限することにねらいがあった。この表向きの対立は、政府にも都合が良かった。おかげで、軽武装による経済成長政策をとり続けられた。
今は「自衛のための最小限度の実力は持てる」との憲法解釈をほぼ各党が共有している。だがこれも、旧社会党が90年代、政権に参加して本音を言わざるを得なくなった、その結果にすぎないのではないか。
そのうえで、今の憲法改正論議は大いに疑問だ。中長期的な国家戦略に即して憲法のどこを変えたいという話なら分かる。だが、自民党にも民主党にも、その戦略が見えない。だから改正の必要性も感じられない。
今あるのは、「北朝鮮が危ないからアメリカに付く」とか「国際協力は大変良いから国連に頼まれればやる」といったレベルの話。ご近所付き合いなら、この発想でいいかもしれないが、国家戦略としてはいかがなものだろうか。
◇自覚なき「アメリカ化」−−評論家・秀明大学学頭、西部邁氏
自民党の改憲論は、焦点を9条だけに絞っていることが最大の問題。現行憲法は、アメリカ的な価値観に基づいている。この憲法によって、戦後日本は精神的にも物質的にもアメリカの保護領化した。だから現状で9条を変えれば、自衛隊は米軍のポーン(チェスの「歩」)になる。自民党はそれに無反省だ。
共産党、社民党の9条改正反対論は、自民党よりはまだ一貫性がある。だが彼らも、憲法とアメリカ化の関係を見ない。昨今の構造改革は、現行憲法に基づくアメリカ化の完成段階といえる。いわば憲法が、彼らの支持基盤である労働組合などをつぶしたのだが、社共はこのことに無自覚だ。
民主党は、今回の回答でも、国連中心主義や自衛権の恣意(しい)的解釈を許さないため、政府への民主的規制を唱える。しかし国連中心主義は、日本が国連に自立的、主体的にかかわらなければ無意味。民主的規制には、国防について国民の主体的な議論が必要だ。それらは、アメリカの保護領のままでは無理である。
公明党の加憲論も、現行憲法の問題点を完全に素通りしている。
各党の回答からは、アメリカに迎合する温度の差しか感じられない。憲法や安保は、それを孤立させて論じるより、足元の地域や家族や学校の解体から論じ直すべきだ。そうすれば、まだ希望が見つかるかもしれない。
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◇「平和と自衛」は月1回掲載−−次回は8月15日の予定です
この特集は古本陽荘、田所柳子(以上政治部)、長野宏美(社会部)、鈴木英生(学芸部)、日比野英志(デザイン室)が担当しました。憲法施行60年企画「平和と自衛」は毎月1回掲載。次回は8月15日付朝刊を予定しています。
毎日新聞 2007年7月19日 東京朝刊
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