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(回答先: 抗争耐え自主独立路線確立 忘れがたい「風圧」(中国新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2007 年 7 月 18 日 20:00:41)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200707180434.html
宮本顕治元共産議長が死去 自主独立路線を確立 '07/7/18
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半世紀にわたって共産党の指導的地位にあった党名誉役員の宮本顕治(みやもと・けんじ)元議長が十八日午後二時三十三分、老衰のため都内の病院で死去した。九十八歳。光市出身。自宅は東京都多摩市連光寺一ノ三一ノ二八。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。
一九五八年に書記長就任以来、党内に絶対的な権力を確立。旧ソ連、中国両共産党と一線を画す「自主独立路線」を明確化させた。七六年の第十三回党大会では「プロレタリア独裁」の用語を綱領から削除、「自由と民主主義の宣言」を採択するなど、一貫して柔軟路線を進めた。ソ連共産党の「解体」については、共同通信の取材に「もろ手を挙げて歓迎したい」と答えていた。
八二年に委員長の座を不破哲三氏に譲った後も最高指導者の議長に就任。参院議員を二期務めた。九七年には議長も退任、一線から退いた。それ以来、約十年がすぎ、党運営も志位和夫委員長を中心とした体制で行われているため、党内は宮本氏の死去を冷静に受け止めている。
宮本氏は一九○八(明治四十一)年、光市に生まれ、三一(昭和六)年東大経済学部卒業後、共産党に入党。三三年十二月、特高警察に「スパイ査問事件」で逮捕され、裁判では治安維持法違反などで無期懲役の判決(後に同法廃止で取り消し)を受けたが、終戦までの十二年間獄中で「非転向」を貫いた。
東大在学中、雑誌「改造」の懸賞評論で、芥川竜之介を論じた「『敗北』の文学」が小林秀雄を抑えて一位に入選。その後結婚した作家の故宮本百合子さんは、宮本氏の「獄中・法廷闘争」を支えた。
終戦後、ポツダム宣言受諾による政治犯の無条件釈放で服役中の網走刑務所から出獄し党中央委員に。極左主義から転換した五八年の第七回党再建大会で書記長に就任。以来、野坂参三議長―宮本書記長ラインでの党運営を確立、六一年の第八回大会では暴力革命に代わり「民主主義革命」を掲げる新綱領を採択、宮本体制を確立した。七○年に委員長就任、七七年参院選で全国区初当選。八二年に党議長となり、二〇〇〇年十一月から名誉役員。
【写真説明】参院選に初当選、野坂参三共産党議長(右)から祝福される宮本顕治委員長。左は不破哲三書記局長=77年7月、東京・千駄ヶ谷の共産党本部
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