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文章を綴るという行為やあらゆる芸術表現は、それが現実に実現するまでは思念行動である。
それが皆のために良い事か、悪い事でも、途中経過ならば尚更、それを個々の肉体を使って、逐次現実に写して検証すべきである。
その結果で喜怒哀楽を味わう為の、せっかくの肉体なのである。
それをせず溜め込み、挙句正気の糸が絡まると、狂ってから行動するという、取り返しがつかない、とんだボタンの掛け違いが起きて行く。
どんなに複雑で、高尚で、難解な論理も、今、個々の肉体で行動出来ない理論など、だから無意味だ。
その思念行動のまま、その上に更に思念を積み上げ、構築された理論を有難がっている書棚など要らない。
昔コミックで学んだことの方がよっぽど為になった。
本物のやくざは「てめえ、ぶっ殺すぞ」などとは決して言わず、実際に殺し、その現実の裏付の無い思念以外の「殺し」という言葉は無いのだと(ジョジョの奇妙な冒険のどこか)。
罵倒や脅しや言い訳は現実の真剣勝負には通用しない、というメッセージなども子連れ狼やバキには痛烈に描かれている。
これからは学だけでは通用しない現実に直面します。