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(回答先: 【東京都知事選】三浦小太郎氏の評論『マジョリティの意識に届く言葉を』〜「フツーの都民」のハートに火を付けられなかった浅野 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 5 月 02 日 04:57:08)
ある国際人権派の雑食系ブログ。(仮)
2007年04月17日
【東京都知事選】「『日の丸・君が代』押し付けは人権侵害」という類の石原慎太郎批判では、ダメなんだよ。
東京都知事選関連の話、もう少しだけ。
結局、石原慎太郎氏とは民衆の「不安心理」に巧みに入り込むことによって支持を獲得している政治家ということに尽きると思いますね、私は。
石原氏の政治手法というのは、庶民の眼前に<分かり易い「敵」>を提示して、その「敵」を徹底的に叩くことで、自らの「実績」を見せ付けるというものですね。
例えば外形標準課税の問題なら不良債権処理に手間取っていた<銀行>が庶民の「敵」として設定されている訳です。
ディーゼル規制にしても、石原氏が仮に本当に自動車による公害を抑制しようと考えているのならば、ガソリン車をも含めた自動車総体の通行量を抑制するための「脱クルマ都市政策」をパッケージ化して民衆に示すはずです。しかし、実際には都心に流入する自動車の通行量を逆に増やしかねない大規模再開発を展開しているわけです。環境対策としては矛盾していると思うのですが、ここでもディーゼル車という<分かり易い「敵」>を民衆に提示し、石原氏はその「敵」と闘う庶民の「味方」のポーズを演ずるという<劇場政治>が展開されている訳です。
そういう石原氏の姿に何となく「カリスマ性」を抱く都民は少なくないのでしょうね。そして、不安な民衆は<カリスマ>を求める傾向があると思いますので、石原氏のような人物は広く支持されるという構図。
石原氏の「排外的ナショナリズム」言動にしても、庶民が地域社会だとか会社だとかの「共同体」からバラバラにされつつある現代社会だからこそ、庶民からも支持されているという側面もあるのでしょう。私を含む人間の多くは「孤立」に耐え難い生き物ですから、社会的な連帯が喪失すればするほど、ナショナリズムという「共同体」に吸い寄せられるという構図。
浅野史郎氏や吉田万三氏を支持した層が争点化しようとした「日の丸・君が代」強制の問題にしても、単に「『日の丸』や『君が代』押し付けは個人の人権を侵害する」という<人権論>の観点からの都教委批判では法律論としてはともかく、多くの民衆の意識の琴線に触れる「論理」では無いような気がします。「日の丸・君が代」問題に興味の無い人々(マジョリティ?)は、都教委の政策を「人権侵害」とは受け止めないでしょうしね。
ナショナリズムに吸い寄せられる民衆が抱く「不安感」こそ焦点化されるべきだし、浅野氏や吉田氏を支持した層はそうした「不安」社会とどう向き合い、そしてどのような「処方箋」を書くかを真剣に熟考せねばならないのでしょう。
http://blog.livedoor.jp/zatsu_blog/archives/51429361.html
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