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奈良・平城宮跡 官庁街に倉庫ずらり・・・奈文研発掘(読売新聞)
奈良市の平城宮跡(710〜84年)の第二次大極殿東側で、奈良時代の倉庫とみられる礎石建物跡2棟が並んで見つかり、奈良文化財研究所が28日、発表した。民生部門を担った民部省が管理した「米蔵」だったとみられる。同宮の倉庫跡では最大級で、奈良時代の官庁街の実態に迫る資料になる。
建物跡2棟は同じ規模でいずれも東西18メートル、南北6メートル以上。内部にまで柱を立てる「総柱建物」で、直径70センチ前後の礎石で支える強固な構造。柱の間隔(最大で3・6メートル)が正倉院(同3・7メートル)と似ており、高床式の倉庫らしい。
見つかったのは朝堂院東側で、平安宮(京都市)では、租税や戸籍、田畑を管轄する「民部省」や、同省が管理した米蔵が置かれた場所にあたる。同研究所は、平城宮でも同省の米蔵があったと推定している。倉庫の南北にはさらに、南北70〜80メートルにわたって複数の倉庫があったとみられる。現地説明会は30日午後1時30分から。
同研究所の渡辺晃宏史料研究室長は「民部省が管理する米蔵は、集めた米を宮内を警護する『衛士(えじ)』や雑役を担う『仕丁(しちょう)』に支給した。そのための倉庫群が広がっているのだろう」と話している。
(2008年03月29日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is80329a.htm?from=ichioshi