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【長野】奇跡の生存者発見、鮮明に 日航機事故から23年、県警隊員回顧
(中日新聞)2008年8月12日
520人が犠牲になった日航機墜落事故から12日で23年を迎える。当時、群馬県・御巣鷹(おすたか)山の捜索には長野県警の機動隊員らも加わった。空から救助に向かい、生存者を発見した隊員らが、あの日を振り返った。
県警航空隊のパイロットだった丸山栄幸(よしゆき)さん(60)は、日航機が墜落した日の夜から松本空港に待機した。「早く行かないと」。はやる気持ちを抑え、13日の日の出とともに、県警ヘリ「やまびこ」の操縦かんを握った。
墜落地点を特定するための飛行。県境を越えて御巣鷹山の尾根にさしかかると、むき出しになった赤い山肌に黒く焦げた胴体が飛び込んだ。深い緑の山中で散乱する白い破片、くすぶる煙。「ダメかもしれない」と思ったという。
救助活動する2人の機動隊員を乗せるため、佐久市のヘリポートに戻った。気持ちが高ぶる2人を前に、丸山さんは「つらくて、何も言えなかった」。
「やまびこ」からワイヤを伝って降り立った柳沢賢二さん(52)。既に現場に到着していた地元消防団員が、強い日差しの下で茫然(ぼうぜん)と立ち尽くしている姿を鮮明に覚えている。
現場の広い範囲に人が横たわり、土をかぶっていた。「(生存者は)いないかも」と、一瞬絶望した。が、自らの任務を思い出し、谷間に足を進めた。その時、奇跡の光景が目に飛び込んできた。
残骸(ざんがい)の中から、腕らしきものが振られていた。「あ、あれ」。その場にいた全員が注目した。柳沢さんが「大丈夫だぞ」と叫ぶと、動きは止まった。客室乗務員の落合由美さん=当時(26)=だった。消防団員とともに覆いかぶさっていた周辺の部品を取り除き、汗だくになって救出した。
同じ場所から母子、少し時間をおいて別の場所から中学生の女の子を救出した。「生きていることが不思議だ」と驚き、喜び、そして期待を込めて、夢中で5人目の生存者を捜したという。
この2人は、墜落事故の2週間前に長野市で起きた地附山地滑り災害、前年の西部地震など数多くの災害現場へ出動した経験があった。丸山さんは「あんな現場は最初で最後だった」と振り返る。
丸山さんは今年3月の定年退職を前に、御巣鷹山の尾根のふもとの「慰霊の園」を訪れた。急な坂道を上り、険しい山を見上げると、当時の光景が思い出された。「大変な事故だったんだ」。あらためて感じた。
柳沢さんはこの救助活動で学んだ。「どんなに悲惨な状況でも、あきらめてはいけない」。懸命に生きようとする4人の姿は、今も脳裏に焼き付く。
「慰霊の園」で犠牲者の御霊を供養する慰霊登山は、今年も8月12日に行われる。
(戸川祐馬)
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20080812/CK2008081202000010.html