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(回答先: 君が代伴奏*軽視された内心の自由(北海道新聞社説)←非常にまともな社説 投稿者 heart 日時 2007 年 2 月 28 日 10:36:07)
http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/noda-kouenn.htmより転載。
広島県世羅高校の校長を自殺に追い込んだもの
『世界』での私の2回目の連載では、広島の取材をたくさんしましたが、世羅高校の校長の自殺のことに限って書きました。
世羅高校の校長の自殺は、「日の丸・君が代」を国旗国歌に代えるための契機に使われました。
以前から、何らかの事件が起こるたびに、そういう方向に使おうとする動きはありましたが、それを徹底して行ったのが世羅高校の事件だったわけです。
広島では、それ以前から数字をあげての抑圧がありました。
地方の議員が議会でこの問題を採り上げ始めて、文部科学省段階では、数字をあげて提示する。
その動きの中に、右派の教師たちが学校内の情報を集約して伝える。
それに産経新聞が乗っかかって、集めた情報を頃合いを見て出す。
それに基づいて、右翼が校長や教育委員会に脅迫を行っていく。
こういった動きが一体として動いていき、広島の状況が作られていったのです。
作られた問題を一気に法案に代えていったのは、広島における部落解放同盟の動きに対して強いコンプレックスと反感を持っていた野中広務の衝動力でした。
しかし、広島県教育委員会の辰野教育長は、亡くなった2ヶ月後に個人の日記を引用しながら「広島県立高等学校の自殺について」という長文の報告書を発表しています。
この文章に対して教職員組合や部落解放同盟から反論が行われています。
私は、教育委員会の文章を丹念に分析をするという手法をとりました。
「報告書」の中では、教育委員会が部落解放同盟と教職員組合の圧力によって国旗国歌が実施できなかったので追いつめられたことが報告されています。
しかし、私は全ての私的な日記まで持ってると思われる教育委員会側が、校長が国旗を掲揚し国歌を斉唱したかったという一つの文章も拾うことができなかったということにつきると思います。
逆に、「報告書」が明らかにしているのは、亡くなった校長が「日の丸・君が代」の実施が今まで自分のやってきた教育に反するんだということをいろいろな形で表現し続けていたことです。
最後に石川校長が亡くなる前に書いた文章でPTA新聞に寄稿したものを読みます。
「卒業生の皆さんへ、今まさに人を大切にし、お互いの人格を認め合う中で、よりよい社会を築くことが要求されている。そのために、自分を大切にした生き方を身につけてほしい。」
そして、寄稿文の最後は、若山牧水の文章でしめくくられていました。
「人生は長い道なり 平だといいのに登りもあればくだりもある 広いところもあればせまいところもある ただひたすらに己の道をいく」
高等学校の3年生の子どもたちに、この石川校長の死を選んだ行動とこのメッセージを読み解く力がないはずがありません。
子どもたちは、次のことを読みとったでしょう。
日本の社会は、有無を言わさない力が働いてきたときには、自分の思いがこんなにいとも簡単に踏みにじられる社会であるんだと言うことを。
これほど愚劣な教育が、私たちの目の前で行われているわけです。
しかし、この校長がなくなっていくプロセスを精神病理学者として見ていくと、まさにきちっとした判断力を持っていた人間が判断力を奪うための手法がとられていることがわかります。
まず教育委員会は、校長に全ての経過を毎日毎日報告するようにという職務命令をだしていきます。
『世界』の中で「報・連・相」のことを紹介しています。
「報・連・相」はスパイで使われる言葉です。
一番盛んに使われるのは、統一教会です。
報告、連絡、相談です。
略して「報・連・相」といいます。
常に自分の主体的な判断を停止させる手法です。
自分が何をしているか、全部上に連絡しろ、そしてその指示のもとに動け、ということです。
こうすれば、自分の内面はなくなっていきます。
人はそれに耐えられないので、この校長は盛んにウソをついていきます。
職員会議の時間も長くかかったといってウソをついて教育委員会の電話にもでない。
夜中に起き出してきて、今終わったと教育委員会に連絡を入れる。
ウソを言いながら教育委員会と対応をしているわけです。
にもかかわらず、教育委員会は、夜中に校長宅に出かけていったり、亡くなった当日には、早朝から自宅に出かけていきました。
こういうことをすれば、人はものごとを判断する力を順々に失っていきます。
もうこれ以上自分がなくなることに耐えられなくなり、もしこれを乗り切ったとしても、教育者として自分が生きている姿をイメージできなくなったときに、彼は死を選んだと思われます。
こういったことを、私たちの社会は想像する力を失ってきています。
判断力の非常にすぐれた中年の社会的役割を果たしている人間を追い込んでいく典型的な手法であります。
私も遅かったんですが、広島の学者たちはそういったことをきちっと指摘していないことを非常に残念に思います。
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