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(回答先: 国家と教育【精神科医・斎藤学】 投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 1 月 03 日 18:54:42)
本音のコラム:「作られた」問題 斎藤学(さいとうさとる)
問題というものは見いだされ、名付けられることによって問題になる。
学校へ行かずに親の手伝いをする子が親孝行と褒められた時代に不登校問題はなかった。ドメスティック・バイオレンス(DV)しかり。DV防止法ができたのは2001年だが、その前には元文部大臣である某女史が国際会議で日本にはDV問題が全くないと発言して私たちをあきれさせた。児童虐待にしたってそれが問題として見えてきたのは最近のことだが、虐待自体は太古からあった。
少子化問題などはおおかたの人々にとっては出来たてのホヤホヤに見えるだろうが、人口問題の専門家や女性たちの悩みの聞き手(これが私の立場)からすれば、故意に見過ごされてきた問題にすぎない。
そう、急に始まったかに見える問題の多くは世間、具体的には官やマスコミが「故意に」見過ごすことにしてきた問題なのである。
これだって「産まない女が悪い」だの「電車がすくから少子化も悪くない」だの「近代社会では少子化はあたり前」みたいなバカ論が横行している。ここではいちいち付き合っていられないが、最後のひとつについて言えば、これは間違えている。確かに近代社会は少子化を経験することが多いが、現在はそれを克服するための努力が功を奏しつつある時代でもあるのだ。いちいち他国の例を出すのは気がひけるが、合計特殊出生率が2・0に近づきつつあるフランスを見ればよい。あの国の施策の成功はひとえに「産む女」の立場にそった施策が講じられたことだ。それをさらに要約すれば、「産む女」は「婚姻した女つまり妻」でなければならないというクビキを断ち切った上で、育児する女性への経済援助を徹底したことだ。
わが国の場合、少子化が問題視されるようになったのは、年金制度の破たんが目前に迫ったという経済的事情からだが、これにしたって私たちはその本質を知らされていない。この制度はほんの数人の厚生官僚が「彼らのためのネズミ講」であることを十分認識した上で設計したもので、そのことに気づかずにきた私たちは「愚民」そのものだ。
逆に言えば、こうした愚民相手に問題のないところに問題を作るのは容易だ。
昨年中に騒がれた事件の中には「作られた」と思われるものが幾つもあった。ホリエモンと呼ばれた青年の大げさな逮捕について、私はいまだに東京地検特捜部による既存権力へのゴマスリと思っているし、この件に熱心だった部長の野心には興味がある。
この件以上に重要なのは昨年秋に騒がれた高校生の履修単位不足なる事件だ。教科カリキュラムの編成についての文科省の指導要領は告示ないし事務次官通知であって法令ではない。教え子の卒業にかかわる法令違反を教育現場の人々が何年にもわたって続けるはずがない。そもそも指導要領の現場解釈については旭川事件(1976)以来の論争の歴史があるではないか。この時期になってなぜこれを持ち出したのか疑うべきだ。騒ぎが大きくなるにつれ元校長が次々と叙勲を辞退し、複数の現校長が自殺した。
そのうち騒ぎは中学生たちのイジメ自殺へ移行し、ここでも現場教師たちがたたかれ続けた。担任も校長も教委も文科省官僚の監視におびえて自発的な発言ができないことを十分知りながらマスコミは教育現場を担う人々(弱者)を徹底的にたたいた。
日本のマスコミというのはなぜこうまで「おカミ」の片棒を担ぐのか。それとも官の意向にそって「問題」作りにいそしむのがマスコミの役割と居直っているのか。
一部から左翼呼ばわりされている数紙だけでもいいから、この動きを愛国心教育(教育基本法の改定)と絡めた教育現場へのどう喝であることを指摘してほしかった。(精神科医)
「東京新聞」1/3 紙面より
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