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(回答先: 憲法9条に守られた用水路建設―ペシャワール会・現地代表 中村哲 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 5 月 28 日 21:27:02)
中村哲医師の話を聞いて来ました。開演前、偶然、ロビーで見かけた中村哲医師は想像していたお姿でしたが、その眼光の鋭さに驚きました。24年間、パキスタンあるいはアフガンの地でアフガンの人々とともに生きてきた、その信念たるや、足もとにも及ばない私は、ただただ、いったい自分は何をしたらよいのか考える。講演会の報告は得意ではありませんので、少し前の記事のようですが、今回聞いた内容とよく似ているので転載させてもらいます。写真もぜひ見てください。
http://news.livedoor.com/article/detail/3156503/
中村哲医師、アフガンの現状を語る。=福岡・天神
2007年05月13日05時10分
講演する中村哲氏。映像は完成した水路で水遊びをするアフガンの子どもたち。(撮影:徳島達朗) 写真一覧(3)
【PJ 2007年05月13日】− 5月12日午後、福岡市内で「芝浦工業大学創立80周年記念事業:地域フォーラム2007―福岡―」が開催された。テーマは、「資源と環境」である。記念講演をしたのはペシャワール会現地代表の医師・中村 哲氏であった。演題は「国際貢献における技術支援のあり方」。中村氏は映像を投影しながらこれまでの活動をふりかえった。
講演の概略は以下のようであった。アフガニスタンの面積は日本の約1.7倍である。人口2000万人。99%が農民であるが、昔から「金がなくても生きていけるが、雪が無くては生きていけない」といわれている。ヒマラヤの雪が融けて川となり、その水が農業での暮らしを可能にしている。しかし、地球温暖化の影響か、近年雪が消えつつある。農民が農業で食っていけなくなってきた。
その上、アフガニスタンは、民族の十字路といわれるように、旧ソ連、タリバン、アメリカの侵攻を受けて国土の破壊が進行した。アフガニスタン人はイスラム教徒で、信心深く長老会の指導で自治組織を作っている。旱魃のため農地をはなれた農民が都市へ集中してきている。貧富の差は極端に拡大している。99.9%の人びとが医療を受けられず死亡している。この人たちの声はけっして世界に届かない。
われわれは1984年にハンセン病コントロール五カ年計画を開始した。国際理解では、現状をいかに理解するかが問題で、単純な善悪で区別したりしては解決にならない。例えば女性の被り物につても同様である。臨床医学では「ちがい」を「善悪」の基準にしてはならない。貧しい山の中の生活でさまざまな病気が発生する。そこで、1989年から一般の診療も開始した。
これまでは、われわれは「日本人」ということで「命拾い」をしてきた。それは日露戦争で日本が勝ったこと。アフガニスタン人が広島・長崎の被爆のことを皆知っているからである。100年前、欧米の植民地化が進行する中で、独立を維持できたのは、日本、アフガニスタン、タイである。戦後、日本は経済的に繁栄し、50年間平和を維持してきた美しい国である。そのため、対日感情は大変良かった。
しかし、アメリカの空爆が始まり、日本のアメリカ支援のなかで、対日感情は変わりつつある。日本人であるために攻撃される。
子どもらは水溜まりの水を直接飲まざるを得ないので赤痢が多発、脱水症状から死亡する。飢えと渇きは医療技術では解決できない。そこで、われわれは、環境を改善するため井戸を深くする試みや、カレー(カナート)=横井戸を再生する努力をし、38箇所再生した。
NYテロ事件で、ブッシュ米大統領は、アフガン報復攻撃を開始した。ピンポイント攻撃という無差別攻撃を開始した。アフガンは解放後、状況は悪化の一途をたどっている。売春の自由、乞食の自由、外国人に取り入って大金持ちになる自由が拡大した。
2003年に開始した13キロにおよぶ水路の第一期工事が、2007年4月に完成した。これで800ヘクタールの灌漑が可能となった。冬の小麦栽培も可能となった。600人の作業員で、手作りで、自らメンテナンスを行うようにしたが、300年前の筑後(柳川)の経験に学び、両岸は蛇籠工法を施し、堅牢な構造をめざした。現在、われわれは、ペシャワール土着化の方針をもって活動している。【了】
■関連情報
PJニュース.net
食料支援活動。(撮影:徳島達朗)
水路両岸には柳を植林。(撮影:徳島達朗)
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