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(回答先: 政治家の説明責任とは? 【在野のアナリスト】 投稿者 愚民党 日時 2007 年 5 月 30 日 02:06:55)
私は、彼らや彼らにまとわり付く連中に対する私たちの見方を変えてほしいと、切に思う(意識改革)。
私は、関西圏出身ですが、その地では、役人になろうとする人に対しては、どこか体でも悪いのでは?という観方をしていたもの出した。五体満足ではないヒトが役人になるものだ、と見ていたものです。普通のヒトは、実業家になるものだ、と見ていたものです。現在はどうか分かりませんが、、。
また、インドのことわざには、「政治家(政治屋)は背広をきたヤクザであり、ヤクザは、政治家になり損ねた連中のことだ」というのがあるそうです。これは、日本にもピッタリ当てはまるのでは。
私は、連中とは(選挙になるとチャキになる連中や政治屋とのお付き合いを事あるごとに持ち出す連中も含む)、極力お付き合いをしないことにしている。ことごとく卑しい連中ばかりだからである。卑しい上に愚か者でもある。税金の横取りしか考えていないのだから、こうなるのでしょう。私たちの多くは、大部分の我々は、税金を取られるばかりで、その横取りはおろか、そのおこぼれにあずかることもない。したがって、連中をもちあげたり、「先生」呼ばわりすることもない。連中を覚めた目で、軽蔑のまなざして監視している必要があるでしょう。
私たちの(今の)憲法は、連中がその活動のよりどころ(規範)にするべきものですが、連中がもっとも嫌い無視したがるものです(だから現に改正したがっている)。その憲法には、連中のことは「公僕」と定義してあるのです。これは、平たく言えば、国民の「走り使い」ということでしょう。走り使いの連中は、常に「ねこばば」(主人のお金をくすねる)や私欲に走るものです(誰かさんのように息子を要職につかせるなど)。憲法は、また、連中に対する国民(主人)の警戒心・監視監督を要請してもいるのです。
連中は、愚かで卑しい根性だ、この見かたを持つようにしましょう(意識改革)。
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