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(回答先: 温室効果ガス地球温暖化説の嘘(その55)=京都議定書は直ちに破棄すべきだ! 投稿者 スパイラルドラゴン 日時 2008 年 4 月 06 日 08:20:59)
http://blogs.dion.ne.jp/spiraldragon/archives/6898893.html より全文転載。
「らくちんランプ」の管理人スパイラルドラゴンです。今日は、2008年4月7日です。本日は、2006/02/12に発行された「サマータイム制導入に反対する」 vol.194を転載します。
(以下転載)
【サマータイム制導入に反対する】 vol.194 2006/02/12 発行者:media
http://archive.mag2.com/0000144953/20060212183226000.html?start=580
◎温室効果説に対する疑問(その55)
サマータイム導入の論拠となっている温室効果(による地球温暖化)説に対する疑問を述べるシリーズの第55回目です。
オリンピックが始まりましたね。
開会式で、情熱を意味する火とやらが出てきましたけけど…
それがなくても、オリンピックって、かなりのエネルギー食いだと思うんですけど…
CO2の話は、どこへやら。
ま、その程度の科学(?)だったってことでしょう。
さて、今回は、前回予告したように、地球温暖化説をはじめとする、多くの文マル科学に共通する擬似科学性の根源的な部分に迫ってみたいと思います。
それだけに、内容はかなり過激です。
おそらく、正統(ということになっている)科学を盲信している人達には、鶏冠にくる話でしょう。
ですが、多くの人達が「正統科学」と信じ込まされている科学の中には、正当でもなければ、まして正統でもない科学が、結構、紛れ込んでいるものなのです。
今回は、迫害を受けることを覚悟の上で、そうした科学の実態を告発したいと思います。
とてつもなく長い上に説明が雑で申し訳ないのですが、どうか我慢して読んでみて下さい。
●一様志向、統計乱用志向、静的志向
多くの文マル科学に見られる特徴のうち、まず知っておくべきなのが、“一様志向”と“統計乱用志向”と“静的志向”です。
これら三つは、決して無関係ではありません。
統計を乱用すると、一様な状態が捏造できます。
また、統計は、個々の振舞いには注目しません。
このため、個々の“動き”とか“変化”というものが抹消されてしまう。
このため、いきおい、“静的志向”になるわけです。
統計を用いると、平均化や平滑化により、データが美しく(?)単純化されます。
そのため、データが扱いやすくなります。
実用の分野で統計が多く用いられるのも、そのためです。
しかしながら、統計は、個々のものの“動き”や“変化”は見えなくなります。
そのため、現象を支配しているメカニズムが見えなくなってしまうのです。
結果、真の因果構造も見えなくなってしまうのです。
統計乱用が、いかに有害なことであるか、わかるでしょう。
だからこそ、文マル科学の分野では、統計乱用が行われるわけです。
なぜなら、彼らが“一様志向”であり、“静的志向”だからです。
“一様志向”は、彼らの理想とする“平等主義”につながるものです。
また、“静的志向”も、計画経済に見る“安定(成長)”につながるものです。
そう、彼らは、自分たちが信奉する思想を、(自然)科学の中にまで持ち込んでいるのです。
●エネルギー主体論
さて、もう一つ、是非とも知っておかねばならない特徴が、“エネルギーで議論したがる”ことです。
彼らは、エネルギーに関する議論だけで、この世の全てが説明できる…と信じているのです。
つまり、エネルギーについて考えれば、この世の全てのものの振舞いを説明・予測することができる…と考えているのです。
確かに、物理学の分野では、エネルギーについて考えると、物体の振舞いが予測できることがあります。
実際、そういう解法があるのです。
もちろん、これは、文マル科学などではなく、まともな科学です。
しかしながら、この解法が通用するのは、物体の運動方向がわかっている(限定されている)場合だけです。
たとえば、つるまきバネの問題とか、振り子の問題とか、一様な膜の振動の問題とか…。
このように、一部の問題でしか通用しない解法なのです。
ところが、例によって例のごとく、文マルたちは、それを見境なく乱用するのです。
つまり、そういう解法では解けない問題まで、そういう解法を用いて解こうとするのです。
そして、そのために、いろいろペテンをやる。
これが、文マル科学の世界なのです。
ちょっと何か知識を覚えると、それを十分に理解しないで、乱用する。
これは、マルキストたちに共通する特徴ですね。
そういうのを、「半可通」って言うんだよ!
もしくは、「知ったかぶり」です。
ちなみに、ここで述べたような、エネルギーだけで議論しようとするやり方を、私は、「エネルギー主体論」と呼んでいます。
●スカラー・ベクトル論
“エネルギー主体論”は、全くの擬似科学です。
そもそも、エネルギーは、スカラー(大きさしかない概念)的な状態量です。
つまり、方向という概念がない。
一方、“振舞い”は、ベクトル(大きさ+方向)的な状態量です。
スカラーからベクトル(の一意の解)が得られるわけがないでしょう。
ベクトル的な状態量を求めるためには、やはり、ベクトル的な概念で議論(考察)しなければ駄目なのです。
たとえば、“変位”とか“歪み”とか“速度”といったような状態量ですね。
変数が二つ以上ある場合、それらの解を求めるための方程式は、二本以上の、いわゆる連立方程式になるのは、みなさんも御存知でしょう。
スカラーからベクトルを求めるなんて、一本の方程式だけで複数の変数の解を求めようとするようなものです。
つまり、どこかでイカサマやってるのです。
ちなみに、“エネルギー主体論”のように、スカラーからベクトルを求めようとするやり方を、私は、より一般化して、「スカラー・ベクトル論」と呼んでいます。
●やっぱり矛盾が原動力!
地球温暖化説は、まさしく“エネルギー主体論(スカラー・ベクトル論)”なのです。
だからこそ、“一様志向”が通用してしまうのです。
一様な場合、統計的(全体的)な(熱)エネルギーのようなスカラー的な状態量さえ把握すればいい。
なぜなら、そこからベクトル的な状態量が得られることになっているのですから。
そういう“モデル”を作るわけですよ、彼らは。
もちろん、こんなものは、インチキなのですがね。
一様では、動きも変化もおこらない。
一様でないから、アンバランスが生じ、動きや変化がおきるのでしょう。
でも、文マルたちは、死ンデモ認めない。
なぜなら、物質の内部矛盾こそがその原動力だ!と盲信・狂信しているからです。
●地震予知が出来ないのは…
さて、“エネルギー主体論(スカラー・ベクトル論)”が幅をきかせているのは、地球温暖化説のような気象学の分野だけではありません。
実は、地震学(の研究)においても、そうなのです。
なぜ、地震学者たちは、地震をまともに予知できないのか?
ま、彼らの信じ唱えている地震のメカニズムが間違っている!という意見もあるかもしれませんが…
それ以上に問題なのは、彼らが“エネルギー主体論(スカラー・ベクトル論)”に染まっていることです。
事実、彼らは、エネルギーについてばかり論じているのです。
これでは、たとえ彼らが信じ唱えているメカニズムが正しかったとしても、予知は絶対に不可能です。
なぜなら、スカラーに過ぎないエネルギーだけについて、いくら論じても、ベクトル的な状態量である地殻等の振舞いは求まらないからです。
ですから、「期待」するだけ馬鹿を見るのがオチなのです。
地震予知のためには、変位や歪みといったようなベクトル的な状態量を把握することが最低限、必要なことなのです。
でも、彼らは、それをしない。
技術的に不可能(もしくは、極めて困難)というせいもあるのですが、でも、それを言ってしまうと、地震予知が不可能なことを白状することになってしまう。
そうなれば、予算がもらえなくなる。
それでは困る。
だから、死ンデモ言わない。
彼らが“エネルギー主体論(スカラー・ベクトル論)”に浸っているのには、思想性のほかに、こういう事情もあるのです。
●文マル科学の系譜
さて、先ほども述べたように、“エネルギー主体論(スカラー・ベクトル論)”は、“一様志向”を正当化してくれるものです。
つまり、“一様志向”にとって都合がいい。
そのため、文マル科学の世界では、重宝がられるのです。
すでに、その他の例をあげましたが、これは何も地学の分野に限られたものではありません。
実は、近現代物理学や、その応用分野で、頻繁に用いられているものなのです。
その典型が、量子論です。
量子論は、まさしく、“エネルギー主体論(スカラー・ベクトル論)”の産物なのです。
しかも、統計乱用の産物です。
加えて言うならば、量子論は、弁証法的唯物論の産物なのです。
二重性とか相補性という概念が、それです。
具体的に言うと、“粒子”と“波動”という、全く相容れない矛盾する概念を、数式遊戯によって、弁証法的に総合するのが、量子論なのです。
量子論以外にも、相対論がそうです。
二つの相容れない矛盾する座標系を、これまた数式遊戯により、弁証法的に総合するのが、相対論です。(双子のパラドックス)
しかも、相対論にも、“エネルギー主体論(スカラー・ベクトル論)”が用いられています。
有名な“E=mc2”が、そうです。
光(電磁波)はベクトル的なものなのに、スカラーに過ぎないE(エネルギー)で扱われ、しかも、これまたスカラーにすぎないm(質量)と単純に結ばれてしまっているでしょう。
さて、相対論を応用して生まれたのが、ビッグバン宇宙論です。
ビッグバン宇宙論は、物質(質量)の分布が一様であることを前提とする理論です。
そう、単純で美しい“一様志向”です。
こうしてみると、量子論、相対論、ビッグバン宇宙論というポピュラー・サイエンスが、実は、地球温暖化説と同様の、文マル科学だったことがわかるでしょう。
そして、相対論や量子論の分野で主導者的な役割を果たしたのが、サマータイム推進議連会長が正論2006年2月号でヨイショしているアルバート・アインシュタインなのです。
朝日、岩波、NHKといった、共産圏国家を賞賛してきたメディアが、アインシュタインや、これらの科学(学説)を盛んにヨイショしてきたのは、決して偶然ではないのです。
また、アインシュタインや、これらの科学(学説)のことを崇拝する人達が多い西日本に、地球温暖化説盲信者やサマータイム推進派が多いのも、決して偶然ではないのです。
●「トンデモ」という差別語
もっとも、相対論や量子論やビッグバン宇宙論のことを、どうこう言うと、「お前はトンデモさんだ!」と言われるでしょうね。
確かに、これらの学説が定説(主流、標準理論)になっているのは事実です。
しかし、それは、彼らが対案を考え出そうとしないからです。
強いものにすり寄っている方が楽…というわけです。
また、対案があっても、それを潰そう・無視しようという思想的圧力があるからです。
なにしろ、理系のインテリさんには文マルが多いですからね。
ちなみに、長年、共産党を牛耳ってきた不破哲三(元)センセーは、理学部物理学科の出身です。
そういう事実に目を向けて欲しいナー。
文マル科学のことを批判したり、これにとってかわる対案を提唱したりすることがやりづらくなったのは、1995年ごろからです。
この頃、オウム騒動というのがありましてね。
文マルたちは、これに便乗したわけです。
実際、オウム騒動のおかげで、共産党は支持率を伸ばしました。
何でも、殺された弁護士(一家)は、共産党系の事務所の人だったそうですから。
自分たちの宣伝のためなら、仲間の死をも平気で利用するのが、(文化)マルキストというもの。
で、科学の分野においても、文マル科学に楯突く者はオウム的だ!
と喧伝したわけです。
実際には、オウムの幹部こそ、文マル科学の信者だったのですがね。
でも、ジャーナリズムは、その事実を、とことん無視!
そして、異端論者たちに「トンデモ」のレッテル貼りをやったわけです。
ちなみに、その主導的な役割を果たしたのが、自称・オタクの文マル集団、「と学会」でした。
人のことを「おたく」としか呼べない者が、ああも人を攻撃できるわけがねーだろーが!
ちなみに、「と学会」は、なーぜーか、南京大虐殺の証拠写真のインチキを見破れませんでした。
となれば、どういう種類の人達かは明白でしょう。
しかしながら、メディア・ジャーナリズムは、左ばかりか右までもが、「と学会」を持ち上げましたね。
ちなみに、1990年代前半という時期は、政治的にも注目すべき時期です。
なぜなら、中国などの北東アジアの国々が、日本に対する文化的な攻撃を本格化させた時期でもあるからです。
また、細川内閣や村山内閣が誕生した時期でもあります。
ホシュまでもが真っ赤に染まった時代。
後半も酷かったですが…。
とにかく、1990年代の赤禍のおかげで、ものが言いにくい時代になってしまったわけです。
文マル科学批判や対案提唱のことを、未だに「トンデモだ!」と思っている方は、この時代の異常性を考えて欲しいですね。
そもそも、批判や対案が許されないなんて、科学と言えますか?
メディアが特定の科学ばかり持ち上げるなんて、不自然ではありませんか。
まして、個人崇拝や偶像化なんて…。
私は、このことを、声を大にして訴えたいのです。
発行者:media( mediawoutagau@yahoo.co.jp )
お手数ですが、件名(Subject)に ST とご記入願います。
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(転載終わり)
スパイラルドラゴン拝
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