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(回答先: 二発の原爆とソ連参戦は関係なし 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 7 月 05 日 23:09:13)
原爆投下が戦争終結に向けた決断を決定付けた要因が大きいと言うことだ。その結果、ソ連参戦が、北海道など、日本本土にまでの侵攻を回避することが出来たと言うことだ。原爆投下とソ連参戦とは無関係と言うが、真意が分からない。ソ連軍の北方領土侵攻はヤルタ会談で決定されていたが、終戦が遅れれば、ソ連軍は、それをも超えて北海道にまで侵攻する可能性もあったのだ。
原爆投下と終戦に向けた天皇の聖断と、ソ連軍の本土侵攻とが実に時間的にも急接近しており、タイミングを誤れば、ソ連軍の大々的な本土侵攻により、ドイツのような国家分断統治支配の危機・運命に至ったと言うことだ。ソ連の本土侵攻など有り得ないと言うことだが、現に北方領土に侵攻し、更に本土侵攻へと進み、北海道分断の危機もあったのではないのか。北海道が38度線になっていた可能性もあると言うことだ。実に、ノウ天気な発想だ。一触即発のタイミングで終戦できたことは、正に、災い転じて福と成したと言うことだ。
それとも何か。原爆投下無しで、延々と戦争を継続していたら、その内に自然と戦争が終了したとでも思っているのか。また原爆投下無しで、直ぐにでも日本は降伏したとでも言うのか。ソ連軍など侵攻することもなく、米軍も戦闘を停止したとでも言うのか。確かに、日本の敗戦の様相が濃かったが、決して直ぐにでも終戦に結び付く保証など無かったのだ。ゲリラ化したり、内乱化したりしていく可能性もあったのだ。
戦争が長引いていった場合の悲惨さと比べることも大切だ。放射能以外は大して悲惨でもないと言うことか。日本人の論理的思考、真の因果関係の把握、戦略的分析などの欠如に、いつまでも戦争を正しく総括できない限界・虚しさを感じる想いだ。これでは過去のトラウマに引きずられて、新たな脅威にも適切に対処していくことも出来ないだろう。
小池新防衛相は、「原爆投下は人類に対する挑戦です」とかのコメントを発して、国民向けの無難なコメントで迎合していたが、そんな建前や抽象論ではなく、当時の特殊な状況下での判断こそ大切なのだ。画一的、無条件的な、原爆反対=核兵器禁止で、周辺諸国の核攻撃の危機に如何に対処するのか。米国の核の傘に依存するのでは、論理矛盾も甚だしい限りだ。それとも何か。核兵器廃止と唱えておれば、その祈りが天に通じて、周辺諸国も悔い改めて、自然と驚異が無くなっていくとでも言うのか。
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