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2007年12月07日
星野ジャパンの感動を産経抄と分かち合ったけれど・・・
すでに多くの人が感動覚めやらぬ気持ちで星野ジャパンの勝利について書いている。今更私が書いてもと思うが、それでも一言書かせていただきたい。
私は団塊の世代である。御多分にもれず野球少年であった。野球の普及が洋画の導入と並んで占領下の日本人に対する米国憧憬化政策であったとしても、私にとっては、野球もハリウッド映画も、青春の懐かしい思い出である。反発も、否定もする気はない。
しかし歳を重ねるたびに興味の対象も変わっていく。野球も映画もかつてのような情熱はもはやなくなった。星野野球に対する興味もなくして久しい。星野仙一に対しても、やたらグラウンドで好戦的、挑発的な態度を見せる男という印象で、好きになれなかった。
その星野が北京代表をかけた対韓国戦、台湾戦で見事な采配を見せた。それどころか勝利のインタビューで感動的な言葉を連発した。私の彼に対する評価は大きく変わった。
偶然目に入った対韓国戦で星野ジャパンの奮闘振りに引き込まれた。そして北京を賭けた対台湾戦では開始前から熱を入れてテレビに見入った。
試合は本当に感動的であった。結果的には大量点を取って大勝したが、6回に逆転2点ホームランを打たれて逆転された時は、テレビのアナウンサーが繰り返して絶叫していた通り、敗戦が頭によぎって「凍りついた」。それを逆転した。無死満塁でスクイズを敢行して同点に追いつくという星野作戦が素晴らしかった。しかしやはり私の感動は星野監督がインタビューで繰り返した「選手を褒め称えたい。皆が一丸となって勝利に執着した結果だ」という言葉に尽きると思う。監督にそういわせた選手も凄いが、その選手一人一人を褒め称えた星野監督はもっと凄い。あの無責任男小泉純一郎によって分断され、ばらばらになってしまった日本が忘れていた結束と統一と無私の気持ちの素晴らしさを、ほんの一瞬でも我々の心に取り戻してくれた。だから我々はこれほどまでに感動するのだ。
その上に真っ先に長嶋茂雄に報告に行ったのが良い。長嶋が元気であればオールジャパンを率いていたのは間違いなく彼だ。その長嶋は病身を押しても北京を目指したかったと伝えられた。その長嶋の無念を知っている星野は、監督を引き受けるのがつらかったに違いない。だからこそ真っ先に報告に行った。その心配りが憎い。
と、私には珍しく他人を褒めちぎったところで、このブログを気持ちよく終えたかったのであるが、それではこのブログの「らしさ」がない。このブログで書きたかった事は実は次の最後のくだりである。
12月5日の産経新聞の論説「産経抄」がやはり星野ジャパンの勝利をたたえていた。産経は右翼新聞と言われている。私もそう思う。しかし右翼は純情なところがある。熱いところがある。だから星野ジャパンの勝利にも素直に喜ぶのである。産経抄とともに私も星野ジャパンの勝利の喜びを分かち合った。
しかし、喜びを分かち合った産経抄の文章のなかに次のようなくだりがあった。三塁に猛スライディングして逆転優勝を呼び込んだ主将の宮本慎也選手が、「国と国との勝負。『戦争』のつもりで戦った」と語った事が引用されていた。その言葉を殊更に引用して、日の丸を背負って戦う愛国心の素晴らしさを、産経抄は強調した。
宮本選手がたとえそうしゃべったとしてもそれを引用してくれるな。政治を持ち込むな。感動に水をかけてくれるな。宮本選手のイメージを損なってくれるな。
何があっても戦争はいけない。軽々に戦争と言う言葉を口にしてはいけない。平和だからこそスポーツも楽しむ事ができるのだ。産経新聞の限界がそこにある。残念だというほかはない。