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「辺野古」へ海自艦/防衛相 調査参加を示唆
【東京】米軍普天間飛行場移設先周辺での現況調査(事前調査)に関連し、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が十一日午前、沖縄近海に向けて海自横須賀基地(神奈川県)を出港したことが分かった。自衛隊関係者が明らかにした。艦船にはゴムボートやボンベが積載されているが、海自が実際に調査で対応するかどうかは不透明だ。
久間章生防衛相は同日の衆院イラク支援特別委員会で、現況調査に海上自衛隊が参加する可能性について「ないことはない」と述べ、あらためて動員を示唆した。赤嶺政賢氏(共産)への答弁。
久間防衛相は「自衛隊はあらゆることに対応して、国民のためになる場合に法に基づいて可能なことはやれる」と述べ、自衛隊法の範囲内で可能との見解を示した。
その上で、動員する場合の目的については「官庁間協力、調査活動、情報収集活動などいろんな場合がある。具体的な状況を見てみないと一概に言えない」と明言を避けた。
避けた方がいい 仲井真知事
米軍普天間飛行場移設先周辺での海域調査に関連し、海上自衛隊の艦船が沖縄近海に向かっていることについて仲井真弘多知事は十一日、「自衛隊との関係がまずまずの状況になってきている中で、県民感情を考えると、あまり好ましいとは思わない。(反対派の)排除というのは自衛隊の役目ではないと思っている。誤解を生むようなことはなるべく避けた方がいいのでは」と否定的な見解を示した。
一方、島袋吉和名護市長は同日、現況調査(事前調査)で、海上自衛隊が何らかの関与をする可能性が出てきたことについて「慎重にしてほしい」と述べ、政府に慎重な対応を求める考えを示した。
島袋市長は沖縄タイムス社の取材に「防衛省が考えるべきことだが地元の事を考えて、慎重にしてほしい」と険しい表情でコメントした。
また、名護市幹部は「市に一切、連絡はない。自衛隊を導入すればかえって混乱するだけ。本当にやるつもりなのか」と強い不快感を示した。
2007年5月12日 沖縄タイムス
ついに日本が世界に誇る掃海母艦の出撃であります。「掃海」ってのは海を掃除することで、掃海隊は機雷処理を主要任務としますが、「ぶんご」は隊の中枢として指揮・補給を行なう母艦としてヘリコプターも発着出来ますし、潜水夫を使用出来る設備も有します。機雷を除去するのみならず機雷敷設装置を持ち、大砲1門まで備えた排水量5700屯の大型艦船です。白兵戦用にゴムボートも搭載してあるようなので、ことによるとカヌーなども「処理」して、航路を開く、とか道筋をつけるのが今回の任務です。それにしてもどう考えても機雷敷設はカヌーには無効です。76ミリ砲も大袈裟でしょう。しかしながら他ならね米軍のためであれば!!せいぜい頑張って邪魔っけな憎き日本人をぶち殺しましょう。
日本の掃海技術は世界一ィ!と、日本が自分で言っていますが、考えてみれば日本の周りは海だらけですから、世界一でも何ら不思議はありません。事実アメリカ軍はこれを高く評価し、自衛隊の実戦参加は湾岸戦争におけるペルシャ湾への掃海部隊派遣に始まります。それどころか日本の掃海隊は、戦後間もなく戦争に参加しています。
終戦後、日米が敷設した機雷の処理は占領軍の指示によって行なわれていましたが、1948年海上保安庁の創設とともに掃海作業はその管轄に入りました。1950年には海上保安庁内に航路啓開本部が発足して、これらの業務を処理することになります。ところがこの年勃発した朝鮮戦争において、この航路啓開本部は日本特別掃海隊として国連軍の朝鮮半島上陸作戦遂行に伴う沿岸の掃海作業に従事することになったのです。もとより占領下であり、海上保安庁も米軍指揮下で行動していたわけですが、これは戦争行為を構成する作戦行動として米軍の指揮下に行なわれる戦争に参加することであり、当然、マズい、というわけで、これは極秘に行なわれました。勿論国会の承認も何もありません。隊の艦船もどこの船だか判らないように国際信号旗のE旗を掲げていました。E旗の柄は上下に2分割した上半分を青、下半分を赤としたもので、「私は針路を右に変えている」という、なかなか意味深長なものです。
これは作戦に従事する本人たちにも全く極秘であり、航路啓開部が米海軍指揮下に入ることを知らされたのは緊急指令によって全国の航路啓開部が下関に参集した後のことだったのです。これを聞かされた艇長たちはなかなか納得しません。そこでも「作戦上の危険な場所には入らない。安全な場所だけの掃海であることを米極東海軍司令部と確約してある」などと、誰かの「非戦闘地域」みたいな説明、「38度線は越えない」というまるっきりの嘘っぱちをもって説得されたようです。
掃海隊員としても「日本は新しく成立した憲法によって戦争を放棄したのであるから、今更他国の戦争のために危険な処に生命をさらしに行く理由はない。更には我々はもう軍人ではなく国家公務員であり事務官である。日本再建という使命だけを担って国内の掃海作業に献身的努力を致しているのである。外国の掃海をするために戦場に行くというのは納得致しかねる。しかし占領軍の命令とあれば!!日本政府としてはこれに従わざるを得ないのではないか」というのが全隊員の感情であったようである。
第2掃海隊指揮官 元海軍中佐 能勢省吾
http://www.mod.go.jp/msdf/mf/special5.htm
第1掃海隊は10月7日に仁川に向けて出発します。能勢さんの第2掃海隊は翌8日に38度線を越えないどころか北緯39度の元山に向かい、10日より元山沖にて掃海作業を行いましたが、その中で掃海艇1隻が機雷に触れて爆発、中谷烹炊長が亡くなってしまいます。これによって各艇長からは「これ以上アメリカの戦争に巻き込まれたくない」「だいたい始めから話しが違う」「掃海を中止して日本に帰る」との意見が出され、総指揮官はアメリカ軍に作業手順の改善を申し入れますがあっさり却下。そればかりか「明日0700に出港して掃海作業を開始せよ。その15分以内に出なければ砲撃する」と言われて能勢さんはあまりのことに憤激して残った掃海艇3隻を引き連れて帰投します。彼は下関を出る時に「いざという時には君たちだけを見殺しにはしない。そういう時には、俺が皆を連れて帰るから安心してついてこい」と約束していたので、それを守った形になりましたが、米軍指揮に従わなかったので艇長3名とともにクビ、しかし翌年には海上保安庁に採用され、後に発足した海上自衛隊にも入隊、1959年に退官しました。
一方戦死した中谷さんの遺族は海上保安庁と米軍から、瀬戸内海で作業中に殉職ということにしてくれ、と要求されます。極秘参戦だったので「戦死」とも認められません。単なる「掃海殉職者」の1人ということにされています。国が「戦死」扱いにしませんから靖国神社にも祀られません。遺族は靖国神社に合祀を求めていますが、靖国神社は国から回ってくる名簿で仕事をしていますから、遺族が申請しても認められないのです。「掃海殉職者」も「戦死」と同等に取り扱うように運動している人もいます。能勢さんも「掃海殉職者に対して、今からでもよいから特別の計らいをもってせめて戦死と同等の叙勲の光栄に浴させていただくよう関係方面で取り計らって貰いたいと切に思うのである。」と言っていますが、中谷さんの場合は他の殉職者とは異なり、実戦に参加しての死亡なのですから、一緒くたに「叙勲の光栄に浴させ」るのは、日米軍事同盟の欺瞞の歴史の上塗りでしかないでしょう。
来週は改憲法が成立すると同時に自衛隊が初めてその真の敵と対峙します。小国においても外敵に歯が立たないような弱小な軍事力を保持していたりするのは、軍の本来の「敵」が丸腰の国民に他ならないからなのですが、今回の場合その「真の敵」たるやカヌーとかそういうものだったりします。しかし敵は敵です。甘く見るのは禁物であります。ゴムボートで対峙する以上は「戦死」の可能性も絶無とはいえません。残念ながら九段は「英霊」ならぬ「米霊」で満員らしいので仲間になんか入れてもらえませんが、もう「戦争」が始まっちゃったんですから庭にカボチャでも植えて、お互いに殺し合いましょう。
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