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(回答先: インテリよ、サバイバーたれ13 投稿者 日 日時 2008 年 6 月 25 日 00:31:55)
最近、身近に聖者を発見する事が多くなった。
動物の保護活動によってだが、共通するのは、弱者へのスタンスである。
人が人を救うという行動を、ある意味元々自己脱出能力を持つ存在に対する行為と捉え、人はすべからく自己脱出すべきと考えるから、支援は要らぬお世話である。と考える事も出来るとし、人が本来成すべき行為とは、自らの尻拭いを当然した後、万物への慈愛管理行動が第一の優先事項である、としている点だ。勿論、自力脱出不可能な環境にある人々への支援が必要なのは云うまでもない。
彼らに考えが違ったり未熟と思われる所は多々あっても、それを正そうとすることなどとても出来ない。何故なら、それが彼等なりの弱者へ向けた愛の発露としての行動であるからだ。
ある意味馬鹿なのである。
料理屋の活水槽を見て、殺される運命のドジョウや魚や亀を言い値で買い取り、川や海に放すのである。
ペットショップで売れ残りの大型犬の行く末を案じ、言い値で買い取りもする。
これは不幸の元凶を増大させる行為なのだが...彼らにとっての目の前の現実は理屈ではない。身を捨てた行動対象なのだ。
裕福なのではない。家計が破綻寸前で出遭ったある聖者は建築関係者で、例の姉葉偽装問題で半年仕事が無い(今は日の仕事を手伝ってくれている。家計破綻はもう直ぐ回避されるだろう。)。
88歳の老母との二人暮しである。奥さんは二人の聖者との暮らしに付いて行けずに早々に出て行った。
猫20匹、犬8頭と、狭くぼろぼれにされた家の中に犇めき合って、臭気と共に暮らしている。エアコンもTVも壊れて買い換えられない家計だが、これらのえさ代の他に、毎日野鳥の為に1日2斤の食パン、近くの森やコンビニに巣食う野良猫や野生の狸にも食糧を届けている。
顔に止まった蚊を叩く事もせず、母が抜く雑草を隣で気付かれないように植えている。
飲み会の後の路上で行方不明になったかと思えば何処かからモップとバケツを借りてきて、他人のゲロを掃除し、立ち寄る公衆便所は例外なく素手で綺麗にしてから出て来る。
彼と行動を共にする行く先々で、彼の愛すべき行動に苦笑させられ続けている。
しかし、その彼が小さく見える程の隣人が彼の周りには何人も居た。
彼らに命を預け連帯を始めた。互いの思想の背景は知らないが、不信は共に無い。