★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK37 > 749.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: ソ連軍て、そんなにまとまった攻撃ができる 大型長距離爆撃機保有していたっけ? 投稿者 hou 日時 2007 年 7 月 06 日 07:41:24)
http://ja.wikipedia.org/wiki/Tu-4_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29
Tu-4
開発の経緯
スターリンは第二次世界大戦中にアメリカに対しB-29を供与するように要求したが、アメリカは重爆撃機をソ連に渡したくなかったため、拒絶されていた。そうしたなか1944年7月、8月及び11月に日本の九州及び満州を爆撃した3機のB-29が機体の故障などによりソ連領内である沿海州に不時着した。搭乗員は抑留された後にアメリカに送還されたが機体はそのまま没収され、スターリンの命により解体調査された。そしてアンドレイ・ニコラエヴィッチ・ツポレフらにより解体した部品に基づく設計が行われて1946年夏に完成したのがツポレフTu-4である。
配備
1947年5月19日に初飛行し、8月3日にはモスクワで行われた航空記念日パレードで初めて披露されたTu-4はその後もエンジンやプロペラなどの改良が行われ、1949年半ばにはソ連戦略爆撃軍で本格的に運用された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Tu-2_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29
Tu-2 (Ту-2)
Tu-2(ロシア語:Ту-2トゥー・ドヴァー)は、ソ連のツポレフ設計局で開発された爆撃機である。前線爆撃機として開発が始められ、基本量産型が急降下爆撃機として使用されたほか、前線偵察機としても運用された。北大西洋条約機構(NATO)では、英語で「蝙蝠」を意味する「バット」("Bat")というNATOコードネームを使用した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%83%95
ツポレフ
ソ連にとって初の大陸間戦略爆撃機の基盤となるTu-4を開発、1947年に初飛行し、多数量産された。これは1945年、日本攻撃の帰途、ソ連に着陸した3機の米国ボーイング社製B-29を基本的にほぼそのまま製造したものであった。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK37掲示板
フォローアップ: