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(回答先: 瀬島龍三氏が死去 大本営参謀経て商社会長に【中日新聞】 投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 9 月 04 日 22:52:43)
瀬島龍三氏が死去 元大本営参謀、伊藤忠会長【中日新聞】
2007年9月4日 夕刊
大本営参謀から大手商社会長、中曽根康弘元首相のブレーンとして行政改革にもらつ腕を振るうなど、戦後の政財界で隠然たる影響力を発揮した元伊藤忠商事会長の瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)氏が四日午前零時五十五分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。九十五歳。富山県小矢部市出身。葬儀・告別式は近親者で執り行う。喪主は長女繁代(しげよ)さん。伊藤忠商事と亜細亜大学が合同葬を開くが、日程などは未定。
富山県の農家で生まれ、陸軍士官学校、陸軍大学校を経て太平洋戦争時には大本営参謀として作戦立案に参画、終戦直前に関東軍参謀(陸軍中佐)となった。終戦後はソ連軍の捕虜となり、シベリアに連行され一九五六年に帰国するまで約十一年間、抑留生活を送った。東京裁判にはソ連側証人として出廷した。
五八年、当時は繊維商社だった伊藤忠商事に入社し航空機商戦などを担当。約四年で取締役に就任し、石油部門への進出や、いすゞ自動車と米ゼネラル・モーターズ(GM)の提携を仲介するなど、伊藤忠が総合商社に脱皮するのに貢献した。陸軍参謀本部の組織をモデルに直属の部下を率いたことから「瀬島機関」とも呼ばれた。副社長、副会長を経て七八年には会長に就任、八七年から二〇〇〇年まで特別顧問を務めた。
一九八一年に当時の中曽根行政管理庁長官の要請で第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員に就任、伊藤忠の会長を退いた。行革の黒子役として電電公社や国鉄の民営化に尽力、中曽根氏の首相就任後も、ブレーンとして活躍。首相が電撃的に韓国を訪問した際には「密使」として活躍した。
日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭、亜細亜大理事長なども務めた。シベリア抑留から一流ビジネスマンに転身、政治の世界でも才能を発揮した激動の人生は、山崎豊子さんの小説「不毛地帯」のモデルになったとされる。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007090402046371.html