★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK37 > 899.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 媚び諂う卑しい輩よ いつまでも自己保身を聖断と書いて板を汚すな 投稿者 松浦 日時 2007 年 7 月 07 日 15:54:30)
偶々、結果的に、米国と見解と同じにすることを、米国擁護とか、米国に迎合・追従とか言うのでは、全く、短絡的・近視眼的・感情的な発想でしかない。柔軟な発想に欠いたものだ。一部、見解を同じにしても、全面的に米国の行動を容認したものでもないのだが、二者択一論でしか思考できないのが、日本人の思考的限界であろう。
また、天皇の聖断を天皇の自己保身のためとは、言語道断であり、これでは、国家国益を考える行動があったとしても、全て自分中心とか、自己保身であるとかで排斥し、真底から理解することなど、無理であろう。これは、自らが自分中心の利己的な発想しかでないところから来るもので、国民大多数に共通した見解であり、国の将来に暗澹たる思いに駆られるものだ。何を言っても、正しい評価や総括は出来ず、何時までも戦後は終わらず、近未来の国家的危機にも適切な対処は出来ないだろう。
余りにも、艦船や爆撃機がない以上、ソ連参戦でも本土にまで危機がなかったのだとする偏狭な見解では、どうして終戦する気になったのか。爆撃機など使わなくても、戦闘機だけでも鉄道や港湾、司令部など、要所を破壊するだけで、即ち、インフラ設備を破壊するだけで機能麻痺に陥ってしまうものだ。対馬に上陸したり、本土に上陸する必要もないのだ。
終戦を決意したことでも、天皇陛下が、勝手に自己保身で、ソ連参戦に慌てて終戦したとでも言うのだろうか。軍事支配を可能にするような艦船や爆撃機など無くても、即ち、日本上陸が出来なくても、一部の攻撃でも、戦意を阻喪したり、戦後に発言力を増すためにも、漁夫の利を得るためには、少しでも効果があれば充分だったのだ。
ソ連が網走や根室にまで、一部の空襲でも良いから侵攻していたならば、戦後の、ソ連が要求した北海道の東北部の分割占領支配を、米国は拒絶出来なかった可能性もあるだろう。ソ連が日本に対して、軍事侵攻もなく、軍事占領も物理的に不可能ならば、何故に、ソ連参戦で戦争を集結させる必要があったのだ。別に止めなくても良かったのではないのか。既に、本土空襲や原爆投下で、国内がガタガタになっていたからこそ、戦争継続を断念する気持ちに働いていったものだろう。
既に指摘もしたが、実際に、米軍は、沖縄以外では、本土に対して上陸して占領したわけではなかったのだ。空襲で破壊し戦意を失墜させたものだ。これだけでは日本は戦争を止めることもないのは確かだった。実に、国家自体が崩壊し、解体する危機を認識したからだったのだ。それを自己保身とか、ソ連参戦で終戦したとか言うのは、何処までも原爆投下を非難したい気持ちからであるのはよく解る。原爆投下を容認するというのではなく、一連の流れの中では仕方のないことと総括出来ないのも、国民性の柔軟で論理的な思考が停止している限界を痛感するものだ。
天皇の決断がなかったら、日本人の国民性では、何処までも戦闘を継続していて、終戦のタイミングも掴めず、国家が天皇制もろとも、崩壊し解体することに繋がったであろう。もっとも、当初から、国家国益を考えないで、天皇制を破壊することを目論んでいる輩ならば、当然にそうした発想になるのも理解できるというものだ。
まさかのことを考えようとしない国民性では、全て有り得ないとして、かつてのソ連参戦を読み切れなかった発想と全く同じであろう。独ソ不可侵条約締結に「欧州の天地は複雑怪奇」と言って内閣総辞職した当時と何ら変わってはないものだ。要は、戦略的発想、危機管理意識に欠けるというものだ。仮定、仮想を全く有り得ないとして一律に排除する発想では、国家的危機管理も危機意識も有り得ないだろう。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK37掲示板
フォローアップ: