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(回答先: 暴力革命というコンセプト自体が支配者のワナではないかと思われます。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 1 月 14 日 22:34:34)
というのがよいかもしれませんね。
暴力などもちろんなしで。
>国家が最終的に暴力的手段に出るからと言ってこちら側が最初から暴力革命を唱えるのは間違いだと思います。暴力ではなく世論や議会の力で政治は変えて行くべきだと思います。
同意します。
運動の成否は、世論をいかに変えていけるかにかかっていると言っても過言ではないと思っています。
また、運動云々を別にしても、人々が自身にとって真に正しい選択をできるという社会を作るべきだと思っています。
例えば、小泉の改革によって痛みを受けるだけの者が小泉・自民党を支持するというのは、マゾでもない限り正しい選択をしているとは言えません。
彼らがそうした選択をしてしまったのは、小泉に対し否定的な情報が少なかったからでしょう。
正しい選択ができるようにするためには、真実が知らされることはもちろんのこと、
様々な立場からの意見を聞く機会が与えられていなければならないでしょう。
そのためには、情報を供給する側への不当な圧力はなくさなければならないし、
働くだけで精一杯で自分の時間など持てないというような労働状況・職場環境を変えていく必要もあると考えます。
>革命はこのようなヒロイズムで行うものではありません。状況を全て把握し確実な手段を取るべきなのです。
何が確実かがわからないことが問題ですね。
確実に「革命」を達成できる手段がわかっていれば、内ゲバをすることもないでしょう
し、これだけ長く自民党支配が続くこともなかったでしょうから。
>ブント(共産主義者同盟)の佐野茂樹氏の言葉を今でも忘れられません。「○○君、パッとやってパッと散る。それでエエやないか?!」と言ったのです。革命とはロマンであり、この人にとっては最大のお遊びなのだと思いました。
選挙をお祭りと表現したブロガーがいたことを思い出してしまいました。
パッとやってパッと散るのではなく、地道に自分ができることを他の仲間とともに積み重ねていきたいものだと思います。
それが最終的に革命に結実するかどうかはわかりませんが、気付いたら革命に等しい変化が生じていたというのがよいかもしれませんね。
国民による静かな変化の波とでも言いましょうか。
盛大なお祝い・お祭り騒ぎは、その変化の波によって人間界がきれいに生まれ変わった
ときにでもやりたいものです。「新たな船出に乾杯する会」とでも称して。
目的は革命ではなくその革命後の理想的な社会に皆で生きていくことにあるのですから。
これもロマンですかね(笑)
>そこで生協のような地道な活動から革命を行おうと思っているのです。
私は自分に合ったやり方、家族にも反対されない(少なくとも最終的には理解が得られる
ような)やり方を模索中です。